篠田節子『肖像彫刻家』(新潮社、2019・3)

 「二つ歳上の姉に、多摩市にある霊園に連れていかれ、墓石の前で土下座した。

『ほら、五十面下げて自分がどこで何してたか、ちゃんと報告して謝るんだよ』

凍るような風の吹きすさぶ高台に『高山家の墓』がある。姉の薫に後頭部を押され、正道は白御影石の上に、崩れるように膝をついていた」この作品の書き出しである。

 主人公の高山正道は、名のある私立の芸大の彫刻科を卒業して、抽象彫刻でいくつかの賞も受賞し、それなりに評価もされたが、生活がなりたたない。経済的には教師の妻に依存しきっていた。しかし、ついにあいそをつかした妻は離婚を申し出て、高校生になる息子を連れて家を出る。年老いた父母のもとで先も見えない日々をおくるが、そんなおりに、イタリアで肖像彫刻家の巨匠、マリオ・プッチ師について成功している先輩から声がかかり、イタリアに渡り、同じ先生について歴史と伝統のある肖像彫刻の修業をする。だが、生来の器用さが買われて、なにかと仕事にはありつくものの、なかなか目が出ない。イタリアへ出発する前に、父からは「モノになるまで帰ってくるな。一切、連絡も寄越すな」と言い渡されている。その言葉を守って一通の手紙も出さないまま、8年後にようやく帰国する。そこで、父母はすでに鬼籍に入っていることを知る。冒頭の一節は、ぶっきらぼうで男勝りの姉に叱咤され、両親の墓前にぬかずくシーンである。

 実家をたたんで姉と遺産を分けた正道は、その資金で山梨県の八ケ岳の山麓に工房をかまえ、インターネットで自己紹介をしながら注文をよびかける。隣には大家で人のいい菱川夫妻が住んでいて、野菜や煮物などを親切に届けてくれる。こうして正道の日本での肖像彫刻家としての生活が始まる。

 最初に注文が来たのは、地元の名刹、回向院からである。有形文化財に指定されている秘仏、雪姫の全身像をつくってほしいとの注文である。雪姫は同寺院の秘仏として普段は公開せず、何年に一回、特別の日にだけ披露するという。この秘仏の代わりに正道の彫った全身像を公開し、観光客などを呼びこもうというのである。そこで、値段の相談である。正道の肖像彫刻は、世界的な彫刻家から直々に伝授された技術を駆使した本格的な肖像彫刻である。制作に何カ月もかけて、粘土で原型をつくり、これに合成樹脂をはって型をとり、さらに銅を流し込んでしあげるという複雑な工程をとる。当然、一体何百万円ということになる。ところが、現在では3Dで立体を造形する技術が発達し、写真などを素材に実物そっくりの像をきわめて安価に作ることが可能である。そんな業界事情のなかで、お客との折衝もなかなかの一仕事となる。

 ようやく仕上がった雪姫は、ただ形だけのものではなく、正道によって魂のこもった全身像となる。像は、お寺の思惑通り檀家や観光客の注目をあつめるが、そのうち妙な噂がひろがっていく。夜中にこの像が、一人で歩き回るというのである。さらに、この寺院が、雪姫の本体を秘密裏に横流し業者を通じて海外に売却し、お寺の修復費などにあてているという事実も、正道の耳に入ってくる。こうして、正道の仕事は、寺院経営をめぐる生臭い世界に身を置くことになる。

 次に、口は悪いが人のいい姉の依頼で、両親の座像を造る。注文がなくて困っているだろうとの姉の配慮によるものである。これも立派に仕上がり、姉の家の床の間に据えられて、近所でも評判になっていく。そしてやがて、姉が気づくのは、坐像の父母が夜中に夫婦喧嘩をはじめるという事実である。これを聞きつけた正道は、父母を離して置くようにすすめる。こんな、現実を超えたユーモラスな話が、いくつか続く。芸術家にとって、この世はいかに生きにくいかというお話である。作者らしいとかといえば、そうともいえるし、そうでもないともいえよう。(2019・8)

