ヴィクトル・ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』(岩波文庫、2016・6)

 中学生のころ、『ノートルダムのせむし男』という表題で子ども向けに翻案したこの作品を読んだことがある。醜い容姿を持って生まれたノートルダム寺院の鐘撞男の不幸な宿命に衝撃を受け、今も記憶に残っている。一度本物の作品を読んでみたいと思いながら機会がなかった。近年、岩波文庫で改訳本が出て、その第3刷りが書店で目にとまって購入した。たまたま風邪をひいて何日か寝込んだので、ベッドのなかで読破した。

 ユゴー(1802~1885)が1830~31年に書いた初期の作品だが、舞台は1482年のパリである。まず驚かされるのは、中世ヨーロッパの社会のありさまが実に生き生きと描き出されていることである。1482年1月6日、「パリの市民は、中の島(シテ)、大学区、市街区をとりまく三つの城壁の中で、いっせいにガンガン鳴り出した全市の鐘の音で夢を破られた」。こんな書き出しで始まるのだが、フランドルからの使節を迎える広場では聖史劇が上演され、らんちき祭りが行われる。広場に集まった多数の民衆のなかには、町民も学生も、ルンペンも、そして貴族も司教もいる。それらがかもしだす雑然とした熱気と活気が描かれる。そのなかには、貴族、支配者に対する民衆のつよい反感や批判もみることができる。

  らんちき祭りでは、らんちき法王を選ぶ行事が行われるが、これはもっとも法王にふさわしくない人物を法王に選んで、教会や宗教を愚弄する催しである。この日選ばれたのは、ノートルダム寺院の鐘撞男のカジモドだった。「四面体の鼻、馬蹄形の口、もじゃもじゃの赤毛の眉毛でふさがれた小さな左目、それに対して、でっかいいぼの下にすっかり隠れてしまっている右目、‐‐‐‐‐赤毛の逆立った大きな頭、両肩の間にむっくり盛りあがった大きなコブ」。要するに二目とみられない醜悪な姿である。

 こんな情景から、次にノートルダム寺院とパリの中世の建築物、市街についてえんえんと語られる大論述へとつづく。いったいこの作品は、なにを描こうとしているのかと疑いたくなるのが前半である。

 しかし、山羊を連れた美しいジプシーの娘、エスメラルダが登場し、この娘とその恋人、王室親衛隊長で見かけだけで中身のない男との逢瀬、エスメラルダへの狂おしい想いと嫉妬に取りつかれた副司教のクロード・フロロのよこしまな策略と執念、死刑を宣告されたエスメラルダをノートルダム寺院にかくまうカジモドの純愛へと、話は愛と情熱の折り重なる壮大な悲恋、悲劇へと展開していく。エスメラルダを奪い返そうと決起するジプシーや盗賊、ルンペンなどからなる大群衆が、ノートルダム寺院をとりかこみ、厳重な寺の門をぶち破って、突入しようとする。そのとき、エスメラルダを守るためにこの群衆にたいしてただ一人勇猛果敢に抵抗するのはカジモドであった。

    クロード・フロロの策略で寺から連れ出されたエスメラルダは、愛を語り苦しい胸の内を告白しつつ、自分を選ぶかさもなくば死刑をと迫るクロードにたいして、「あなたは人殺しだ」と最大の侮辱で答える。絞首台につるされる直前に、エスメラルダは永年探し求めてきた実の母に遭遇する。最愛の娘を探して15年間、世を捨てひたすら祈りの暮らしを続けてきた母は、娘を救おうと必死の抵抗をする。しかし、王の命によると娘の絞首刑は執行される。ノートルダム寺院の鐘撞塔からその情景を目撃したカジモドは、エスメラルダを寺から連れ出し、死刑執行人に手渡した自分の上司、育ての親であるクロード・フロロを、寺の高い塔から突き落とす。

   以来、カジモドの姿は寺から消える。何年か後に、エスメラルダを葬った墓の中で、エスメラルダの遺骨をいだく背の曲がった男の骨が発見される。

 この作品には、国王から司教、親衛隊、詩人・哲学者、医者、学生、町民、浮浪者、ジプシーと、当時の社会のあらゆる階層の人々が登場する。それらの人々によって中世社会の全体像が見事に浮き彫りにされるのである。後の『レ・ミゼラブル』もそうだが、ユゴーの大作家たる所以がここにあるとの感を抱かせる。(2018・2)