読書

アビール・ムカジー『カルカッタの殺人』(田村義進訳、早川書房、2019・7)

第一次世界大戦後の1919年、英国の植民地だったインドのカルカッタを舞台にした異色の推理小説である。作者は、インド系の移民二世のイギリス人で、会計士をしていたが、40歳で自らのアイデンティティー確立のために一念発起して稿をおこしたという。 …

乙川優三郎『R・S・ヴィラセニョール』(新潮文庫、2019・11)

作者はよく練られた文体で時代小説を書く作家として知られていた。数年前に『脊梁山脈』という大作で現代を描いて話題になった。今回の作品は、タイトルからしてどういう作品なのだろうと、思わせる意外性がある。レイ・市東・ヴィラセニョールという染色家…

篠田節子『ブラックボックス』(朝日新聞出版、2013)

ここのところ同じ作家の作品をいくつか読み続けてきた。本作 は、日本の農業が直面する課題と食の安全、研修を名目に劣悪な労 働条件のもと働かされる外国人労働者の問題など、極めて今日的な 社会問題にいどんだ力作である。朝日新聞で2010~11年に …

篠田節子『冬の光』(文春文庫)

玄人顔負けの腕で洋包丁を研ぎ終えた夫が、「勝手口に立つ妻に呼びかけ、柄の方を向けて手渡す。妻は無言で受け取る。ふっくらした右手で柄を握り、不意に尖った刃先をまっすぐにこちらに向けた。息を呑み、その手先と顔を交互に見る。研ぎ上げた刃先から青…

平野啓一郎『マチネの終わりに』(文春文庫)

芥川賞受賞作家であることは知っていたが、自分の娘たちより若いこの作者の作品をこれまで読んだことがなかった。最近新聞の書評欄で「ある男」というごく最近書かれた作品についての論評を読み、興味を惹かれ読んでみた。若くして事故で亡くなった夫の身元…

マヤ・ルンデ『蜜蜂』(池田真紀子訳、NHK出版、2018・6)

たまたま図書館で目にして面白そうだったので読んでみた。作者は、ノルウェー人の女性作家で、1975年生れ。これまで、児童文学などの世界で活躍してきた人で、2015年に発表した本作が大人向けに書いた最初のものだとのことである。ノルウェーで本屋…

篠田節子『肖像彫刻家』(新潮社、2019・3)

「二つ歳上の姉に、多摩市にある霊園に連れていかれ、墓石の前で土下座した。 『ほら、五十面下げて自分がどこで何してたか、ちゃんと報告して謝るんだよ』 凍るような風の吹きすさぶ高台に『高山家の墓』がある。姉の薫に後頭部を押され、正道は白御影石の…

平野啓一郎『ある男』(文芸春秋社、2018・9)

弁護士の城戸は、何年か前に離婚の調停をしたことのある里枝さんという女性から折りいった相談をもちかけられる。里枝は、離婚後、宮崎市の近くの小さな街にある実家に一人の男の子をつれてもどり、家業の文房具店を手伝っていた。しばらくして、そこに画具…

司馬遼太郎『翔ぶが如く』(文春文庫、全10冊)

明治維新後、成立したばかりの太政官政府は、1872年、最大の課題であった欧米諸国との不平等条約是正のため岩倉具視を団長とする大使節団を欧米に派遣する。その間の留守政府を預かったのが西郷隆盛、江藤新平らであった。西郷らは、維新政府による廃藩…

ヘニング・マンケル『イタリアン・シューズ』(柳沢由美子訳、東京創元社、2919・4)

主人公の元外科医で66歳のフレドリック・ヴェリーンは、スウエーデン東海岸にある群島の突端に位置する小さな島に、老いた犬と猫といっしょにたったひとりでひっそりと住んでいる。ときたま船でやってくる郵便配達人のヤンソンと一言二言言葉を交わす以外…

レオナルド・パドゥーラ『犬を愛した男』(寺尾隆吉訳、水声社)

作者は、現在のキューバを代表する作家で、1955年生れ。2009年に発表された本作は、邦訳でB5判700ページ近くにおよぶ超大作である。ロシア革命の指導者の一人で革命後スターリンとの政争に敗れて失脚して、祖国を追われ、1940年8月20日にスタ…

アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』(創元推理文庫、2018・9)

巻末の解説で川出正樹が次のように書いている。「アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』は、まごうかたなき傑作だ。2018年の時点で、二十一世紀に書かれ翻訳された謎解きミステリの最高峰といっても過言ではない」と。川出があげるその理由の第…

司馬遼太郎『世に棲む日日』(1~4巻、文春文庫)

坂本龍馬を描いた『竜馬がゆく』、大村益次郎の生涯をとりあげた『花神』を読んだ以上どうしても避けて通るわけにいかないのが、吉田松陰、高杉晋作を主人公にしたこの作品である。表題は、28歳の若さで生涯をおえた晋作の辞世の句「おもしろき こともなき…

岡田恵美子『言葉の国イランと私』(平凡社、2019・3)

著者は、東京外国語大学教授を経て、現在、日本イラン文化交流協会会長。ペルシャ語、ペルシャ文学の専門家で、1932年生まれというから現在86歳くらいか。 1958年に東京日本橋で開かれた「イラク・イラン発掘展」を訪れた著者は、そこで砂漠の砂に…

司馬遼太郎『花神』(上中下、新潮文庫)

明治維新史のなかで彗星のごとく頭角を現わし、軍神とまで呼ばれた大村益次郎こと、村田蔵六の生涯を描いたのが、この作品である。幕末・維新史で活躍する人物と言えば、西郷や高杉、竜馬、大久保らの名がすぐあがるが、大村益次郎は、これらの人びととはち…

