進駐軍

   日本はアメリカに占領されたが、山の中で暮らしていた私たちは進駐軍の実際の姿を目にすることはなかった。そんな私たちにとってとくに記憶に残ること一つは、ナトコの映画である。

 ナトコとはナショナル・カンパニーの略で、アメリカの占領軍によって日本国民宣撫を目的につくられ、全国で上映された16ミリ映画である。その多くは、アメリカの文明や高度な消費生活を紹介、宣伝するものであった。なんの娯楽もない山村で、この映画の上映は私たちにとって最大の娯楽の一つであった。映画が上映される夜になると一家総出でわざわざ足を運んで小学校まで行き、校庭に張られたスクリーンを前にござをひいた地面に座って鑑賞した。立派な高層ビルが林立する街並みを自動車が走り回り、電気冷蔵庫や洗濯機のある家庭生活に度肝を抜かれ、世の中にこんなすばらしい生活をしている国があったのかとただただ驚くばかりであった。このナトコ映画で、わたしたちはすっかりアメリカ崇拝者になったようにおもう。その意味では、占領軍にとってはこの映画作戦は大成功だったといえよう。

 もう一つは、青少年赤十字の名によるプレゼントのことである。戦後2年目だったかと思うが、どういう経緯からかわからないが、国際青少年赤十字なる団体からの食料品の贈り物が山奥の小学校に届いた。占領軍の手配によるものにまちがいなかろう。全校生徒をならばせて、先生が一人ひとりの生徒の口を開けさせて、プレゼントを口に落としていく。最初に黒っぽい豆粒のようなものが三、四粒口のなかに入った。かんでみると、甘酸っぱいなんともいえぬおいしさである。こんなうまいものは初めてだ、というのが実感だった。これがいわゆるレーズンだと知ったのは、それから何年もたってからであった。つぎに、先生が何やらチューブのようなものおを押して、白く柔らかい液状のものを出して、ほんの少し口にふくませてくれた。なんとも爽やかで甘くすっきりした味である。甘くてこんなすがすがしい珍味は初めてだと心から感動したのを覚えている。これも後から知ることになるのだが、実はチューブに入ったハッカの効いた練り歯磨きであった。当時日本では、歯磨き粉を使用していて、練り歯磨きは存在しなかったのである。だから、私にははじめて味わう世にも不思議な珍味と感じられたのである。これも、赤十字という組織を通じてではあるが、わたしが占領軍について羨望をこめ認識を新たにした直接の体験であった。

 当時は、占領軍によってきびしい報道管制がしかれ、米軍やアメリカにとって都合の悪いことは一切報道されなかった。そういう条件のもとで、ナトコ映画や贈り物による宣撫がおこなわれれば、私のようなこどもがアメリカびいきになるのは自然であった。アメリカへの憧憬と高い評価は、当然ながらその半面で、自分の国の過去、現在に対する全面否定、卑下につながっていった。私たちの世代にとってそうした傾向はある程度共通していたのではなかろうか?アメリカが沖縄、小笠原を占領し、本土でもいたるところに軍事基地をもうけてほしいままに振る舞っていたことなど、私たちは何一つ知るよしもなかったのである。

  私がアメリカ占領軍にたいして、認識を改める最初のきっかえとなったのは、占領軍最高司令官・マッカーサーが、「日本人の精神年齢は12歳だ」と発言したのを知ってであった。このとき、大変な侮辱と受け止め、“ひどいことをいう”と強く反発したのを覚えている。「マッカーかーサーの鼻真赤」と、戯言を口にしたのもそのころからではなかったかとおもう。

 

  

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