松本清張『遠い接近』(文春文庫、2014・9)

  19721~72年に『週刊朝日』に連載された「黒の図説」のなかの一作である。71年というのは、作者が「昭和史発掘」を書き終えた年という。一番、脂の乗っていた時期といえよう。30歳をすぎて召集されて過酷な軍隊生活を体験した作者の自伝的要素も濃い作品である。軍隊の内務班での新兵にたいする凄惨な虐待の描写は、体験者ならではのリアリティがある。

 主人公の山尾信二は32歳になる色版画工で、多色刷りの印刷物の原板を描くしごとをしている。技術と繊細な感覚を要求されるしごとで、契約している印刷会社からの注文をこなすのに昼夜休む間もなく働いている。アジア・太平洋戦争の敗色が濃厚になりつつある時代で、町内会では成年男子を対象に軍事教練が実施されている。山尾は、腕一本で妻子を養っている身で、これに参加したくともとても時間が取れないで、欠席つづきになっている。 

 こんな山尾のところに、ある日一枚の赤紙が舞い込んでくる。3か月の教育召集である。サラリーマンや商店主などと違って、一人で仕事をこなす職人にとって、3か月といえども仕事から離れることは死活問題である。仕事先を失う危険にもつながる。年老いた父母と妻に子ども3人をかかえ、困り果てるが、国家権力による強制だから有無を言わせない。徴兵検査は乙種第二種合格で、30歳過ぎだから、教育召集から本召集になることはありえまいと、みずからを慰めて、とにもかくにも入営するしかない。そんなとき、たまたま顔を合わせた町内会の役員に、召集令状がきたことを話すと、「あんたはここの軍事教練に出ているか?」と問われる。欠席続きだと答えると、「ははあ、-----じゃ、反動を回されたな」という。その意味は、教練をさぼっていたから、役所の兵事担当者が懲罰のために召集令状を出したということである。山尾は、自分の事情も知らずに、そうした仕打ちをした役所の担当者に深い恨みをつのらせる。

 入営した山尾を待っていたのは、想像を絶する新兵に対する虐待であった。とくに安川という古兵からうけた残虐きわまる仕打ちは、終生忘れることのできないものであった。教練の動作が鈍いという理由で、広い営庭を重い銃を持って駆け回らせられるとき、信二はその苦しさに今にも心臓麻痺を起こしそうだった。安川の暴力は、軍靴の靴底で顔を殴りつけ、張り倒すというもので、その衝撃で頬骨が砕けそうだった。それだけでなく、柱にしがみついてミーンミーンと蝉の声をまねさせるセミ泣き、両側の机に手を支えて自転車をこぐ動作を繰り返させる自転車こぎなど、肉体的な虐待だけでなく精神的な屈辱をあたえる制裁なども、日常茶飯事であった。安川は長年の軍隊生活の鬱屈のはけ口として、信二への暴力をエスカレートさせているとしか考えられなかった。こうした体験を/を重ねるにつれて、理由もなく「反動を回した」役人への信二の恨みはますます昂じていく。

 そして、3か月の教練が終わろうとしたとき、山尾は予想もしなかった正式の召集をうける。行く先は、朝鮮をへて南方のニューギニア当たりとのうわさである。いよいよ、生きて帰れないばかりか、家族は路頭に迷うしかない。事実、一家は父の従弟をたよりに広島へ疎開し、そこで原爆に遭遇して全員死亡。幸いにも南方に送られず、朝鮮で衛生兵として終戦を迎えた信二が帰国しても、ただ一人呆然とするだけである。たまたま闇市で出会った安川は、軍の隠匿物資を流す闇屋として成功している。生きていくためにやむを得ずその部下になった山尾は、自分と自分の家族をこのような境遇に追いやった人物をつきとめ、復讐をくわだてる。その顛末はいかに?

 こんなストーリーである。国民を戦場に駆り立て不幸に追いやる国家権力の理不尽を、その実務を担当した個人の責任に局限して、復讐をはかるという設定はもともと無理がある。しかし、軍隊への召集が金銭や私情で動かされていたという事実は、作者の目の付け所の確かさを物語っている。(2018・1)