不破哲三著『「資本論」探求――全三部を歴史的に読む』(新日本出版社)

  資本論』刊行150年を記念しての雑誌『経済』連載(2017年5月~12月)に加筆、訂正したものである。ある程度の予備知識をもって『資本論』に挑戦しようとする人にとって、最良の手引きと言ってよいであろう。

   副題に「全三部を歴史的に読む」とあるように、著者は、マルクスが約40年にわたって研究し、残した膨大なノートを丹念に読み込み、精査して、『資本論』がどのような理論的模索と探求の道をたどってきたのかを十分に飲み込んだうえ、その要点を的確に紹介し、これから読もうとする人に親切な助言を与えてくれる。

    まず『資本論』の最大の値打ちはどこにあるか。著者は『資本論』第一巻第二版のあとがきでマルクス弁証法について論じた有名な文章を引いて次のようにのべる。「マルクスの経済学は、資本主義社会の現在の状況の単なる解剖学ではありません。この文章が表現しているのは、この経済学は資本主義を過去から未来にいたる人間社会の歴史のなかでとらえ、資本主義社会の発展と没落の全過程を解明する経済学だという事です。そのことが『肯定的理解』と『必然的没落という二つの言葉に込められています」と。マルクス以前のすべての経済学が、資本主義社会を永遠につづく社会の普遍的なありかたととらえて疑わなかったのにたいして、資本主義社会を人類の歴史のなかの一つの経過的段階ととらえる、ここにマルクスの理論全体を貫く最大の特徴、真価がある。このことをきちんとおさえてかかることの重要性を、著者が最初に強調していることに注目したい。

    本論は、商品の交換価値と使用価値の二重性についての解明からはじまって、商品から貨幣へ、貨幣から資本へ、労働力商品の発見と剰余価値の秘密の解明へと、すすむ。そして資本の蓄積過程を解明するのだが、そのなかでたえず労働者階級の状態と歴史的な使命に目を配っている。

   『資本論』はマルクスが完成稿を作り上げたのは、第一巻だけで、第二巻以降はマルクスの死後、エンゲルスが膨大な遺稿から編集したものである。その遺稿を精査した著者の真価は、資本の流通過程をあつかう第二巻の解明にみることができる。つまり、マルクスの恐慌論についての卓見である。恐慌がなぜおこるか、その可能性と根拠についてはこれまでいろんな人が紹介してきた。著者は、それが実際に現実になるには、恐慌の運動論が必要で、マルクスがそこまでふみ込んでいるのを、商業資本と信用制度の役割など、実際の草稿をしめしながら紹介する。そして、マルクスは、資本の循環が破綻をきたす恐慌についての理論の仕上げを未完のまま残したと推定する。また、恐慌論の探求の過程で、恐慌から革命へというそれ以前の考えを、マルクスが根本的に改めたことを指摘する。これは、革命論にとって決定的ともいえる転回である。

    第三巻については、マルクスは最初の草稿を残しただけで、まったく未完のままであった。エンゲルスがこれを編集するのに何年もかけて大変な苦労をするのだが、その過程でマルクスの草稿を誤読したり、それによって見当違いの補筆をしたりもしている。そのことをいちいち指摘できるのは、実際に草稿にあたっている著者ならではである。とりわけ重要なのは、マルクスが第三部の本論として書いた部分と、史料や別の問題意識でメモをした部分とを書き分けていたのをエンゲルスが見落として、いっしょくたにして編集してしまったと指摘していることである。そして、どの部分が本論で、どの部分がメモ書きだったのかを仕分けして示してくれる。これによって、第三部がはじめて読んで理解できるものとして提示されることになったのである。このことの意義は計り知れない。

 本書の最後には、「マルクスと日本――探求の旅は終着点を迎えた」という補論的な章がある。著者は、『資本論』でマルクスが日本についていくつかの箇所でふれているのに注目し、日本についての知識をマルクスはどこから手に入れたものか、何回か書いて来た。これに触発されて、研究者の間でもその探求が引き継がれてきた。本書の最終章は、その最新の到達点をまとめたもので、興味深い読み物となっている。(2018・4)