松本清張『渦』(文春文庫、1979)

  テレビ界ではいまも、プロデューサー、作家、俳優、そして何よりもスポンサーが、番組の視聴率に一喜一憂する。しかし、当の視聴率なるものが、どのような仕組みではじきだされるのか、はたしてそれにほんとうに信頼度はあるのか?そもそも自分の周りを見渡しても、視聴率測定のモニターを引き受けているとか、引き受けた経験があるといった人間に出会ったためしがない。視聴率とは、実体のない亡霊のようなもので、それにみんな振り回されているのではないか? こんな疑問は少なからぬ人がいまも抱いている。作者は、テレビ視聴率競争が過熱化する1970年代に、この問題に切り込む。なかなか目のつけ所は鋭い。

 劇団、城砦座の主宰者である古沢啓介のところに、ある女性から投書が舞い込んだ。そ女性の兄がテレビのディレクターをしているのだが、担当した番組の視聴率の低下を理由に仕事をほされ、事実上失業状態におかれ、悩んでいる。みるにみかねて、視聴率の実態について調査する方法はないかとの問い合わせである。かねがね、視聴率に疑問を抱いていた古沢は、良心的な番組作りで定評がありながら、低視聴率に悩む鷗プロダクションの代表、殿村龍一郎に相談を持ち掛け、同プロダクションに所属する照明係の平島庄次、事務の羽村妙子、そして、同プロに出入りする画家で、近くで喫茶店を営む小山修三の三人に調査を依頼する。3人は、視聴率調査専門のTYスタディ株式会社がある新橋駅北口の喫茶店に集り、張り込み調査を開始する。

 古島らのそれまでの取材で、テレビ視聴率調査のモニターは、関東地方だけで900万世帯というテレビ視聴者に対して、たったの500軒にすぎないこと。アルバイトの家庭の主婦らに依頼して、モニター世帯を10~15ずつ担当してもらい、視聴を記録したテープを毎週水曜日に回収して、TVスタディ本社に集め、その日のうちに視聴率の週間ベストテンを発表し、金曜日には全番組の視聴率を公表するシステムになっていることなどが明らかになっている。小山らの任務はまず、毎週水曜日の昼過ぎにTVスタディ者を訪れるアルバイト主婦の顔を覚え、尾行して自宅をつきとめること、そこからさらにモニター所帯を突き止めることである。

  それにしても、テレビ界を揺り動かす視聴率の調査が、たったの500世帯のサンプルでおこなわれているとは驚くべきことである。サンプル世帯、およびテープを回収するアルバイト主婦らは、TVスタディ社から厳重に口止めされていて、自分がモニターを引き受けていることは絶対に口外してはならないことになっている。数が少ないうえ、このような措置が取られているために、その存在自体が社会的にはほとんど知られないのである。

 平島らは手分けして、アルバイト主婦を尾行する。アルバイト主婦はいずれも生活に疲れた感じの女性たちで、都内はもとより、千葉から、神奈川から集まってくる。モニター世帯は、都心から渦巻のように郊外へと広がっているとのこと。表題の『渦』はそこからきている。主婦のなかには、たったひとりだが東京の町田に住む比較的若くて身なりも立派な美しい女性、尾形恒子もいる。

 アルバイト女性の身元が少しずつ明らかになってきたころ、神奈川県の大磯に住むという一女性の投書が新聞に載る。視聴率データ回収のアルバイトをしているというその女性によると、テレビモニターが買収されていて視聴率は不正に操作されているというのである。古島らはさっそく大磯を尋ねるが、新聞に記載された住所は存在せず、女性に会うこともできない。そうこうするうちに、TVスタディで視聴率調査の人とデータを管理する責任部署の次長が依願退職するという社告が出る。事実上の解雇である。内部告発との関係を疑われるが、つづいて町田の調査員、尾形恒子の失踪、解雇された次長の不慮の交通事故による死去といった不可解な事件が相次ぐ。それらの真相はいかに。ここからは、いわゆる推理ストーリーへと傾斜していく。視聴率追及そのものは、その意味で中途半端に終わる。しかし、重要な社会問題への切込みではある。