 

 

 

平野啓一郎『ある男』(文芸春秋社、2018・9)

 弁護士の城戸は、何年か前に離婚の調停をしたことのある里枝さんという女性から折りいった相談をもちかけられる。里枝は、離婚後、宮崎市の近くの小さな街にある実家に一人の男の子をつれてもどり、家業の文房具店を手伝っていた。しばらくして、そこに画具を買いに時々訪れる谷口大介と名乗る男と親しくなり、結婚、花という女児ももうけて、何年かを幸せに暮らしていた。大介は、自らの生い立ちや経歴を詳しく語っていた。色々なトラブルがあって群馬県で旅館を営んでいた家族とは疎遠になり、あれこれの仕事に就いたあと、たまたま行き着いた九州の小さな街で、林業会社に職を得たという。そこで、伐採などの作業に従事していた。水彩画が趣味で、特段優れているわけではないが、落ち着いた人柄を感じさせる風景画などを描いていた。

 ところが、運の悪いことに大介は、みずから伐採した材木の下敷きになるという事故で突然死去してしまった。残された里枝は、大介とは疎遠になっていたにせよ家族には知らせなければとの義務感から、連絡を取る。訃報を知って大介の兄が宮崎まで駆けつける。ところが意外にも、兄は里枝の家の仏壇に飾られた故人の写真をみて、これは大介ではない、まったくの別人だと断言する。

 天地がひっくり返るほど驚いたのは、里枝である。一体自分が結婚し、子どもまでもうけた相手は、それではいったい誰だったのか? 夫が克明に語っていた自分の生い立ちや家族のこと、家族との間にあったいざこざとそこから逃れた経緯などが、すべてまったく別人のそれだったとすれば、それらをふくめて信用し、その人格、人間性に親しみ、接してきた自分の愛情とはそもそもいったいなんだったのか?亡くなった自分の夫は、そもそもなぜ谷口大介と偽り、自分の本当の正体を隠し続けなければならなかったのか? 謎は深まるばかりである。里枝がそこで思いついたのが、かつて離婚調停で親切に応対してくれた城戸弁護士への相談である。

里枝にそこはかとなく好意を抱いていた城戸は、里枝からの訴えにこたえてわざわざ宮崎まで出向いて、くわしい事情を聴取し、谷口大介を名乗っていた男の正体の追跡を始める。大介の兄はもとより、大介の元恋人だったという女性など、わずかなてがかりをたどる城戸の探索は難航をきわめるのだが、しだいに、事の全容が姿をあらわしていく。そこには、自分の戸籍から、生い立ち、家族関係などをすべて秘匿せずにはおれない、生まれつき不幸を背負った人々の存在が浮かび上がってくる。また、そういう人々の間で、他人の戸籍との売買を仲介する業者の存在も明らかになる。里枝の夫が、不幸な出自からみじめな少年時代を送り、まともな暮しを手に入れるためには他人の戸籍を取得して、別人として生きるしかなかったことも、次第に明らかになってくる。そして、谷口大介を名乗って里枝と過ごした数年間が、この男の全人生のなかで、ただ一時平穏のうちに暮らすことのできた幸せな時間だったことが判明する。

 城戸は、一人息子と妻と平穏に暮らす自分の家庭にも、なにかと隙間風が吹いたり、妻との間に微妙な感覚のずれが生じたりすることにも重ねながら、こういう不幸な人びとの存在とその人々をめぐって愛憎が複雑に織りなす様相に思いを致す。そして、谷口大介を演じた男にも、憎むことのできない親密感を抱いている自分に気づく。

 作者は自分のブログで、「小説家になってから今年で20年になりますが、『ある男』は、今僕が感じていることを最もよく表現できた作品になっていると思っています。例によって『私とは何か』という問いがあり、死生観が掘り下げられていますが、最大のテーマは愛です」と語っている。推理小説的な展開を楽しみながら、人間存在のありかた、愛情とは何かについて考えさせられる作品である。

司馬遼太郎『翔ぶが如く』(文春文庫、全10冊)

