ロバート・B・ライシュ著『最後の資本主義――米国の良心、絶望と希望を語る』(東洋経済社、2016・12)

 著者は、現在カリフォルニア大学バークレー校公共政策大学教授。クリントン政権の時の労働長官である。1946年生まれ。アメリカの富がごく一部の富裕層に集中し、労働者の賃金と社会的地位が下落し続け、いわゆる中間層が消滅し、かつてのアメリカンドリィームが完全に消え失せてしまった実情をくわしく紹介し、なぜそうなったのかを解き明かす。それによると、「アメリカの最富裕の上位400人が所有する富が下位50%の富の合計を上回り、上位1%が米国の個人資産の42%を所有している。さらに、下位50%の家計が所有する富の割合は1989年時点では3%だったのが、現在は1%に下落している。このことを理解するには、富裕層の家計を平均的家計と比べてみるのが一つの方法だ。1978年、上位0.01%の家計は総じて平均的家計の220倍裕福だった。それが2012年には、1120倍に達している。物価調整後の数字で比較すると、フルタイムで働く人々の週当たりの賃金の中央値は2000年以降下落しており、自給の平均も40年前より低い」

 アメリカにおける富の偏在は極限にまできているといえよう。ところが、アメリカ国内での政治論議の中心は、市場か政府かという抽象論に終始している。そういう問題の設定では、富裕層によって彼らに都合の良いように市場のルールが改変され、それを促進するために政治献金からロビー活動、官僚の天下りみるように、政治的力が富裕層のためにだけ機能する状態は隠蔽されるだけだと、著者はいう。だれが市場のルールを支配して、富裕層にのみ都合の良いルールをつくりあげているのか、政治権力がそうした中でいかなる役割をはたしているのかを、直視する必要があるというのである。

 重要なのは、市場が極めて不公平なルールに支配され、ごく一握りの富裕層が詐欺同様の手口で莫大な富を労せずに手にするのに対して、労働者はグローバル化と技術革新によってますます職場を締め出され、低賃金に甘んじるしかなくなり、不正規労働、ワーキングプア―に身を落としていく、その不公平、不正をアメリカの圧倒的多くの勤労者が肌で感じ、倫理的に許されないと思い、そうした経済・社会のあり方に深刻な不信と嫌悪感を募らせているということである。本書が刊行されたのは、2015年だから、トランプ政権の誕生する以前であるが、本書のこうした分析はなぜトランプのような男が大統領に当選したかを理解するうえで決定的なカギを提示している。民主であれ共和であれ、もはやだれもが既成の政治家を信用することができない、既成の政治家でない第三勢力が現われるか、それとも民主であれ共和党であれ、そのなかからこれまでの政治と政策を根本から否定するような勢力がたち現れるしかないといった状況が、全アメリカ規模で熟成していると著者は警告している。この時点では、トランプは名前さえあがってこないのだが、著者の予言は、トランプ政権という形をとって実現したと言わなければならない。

 ところでなぜこのような富の偏在が極端なまでに進んだのか? 著者は、富裕層の利益を社会的に制限する社会勢力の後退、消滅をあげる。アメリカ民主主義はかつてさまざまな利害を代表する利益団体が政治的な発言力をもって政治に介在し、それによって相対立する社会勢力間のバランスが保たれていた。ところが1980年台以降、労働組合の後退、退役軍人組織や、全国小売店協会のような利益団体の衰退と、そうした社会勢力がいなくなって、一握りの富裕層――代表的なのは巨大企業のCEOであるが――によるやりたい放題がまかりとおるようになったという。いわゆる中間層の交渉力の減退である。

 著者は市アメリカ資本主義の将来を、一握りの富裕層、市場の支配者にたいする拮抗勢力の台頭に期待にかける。アメリカ資本主義の歴史において、富の偏在が進んだ際にかならず反作用が起こって事態を改善してきたという。例えば、1930年代のニューディールである。そうした拮抗勢力による新しいルールづくりに期待をつなぐのであるが、その説得力は残念ながら弱い。しかし、ゆがんだ形ではあるが、トランプ政権誕生の事実などがしめすのは、アメリカ資本主義の将来はそうした勢力の台頭にしか期待できないことも事実である。(2018・2)