  テレビ視聴率をめぐっては、この作品も一つの契機になってその後社会的にいろいろ問題になり、改善もなされて今日にいたっているようだ。しかし、少ないモニター数など依然として解明され改善されるべき課題を多く含んでいるように思う。(2018・1)

 

デボラ・インストール『ロボット・イン・ザ・ガーデン』(松原葉子訳、小学館文庫、2016・6)

  ロボットと人間の交流をテーマにした近未来小説である。作者は、イギリスのバーミンガムに住む女性。子育てのさなかで、そこから多くのヒントを得て書いた本作がデビュー作という。

 舞台は、AI(人工知能)の開発が進んで、家事や看護など広範囲の仕事にアンドロイドが活躍するイギリス南部のある村。主人公のベン(34歳)は、法廷弁護士として活躍する妻のエイミーとは対照的に、親から譲り受けた資産のおかげで働く必要もなく自宅で漫然とすごしている。両親を事故で失った心の傷も癒えていなかった。そんな夫にいら立つ妻との関係も崩壊寸前になっている。

 ある日ベンは、自宅の庭で恐ろしく旧式なしかも半壊のロボットを発見する。最新式のアンドロイドとは雲泥の差で、言葉は発するがたどたどしく、動作もぎこちなく幼児のようだ。しかし、心に充たされないものを抱くベンは、このロボットになにか愛着を感じ、つきっきりで世話をするようになる。そんな夫にあいそをつかしたエイミーは、ついに離婚を決意し、家を出て行ってしまう。ベンは、ロボットにタングという名をつけて、会話をかわしながら、何とかこのロボットを修理して、元どおりにしてやりたいとおもうようになる。それには、タングを製造した人をみつけだす必要がある。タングの金属製の体に刻まれたわずかな文字を解読して、どうやらそのてがかりはアメリカに在住する人にあるのをつかむ。そこでベンは、タングを連れてアメリカへ旅立つ。こうして中年のダメ男とロボットの奇妙な旅が始まる。

 まず空港でひと悶着。ベンはタングを友人として扱うのだから当然、タングを乗客として飛行機の客室に席をとろうとする。ところが空港側は貨物として扱おうとする。説得してファーストクラスの客室にタングの座席を確保するのに一苦労。次にホテルに泊まろうとすると、ロボットの宿泊は認めないと断られる。やっとロボット同宿を認めるホテルを探し出すと、そこはロボットを性的に利用する施設で、ベンもそういう人間と誤解される。

そんなこんなで、文字通りの珍道中となる。

タングは、見た目は旧式で内蔵するシリンダーから液体が漏れるなど半壊状態なのだが、学習能力をもち、情緒、感情の機能もあり、認識、判断能力もあることを、ベンは次第に理解するようになる。はじめはたどたどしい言葉しか発しないが、だんだん会話能力が向上し、最初は「なぜ」とか「やだ、やだ」しか言わなかったのが、だんだんベンの言う事が分かり理解するようなっていく。まるで人間のこどものようだ。

 アメリカのカリフォルニアでロボット関係の専門家を訪ねてわかったことは、タングの製造者を知っている人は日本にいるカトウという人だということである。そこでベンはタングを連れて日本の東京をへと飛ぶ。東京はうつくしく、便利で、秋葉原にはベンとタングの興味をひく電気製品がなんでもある。そこですぐれたロボット学者のカトウに会い、タングの製作者は事情があって引退してパラオに隠遁していることを知らされる。そこで、2人はパラオにむかう。こうして地球を半周する旅を続けるうちに、タングとの交流を通じてベンは人間的にも成長する。エイミーとの関係も見直し、ふたたび二人の愛を復活させたいとの思いを強くするようになる。そこで、旅をおえて帰国した二人をまっていたのは?

 タングというロボットとを媒介に、ほのぼのとしたあたたかい愛情をはぐくむという話である。子育て中の若い母親が、自らの体験をこのような形で語っているところに、親しみを感じさぜる。(2018・1)