 明治維新後、成立したばかりの太政官政府は、1872年、最大の課題であった欧米諸国との不平等条約是正のため岩倉具視を団長とする大使節団を欧米に派遣する。その間の留守政府を預かったのが西郷隆盛江藤新平らであった。西郷らは、維新政府による廃藩置県秩禄処分廃刀令などによって存在基盤を奪われた旧士族の強い不満と政府への怨嗟をかわすために征韓論を唱え、太政大臣三条実朝の同意のもとに天皇の勅許まで得る。ところが、翌年帰国し内治優先を唱える大久保利通らの強硬な反対に遭い、征韓論は葬り去られる。これを不服とした西郷隆盛らは太政官政府から身を引き、下野し、薩摩へひきあげる。太政官政府権力の中心を構成していたのは、できたばかりの近衛師団と警視庁輩下の警察官だが、その多くは西郷のイニシアティブで送り込まれた薩摩人からなっていた。西郷の下野とともに、これらの士官が、西郷に同調して一方的に任を離れ薩摩へ帰ってしまう。つまり権力の中心をなしていた軍事力の大半が、政府から去って薩摩に集中することになる。しかも、当時薩摩は、旧藩主島津久光の影響下にあって明治政府の力の及ばぬ事実上独立国の様相を呈していた。こうして、全国に満ちる太政官政府への不満と憤りは、西郷と西郷が率いる薩摩へと集まることになる。そうした背景のもと、西郷らは1878年、西南戦争を起こして太政官政府軍と戦い自滅にいたる。その全過程を克明に描きだしたのが、この大長編小説である。

 全編を通読して、明治維新で生まれた新しい政権をとりまく不安定な日本の政情とその動きが手に取るようによくわかったというのが何よりの感想である。そのなかでも、とくに勉強になったことがいくつかある。その一つは、全国で300万人と言われる旧武士階級の新政府にたいするやり場のない不満と怒りの強さである。サムライという身分を奪われたばかりか、徴兵令によって集められた農民を主力とする鎮台兵が新国家の軍事力として組織されるにおよんで、存在意義そのものが失われていったのである。唯一、維新政府の手がおよばなかった薩摩藩にだけ、武士階級が生き残っている。明治維新の成就に貢献し陸軍大将の肩書をもつ西郷に、そのシンボルとして期待が集まる。佐賀の乱萩の乱、熊本新風連の乱とつづく反政府暴動につづいて、西郷と薩摩の決起をのぞむ声が全国に広がっていく。西郷が立てば全国の旧士族がこれに続き、太政官政府などひとたまりもないと、西南戦争を主導した桐野利良や篠原国幹が考えたとしても不思議はなかった。

 もうひとつは、明治国家と天皇の絶対的権威がどのようにして作り上げられていったかということである。明治のこの時期、政府はもとより天皇の権威は極め微弱であった。天皇の勅使がわざわざ鹿児島まで出向いても、島津久光は病気を理由に会おうともしないといった事実に、そのことが端的に示されている。太政官政府といっても、地方では薩長の私的機関くらいにしか思われていない。その中心にいた大久保らが、政令を通し、政府の施策を実行するのに、ことあるごとに天皇をもちだし、その権威をふりかざすしかなかった。西南戦争で強靭な薩摩兵のまえに怖気づく鎮台兵を叱咤するにも、天皇の権威を振りかざすしか手がない。こうして、天皇とその権威が政府の手で人為的に引き上げられ、肥大化され、その権威にすがって、政治がおこなわれる。絶対主義的天皇制がこうして明治政府自身の手で造り上げられていくのである。

 最後に、この大作をとおして、最大の課題は西郷とは何者かということである。この問題にたいする答えが、ついにわからないままで終わっている。維新までの西郷については、おおよそその輪郭は明らかである。しかし、征韓論に敗れて下野して以降の西郷については、ほとんどなにもわからない。西南戦争の全局面を通して、西郷はほとんど顔を表さない。軍議にも作戦指導にも出ないばかりか、何を考え、何を求めているのかさっぱり定かでないのである。西郷が書いたものを残さなかったということもあるが、維新後にどのような国家をつくるのか、西郷自身戦略も、願望も定かでなかったのでは、と思われる。すべてを桐野や篠原らにゆだねて、みずからはただ死に場所のみを求めていたのではなかろうかとも、推測せざるを得ない。(2019・8)