ナディア・ムラド、ジュナ・クラジェスキ-著『THE LAST GIRL――イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語』(吉井智津訳、東洋館出版、2018・11)

イラクの北部にはクルド人の住む地域がある。住民の多くはスンニ派のイスラム教徒だが、シンジャールという山地を中心にヤズィディ教徒の人々がいる。ゾロアスター教などの系譜も引くというこの宗派の人々は、牧畜や農業を中心にひっそりと親密な暮しを営ん…

アライダ・アズマン著『想起の文化――忘却から対話へ』(安川晴基訳、岩波書店、2019・1) ,2018

原題はDas neue Unbehangen an der Erinnerungskulturである。直訳すれば、「想起の文化への不快」といった意味である。想起の文化とは、ヒトラー、ナチスによるホロコースト、ユダヤ人迫害、虐殺というおぞましい歴史を、これに対する反省をこめて記憶し、…

小川洋子『琥珀のまたたき』(講談社文庫、2018・12)

この作者は、現実と非現実との境界のような、ひそやかでいとおしく、落ち着いた世界を描くのを得意とする。それにしても、この作品がつくりだすのは不思議な世界である。 琥珀とは、オパールや瑪瑙とならぶ宝石の一種で、数千万年前の樹液が地層深くに固まっ…

南塚信吾著『連動する世界史――19世紀世界の中の日本』(岩波書店、2018・11)

刊行が予定されるシリーズ『日本の中の世界』(全7冊)の第1冊である。著者は、1942年生まれ、ハンガリー史、国際関係史の専門家で、千葉大・法政大学名誉教授という。日本の幕末、維新史を当時の国際関係のなかにおいてとらえるという志向は、最近の…

篠田節子『鏡の背面』(集英社、2018・8))

小野尚子は、DVDや性暴力の被害、アルコール中毒、薬物依存などから立ち直ろう とする女性たちのための救済施設、新アグネス寮を設立し私財を投じて運営の中心に座る 指導者、先生として親しまれ、尊敬されていた。一緒に暮らす不幸な過去を持つ女性たち に…

司馬遼太郎『梟の城』(新潮文庫)

作者の若いころの作品であり、1959年の直木賞受賞作である。いわゆる忍者もので、戦後の忍者ブームの走りになった作品といえよう。作者の作家としての地位を不動のものにした記念すべき作品でもある。しかし、後の一連の歴史小説がそれぞれの時代とそこ…

坂井律子『<いのち>とがん』(岩波新書、2019・2)

著者は2016年、NHKの編成局主幹に就任した直後に膵臓がんが発見され、2年間の壮絶な闘病生活を経て、2018年11月26日に58歳の生涯を終えている。教育、医療、福祉などの番組の制作、ディレクターを務めてきた著者は、2度にわたる大手術に耐え、一時は職場…

司馬遼太郎『関ケ原』(上中下、新潮文庫)

関ケ原の戦いは、壇之浦、鳥羽伏見の戦いとともに日本歴史上の三大決戦のひとつといわれる。この決戦に勝ったことで、家康の支配体制が固まり、その後300年近くにわたる徳川幕府の時代がはじまることになる。徳川方の東軍と石田三成方の西軍の合計十数万…

文在寅著『運命 文在寅自伝』(岩波書店)

著者はいうまでもなくお隣の韓国の現職大統領である。朴槿恵前政権下の圧政に対する民衆の粘り強いたたかい、いわゆるロウソク革命の結果誕生した大統領である。しかし、日本人の多くが、この大統領の経歴も政治信条もまったくと言っていいほど知らないので…

松本清張『像の白い脚』(光文社文庫)

第二次大戦後間もない1960年代のラオスを舞台にしたミステリーである。フランスにつづく日本の植民地支配からようやく抜け出したインドシナ半島は、アメリカの介入とこれに反対する共産勢力との間での内戦状態が続いて混とんとした政治状況にあった。旧…

司馬遼太郎『竜馬がゆく』(文春文庫全8冊)

作者の代表作中の代表作であり、おそらくもっとも広く読まれているのではなかろうか。あまりにも有名なのと、『坂の上の雲』で維新後の明治政権による朝鮮侵略、植民地化に目をつむって日露戦争とそれを契機とする軍国主義大国化を一方的に美化したいわゆる…

司馬遼太郎『峠』(上中下、新潮文庫)

司馬遼太郎の作品はこれまで『坂の上の雲』くらいしか読んで来なかった。歴史小説の大家であるから他の作品にも挑戦してみようとかねがね思っていたのだが果たさずに来た。妻に勧められて挑戦する気になったのがこの作品である。戊辰戦争とならんで維新をめ…

ナオミ・クライン著『「ノー」では足りない――トランプ・ショックに対処する方法』(幾島幸子、新井雅子訳、岩波書店)

カナダ人の女性であるこの著者の前作『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』や『これがすべてを変える-ー―資本主義vs気候変動』(いずれも岩波書店)は、新自由主義がもたらした極端な儲け第一主義とそれによる富の偏在、格差の拡大、貧困…

飯島和一『星夜航行』(新潮社、2018・6)

この作者には、天草の乱を描いた『出星前夜』や、後醍醐天皇の隠岐への追放をテーマにした『狗賓童子』といった作品があり、いずれも本格的な歴史小説で高い評価を得ている。この作者の作品に“はずれなし”といわれるが、今回の作品もその例にもれず、あるい…

ジュリー・オオツカ『あのとき、天皇は神だった』(小竹由美子訳、フィルムアート社、2018・8)

第二次大戦中、アメリカ在住の日系人は敵性外国人として強制的に収容所に隔離収容されていた。その辛い体験を描いたのがこの作品だが、2002年に刊行、翻訳が出されたものの絶版になっていた。トランプ大統領による移民排斥でふたたび注目を浴びるように…