満蒙開拓少年義勇兵、島倉健吾さん

 

  敗戦の翌年、一人の青年が県庁を訪ねてきた。ソ連の侵攻後日本軍に見捨てられた「満州」から命からがら帰還したものの身寄りがなく、途方に暮れてのことであった。島倉健吾さんといった。たまたま応対したのが当時県庁の職員だった私の父である。父は、満蒙開拓団を募集し現地に送り込む仕事を担当していた。青年を「満州」に送った責任を感じたのか、父はこの青年を上越市にあったわが家に連れ帰った。そして私たちは何年かを家族の一員としてこの青年といっしょに過ごした。

 小学生だった私は、この青年がかなり重度の結核を患って青白い顔をしていたこと、俳句をつくる文学青年だったことしか覚えていない。何時も軍服姿でわが家の農作業を手伝っていたが、数年後に結核が悪化し、柏崎にあった結核療養所に収容された。そこから何回かわが家へ手紙がとどいたのを覚えているが、間もなく20歳そこそこで生涯を終えた。満蒙開拓少年義勇兵の一人である。

 私の両親も弟も他界したいま、この青年を記憶するのはこの世に私一人しかいない。せめて記録にとどめたい。