 

ヘニング・マンケル『イタリアン・シューズ』(柳沢由美子訳、東京創元社、2919・4)

 主人公の元外科医で66歳のフレドリック・ヴェリーンは、スウエーデン東海岸にある群島の突端に位置する小さな島に、老いた犬と猫といっしょにたったひとりでひっそりと住んでいる。ときたま船でやってくる郵便配達人のヤンソンと一言二言言葉を交わす以外に、外界との接触はいっさいなく、過去とも未来とも完全に切断された、文字通り失意と孤独、絶望のうちに日々をおくっている。彼はこの12年の間、世間から隔絶され誰から顧みられずも、凍てつく冬にも海を覆う氷に穴をあけて刺すような冷たさの海水に身を浸すという苦行を日課としてもきた。作者はここに、高齢化のすすむスウェーデン社会で少なくない老人が置かれているきびしい状況を象徴的に語っているのかもしれない。

 そんな暮らしを続けるヴェリーンのもとに、真冬のある日、氷の海のかなたから歩行器にすがる一人の年とった女性が訪れる。双眼鏡をとりだしてよく見ると、どこかで見たことのあるような面影である。しばらくするとその女性は力尽きて海氷のうえに倒れてしまう。あわててかけつけるヴェリーンに、突然、過去がいっきになだれ込んでくる。その女性がだれなのか、そして自分がなぜこのような孤島に隠れ住むようになったのか、遠い記憶が一挙によみがえってくるのである。女性は、今から40年前に、自分が理不尽にも理由も告げずに一方的に捨てた恋人であった。そして自分がこの島に流人のように住むことになるのは、外科医として取り返しのつかない失敗をして、その世界に居続けることが出来なくなったからであった。

 ヴェリーンに助けられて意識を回復した女性ハリエットは、末期癌で余命はいくばくもない。彼女は、ヴェリーンに姿を消す前に自分にした約束を果たしてほしい、そのためにはるばる訪ねてきとうちあける。その約束とは、ヴェリーンが子どもの頃に父と訪れたことのあるスウェーデン北部の森の中にある湖にハリエットを連れていくという約束であった。「それは私が生まれてからいままでの間にもらった約束の中で一番美しい約束だからよ」と、ハリエットは言う。

 こうして、歩行器なしには歩くことのできない重病のハリエットをともなっての旅が始まる。スウェーデンの北部地方は、きびしい自然環境のなかで居住を放棄された集落が点在し、そこには都会の営利と過度の競争になじめい芸術家や職人がぽつぽつと住み着いてもいる。本作の題名になっている「イタリアン・シューズ」をつくるイタリア人の名工もその一人である。40年ぶりの旅をするヴェリーンとハリエットは、飼い主の死を知らせるためにさまよう犬に出くわしたり、たどり着いた湖の氷が割れて凍死しかかったヴェリーンをハリエットが死力をつくして助け出すなど思わぬ事件に次々と出くわす。そして、予想もしなかった人物にも出会う。

 この旅をつうじて、ヴェリーンは次第に隔絶されていた社会とのつながりを取り戻し、人々とのきずなをも回復していく。それは一人の老いて孤独な人間の人間としての再生、復活の物語でもある。

 スウェーデン出身の作者は、2015年に67歳でなくなっている。本作は、2005年、作者が58歳の時に発表された。もともとこの作者は、推理小説の世界で知られ、刑事クルト・ヴァンダラーを主人公にしたシリーズで知られている。この作者が一念発起して書いたのが本作で、スウェーデンでは「マンケルの最高傑作」あるいは「究極の恋愛小説」として高く評価されているそうだ。作品は北欧はもとより国際的にも評価が高く、フランスでは200万部を超えるベストセラーになったという。確かに、美しいスウェーデンの自然を背景にした、重厚で深い内容をもった力作である。(2019・7)

