ナオミ・クライン著『これがすべてを変える――資本主義vs気候変動(上下)』(豊島幸子,新井雅子訳、岩波書店、2018・8)

 著者はカナダの女性ジャーナリスト、作家、活動家。1970年生まれ。大著『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(2007年)が、政治変動や自然災害に便乗して大もうけをする企業の実態を世界的な視野で暴き出して各界に大きな衝撃を与え、さまざまな国でベストセラーとなった。イラク戦争からスリランカを襲った津波など世界各地へ精力的に出かけて取材し、豊富な事実で大企業のあくどい営利追求の実態を暴き出している。スケールの大きな、これぞ本物のジャーナリストというのが、この著作を読んだ時の私の感想である。名前からあるいは日系人かと推測したが、そうではなく、ユダヤ系のカナダ人である。この著者が、今回挑んだのは地球温暖化問題である。

 前半では、地球温暖化の憂うべき実情と深刻化するその被害、予測される恐るべき将来の予見が豊富な事実で語られる。これ自体で、大変な労作といえよう。しかし、本書の最大の特色は、地球温暖化をもたらす石油企業の世界的な展開に対して、これに立ちはだかる世界中の人々のたたかいに焦点をあて、やはり世界各地を取材して、そこから人類の将来への希望を語っている後半にある。

 CO2の排出は近年、シェール石油、ガス、サンド・オイルの採掘、そのためのフラッキング工法(特殊な化学薬品を混入させた水圧破砕)、いたるところで流出の恐れのある長いパイプラインの設置などによって、飛躍的に増加しただけでなく、地域的にも辺境だけでなく大都市部をも巻き込むようになってきている。そのため、ギリシャで、イギリスで、あるいはカナダ、アメリカの先住民の居住地域で、南米のコロンビアで、アマゾンの森林地帯でと、世界の各地でこれにたいする抵抗運動が広がっている。化石燃料からの投資撤退・再投資運動、リスクの高い採掘を禁止する地方自治体、先住民やこれと連帯する他の人々とによる勇気ある法廷闘争などである。これらの運動は、化石燃料企業の採掘拡大をはばむだけでなく、経済の代替え案を提案したり、創造することによって、地球の限界をみとめ、その中で自然と調和をとりながら生きる生き方、暮らし方を提示しているのが特徴だという。

 本書の刊行は2014年だが、著者が取材を始めた5年前には、そうした抵抗運動の大半は存在しないか、存在してもごく小規模だったし、相互の連携もなかったという。北米ではオイル・サンドが何かを知る人はほとんどおらず、フラッキングなど聞いたこともない人が多かったという。気候変動を食い止める大規模なデモなど、北米では考える事すらできなかったという。それがいまでは、世界的な規模でプロケディアが形成され、フラッキングや山頂除去石炭採掘に反対する活動家がバスを連ねてワシントンDCへのりこみ、フラッキングの手法が持ち込まれようとしているとを知ったフランスの活動家が、カナダのケベック州環境保護団体と連絡をとり合うなど、世界的な規模のネットワークと運動の連携が進んでいるという。

 著者は環境問題を重視するかのように振る舞う大企業家の欺瞞を批判しながら、下からの草の根の運動にこそ気候変動に立ち向かう本当の力と希望を見出すことができると、確信をもって断言する。「今や私たちを救うのは大衆による社会運動だけだということになる。野放しにすれば現行のシステムがどこへ向かうか、私たちにはわかっているからだ」といのが、著者の結論である。

 幸か不幸か、日本ではシェール・オイルやサンド・オイルの採掘はおこなわれておらず、フラッキングも実施されていない。だから、われわれはその被害に直接さらされる経験をしていない。そのせいもあって、クラインが紹介している環境を守るたたかいのひろがりに、なかなか実感が伴わないのが事実である。それだけに、世界各地の民衆のたたかいに、大いに学ぶ必要があるというのが、私の読後感である。(2018・3)