 

レオナルド・パドゥーラ『犬を愛した男』(寺尾隆吉訳、水声社)

 作者は、現在のキューバを代表する作家で、1955年生れ。2009年に発表された本作は、邦訳でB5判700ページ近くにおよぶ超大作である。ロシア革命の指導者の一人で革命後スターリンとの政争に敗れて失脚して、祖国を追われ、1940年8月20日にスターリンが送り込んだ刺客によって亡命先のメキシコで暗殺されたトロツキーの生涯を丹念に描いている。同時に、本作がユニークなのは、トロツキーの暗殺に直接手をくだした犯人、ラモン・メルカデールにもう一つの焦点を当てていることである。ラモンは、スペイン人民戦線でたたかうスペインのカタルーニア出身のまじめな青年共産党員だが、スターリンの手でソ連共産党特殊工作員にしたてられて、共産主義という大義を信じてトロツキー暗殺の下手人となり、とらえられて20年におよぶ過酷な獄中生活を送る。そして、刑期を終えてソ連に帰還し、スターリン死後にまで生きつづける。そのおぞましく悲惨な生涯が、トロツキーのそれと並行しながら、克明に描かれている。

 本作にはさらにもう一人、作者の分身ともいえるキューバの作家が登場する。たまたまハバナの浜辺で知り合った老人から、晩年をキューバで過ごしたラモンの物語を克明に聞き取り、ラモンとトロツキーの生涯を書き残す役を担う人物、イバンである。ソビエト社会主義の体制下にあったキューバで、ハバナ大学を卒業して新進作家として有望視されながら、体制に迎合しない作品を書いて、体制から排除され抑圧され、作家の夢もあきらめて、獣医雑誌の校正者として夢も希望もない日々を送る人物である。

 トロツキーとラモン、イバンという3人の人物は、共通点は三人とも愛犬家であるという一点しかないのだが、いずれもスターリンという悪魔によって呼びこまれた運命に翻弄され、失意と絶望のうちにぞっとするようなおぞましい半生を余儀なくされる。その生きざまは、耐えがたく重苦しくてなんともいえない圧迫感を読後に味わわせずにおかない。

 それにしても、スターリンと彼に盲従した体制が残した残虐な傷跡はなまなましい。トロツキーは、中央アジアのアルマ・アタからトルコに追放され、その後スターリンの執拗な追跡と迫害を逃れて、フランス、スイス、ノルウェーへ、そして最後にメキシコに逃れるしかなかった。その間、同志は離反するかスターリンによって殺され、4人の息子娘たちもソ連の内外で次々に暗殺され、処刑される。絶望と失意のうちに希望のない反逆の試みもむなしく、次第に追い詰められていく。

 トロツキーを追い詰め、手にかけるラモンの生涯も残酷でいかにもむなしい。虚偽とでっち上げにぬりかためられた“信念”に忠実に従い、本来のラモンとは無縁の酷薄な特殊工作員として作り上げられた人間を演じ続けるしかなかった。そして、現代キューバの作家イバンは、このラモンやトロツキーの生きざまを自分のそれと重ね、そこにみずからが置かれた立ち位置を改めて確認せざるをえなかったのである。

 作中のイバンが絶好のネタを手に入れながらなかなか書けなかったのは、何よりも恐怖のためであったという。作者パドゥ―ラがこの作品に着手するにあたって直面したのも、自由な言論を抑圧するソ連型の体制への恐怖であった。作者が執筆にとりかかれるようになるのは、1991年のソ連崩壊とそれを機にしたキューバでの変化によってである。同時に、本書のような作品を書いた作者が現にキューバに在住し活動しているという事実は、キューバをふくめてスターリン時代の悪夢から社会が立ち直りつつあることの証左ではなかろうか。パドゥ―ラとともに、そこに希望を見出したい。(2019・6)

 

アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』(創元推理文庫、2018・9)

 巻末の解説で川出正樹が次のように書いている。「アンソニーホロヴィッツカササギ殺人事件』は、まごうかたなき傑作だ。2018年の時点で、二十一世紀に書かれ翻訳された謎解きミステリの最高峰といっても過言ではない」と。川出があげるその理由の第一は、「フーダニット(犯人あて)としての完成度が極めて高いためだ。プロットは複雑精緻で、構成は緻密かつ堅固。容疑者は縺れ合い、様々な動機が見え隠れしつつストーリーは二転三転する。個性豊かな探偵役が、丹念に描かれた手掛かりと目くらましとを選り分けて」云々。第二は、『アガサ・クリスティ作品のオマージュとして完璧な仕上がりを見せているためだ。舞台は一九五〇年代半ばのイングランド。“渓谷の森”と湖を有する豪壮な貴族の屋敷を中心に由緒ある牧師館、パブや骨董品店などが点在する、まさに絵に描いたような美しき英国の田舎の小村でたて続けに起きた二つの死。葬儀の場に予兆のように現れたカササギを目にした老墓堀人の脳裏を、子どもの頃に教わった数え唄がよぎる。エルキュール・ポワロを彷彿させる名探偵アティカス・ピュントは、閉ざされた共同体の裏庭に静かに積もった嘘とごまかしの下から埋もれた秘密を掘り起す」。

 長くなったが、あえて紹介したのは、この作品の特質をうまくまとめ上げていると感じたからである。舞台は、サマセット州にあるパイ屋敷で不慮の死をとげた家政婦の葬儀の情景から始まる。鍵のかかった屋敷の階段の下に倒れているのを発見された彼女は、たまたま掃除機のコードに脚をひっかけて墜落したのか、それとも‐‐‐‐‐。その死は、小さな村に衝撃を走らせただけでなく、そこに住む人びとの関係に少しずつひびを入れていく。しかもつづいて館の主が思いもよらぬ残虐なやり方で殺害される。脳腫瘍で余命あとわずかという名探偵アティカス・ピュントは、現地を訪れあらゆる状況をつぶさに観察しながら推理を働かせる。文字通りクリスティを彷彿させる筆遣いである。

 これだけでもミステリとしてじゅうぶん堪能できる力作なのだが、謎解きが大詰めを迎えなお決着をみないまま、下巻にはいる。そこでは、話は一転して、『カササギ殺人事件』の筆者であるアレン・コーンウェイという作家を担当する編集者であるわたしが登場する。アレンは「アティスカ・ビュント・シリーズ」で人気の絶頂にある。しかし、彼も実は、医者から癌で余命わずかと告げられている。わたしは、アレン・コンウェイの最新作『カササギ殺人事件』の原稿を編集長から渡される。そして、その原稿に肝心の最終章が欠落しているのを発見する。作者が生涯の最後となる作品を書き上げずに編集者に手渡すことはあり得ない。だとすると、最終章はどこでいかなる理由で誰によって欠落させられたのか? これが本書下巻の最大の謎解きとなる。探偵役はもちろん、アティスカ・ピュントではなく、女性編集者であるわたし自身である。

 このように、本作には二つのミステリがいわば「入れ子」になっているのである。そして、この二つのミステリがどこでどうつながるのかが、もうひとつの謎解きとなって読者の迫るのである。これは斬新な意表を突く構成であり、このように複雑な構成の作品を緻密に仕上げているところに、作者のなみなみならぬ力量をうかがわせる。ちなみにこの作者は、『女王陛下のスパイ アレックス!』シリーズがベストセラーになるなど現代イギリスを代表するヤング・アダルト作家であるという。なお、カササギ(magpie)には、鳥のカササギの他に、おしゃべりな人、何でも集めたがる人、黒白斑模様といった意味がある。(2019・6)

 

司馬遼太郎『世に棲む日日』(1~4巻、文春文庫)

 坂本龍馬を描いた『竜馬がゆく』、大村益次郎の生涯をとりあげた『花神』を読んだ以上どうしても避けて通るわけにいかないのが、吉田松陰高杉晋作を主人公にしたこの作品である。表題は、28歳の若さで生涯をおえた晋作の辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」に、最期をみとった望東尼が付け足した「すみなすものは こころなりけり」に由来するという。

 吉田松陰は、1853年、ぺりーが率いてきた米艦隊に単身のりこみ、国禁を犯してアメリカへの渡航を願い出るが、断られ、幕府に捉えられて、獄舎につながれるも、松下村塾を通じて多くの若者に精神的、思想的感化を及ぼし、その中から高杉晋作はじめ、幕末、維新の変革をになう多くの志士を輩出させた。その尊王攘夷・倒幕の思想は、長州藩をして時代の先端を走る先覚者の役割をになわせるうえで、決定的ともいえる力を発揮した。そのため、戦前の支配層によって「国体」思想の権化のように喧伝され、戦後はあまり顧みる人もいなくなったようにおもう。幕末・維新に活躍した人間を多数描いてきた作者も、松陰には筆を染めたことがなく、この作品ではじめて向きあったようである。松陰にも松下村塾にもまともにむきあったことのない筆者のばあい、その生い立ちから、各地をまわる修行、勉学や、松下村塾の実相について、つぶさに知るのは本作品を通じて初めてである。それだけに、その印象は強烈というほかない。

 貧しい下級武士の家に生まれた松陰は、叔父の玉木文之進という過激な保守思想家から尋常ならざるきびしい教育をうけ、一切の私心を捨てて大義につくす純真・過激な青年に成長する。江戸に出て佐久間象山はじめ当時の秀でた知識人に学ぶとともに、脱藩して東北、特に水戸へ赴き、尊王大義をかかげる水戸学を学び、さらに国学へとすすみ、そのなかで尊王攘夷思想を研ぎ澄ましていく。それは、欧米の外圧に屈せず、一君万民のもとで国民の力を結集し国の独立と発展を展望する革命思想であった。安政の大獄で捕らわれの身として再度江戸に送られ、29歳で刑死するまでの生涯はごくごく短い。しかし、その人柄と思想の及ぼした影響は計り知れない。作者は、松陰を「思想の人」、「思想に殉じた人」として描いている。

 藩の上士の家に生まれながらこの松陰を師と仰ぎ、その思想を実践に移し、革命家として生きたのが高杉晋作である。攘夷を実践するために、イギリスの公使館に忍び込んでこれを焼き討ちする挙に出るなど、その挙動は極端に走り、藩の高級官吏の子弟としては、異例の風雲児である。やがて、蛤ご門の変で朝敵とされ幕府による長州征伐がおこなわれるとともに、下関を通る外国艦船を砲撃した報復として米英仏オランダの四か国による馬関戦争に直面する。ここで晋作の革命家、戦略家としての真価が発揮される。その一つが、奇兵隊の創設である。身分階級の違いを超えて結束する軍隊の結成は、当時の封建社会では奇想天外というべき壮挙であり、いわば国民軍に道を開いたものと言えよう。米英仏オランダ軍の攻撃で甚大な被害を出した藩の代表として四国と講話交渉でわたりあう。  

 同時に、たった一隻の小型軍艦を率いて夜間、大鑑を連ねる幕府海軍にたちむかい、これを撃破するなど、文字通り暴れ放題の活躍である。しかも、長州藩の勝利が確実になると、藩の権力を握るのではなく、さっと身をかわして単身、イギリスへの渡航、留学を企て、長崎のイギリス商人グラバーに交渉するなど、日本の将来を見越した大胆な行動に出る。まさに破格な行動力をいかんなく発揮するのである。

 残念ながら、肺結核に犯されて明治維新を目の前に生涯を閉じるが、これほどのスケールの大きな人物は、土佐の竜馬くらいしかみあたらない。ちなみに後に維新政府の中核を担う伊藤博文井上聞多などは、当時、晋作の足元にも及ばぬ存在であった。「晋作は思想的体質でなく、直観力の優れた現実家なのである」というのが、作者の晋作観である。(2019・5)