豊下樽彦著『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交』(岩波新書、1996)

 ごく最近読んだ白井聡著『国体――菊と星条旗』(集英社新書)で紹介されていたので、初めてこの本の存在を知った。一番よく読む岩波新書なのになぜこれまで知らなかったのか、不思議である。これは日米安保条約がどのようにして成立したかを分析した貴重な研究であって、戦後日本の政治史を解くうえで欠くことのできない必読文献である。著者は、本書刊行当時、京都大学法学部准教授で、1945年生まれである。

 本書が書かれた直接の動機は、「はしがき」に以下のように記されている。「かつて読売新聞の防衛担当記者として活躍された堂場肇氏が取材の過程で収集された膨大な資料(現在は「堂場文書」として青山学院大学に所蔵)のなかから、60年代の後半に外務省条約局法規課が取りまとめた『平和条約の締結に関する調書』と題する一連の文書をみる機会にめぐまれた。1950年秋からサンフランシスコ講和会議までの1年間に関するだけで1300頁を越える5冊の『調書』と、それらに付された資料集としての『付録』が作成されているが、これら『調書』と『付録』こそ、82年の公開文書の“原文”と考えられる。これらを読みこむことによって、これまで文書の「非公開」のために“空白部分”となってきた、安保条約の成立過程におけるバーゲニングの問題はもとより、基地提供の性格付け、「集団的自衛権」の位置づけ、「極東条項」への対応、「朝鮮有事」の評価、「安保タダ乗り」論の生成の背景など、今日の論争点にも直結するような諸問題を、新しい角度から捉えなおすことが可能となった。しかし、何よりも重要なことは、これらの文書と米側の史料とをつきあわせることによって、はたして安保条約は吉田茂首相の「ワンマン外交」の所産としてのみ捉えることができるのかという根本的な疑問が生じてきたことである。そこからは、吉田を“超える”ところの昭和天皇による「天皇外交」とも呼ぶべきべクトルが外交過程に介入したことが、安保条約のあり方に決定的ともいえるインパクトを及ぼしたのではないか、という一つの「仮説」をさえたてることができるのである」

 ここには、本書の内容の核心が端的に述べられている。講和条約にともなう日本の安全保障について、政府、外務省は当初、国連憲章にもとづく集団的安全保障の枠組みで、国連からアメリカへの委託として、日本に軍隊を駐留させることにし、日本はこれに対して基地の提供という便宜をはかる、すなわち日米の双務的な関係による条約を考えていた。したがって、国連による集団的安全保障の一環として東北アジアに非武地帯を設置する案も検討されていた。ところがアメリカは、日本の安全保障を国連からきりはなし、日本の強い希望に米側がこたえて軍隊の駐留に応じるという、論理でのぞむ。米軍の駐留はアメリカの権利であって、日本の防衛を目的としたものではなく、極東におけるアメリカの戦略の必要によるものである、したがって、いつでもどこへでも、自由に行動できる権利、すなわち全土基地方式が当然である、というのが米側の論理であった。このようにして他に例をみない屈辱的な主権侵害の差別条約をおしつけられる結果になる。

 筆者は、これはベテラン外交官であった吉田茂首相の無能によるものと決めつけるわけにいかないのではないかという。基地提供というカードをはじめから提示ししかも全土基地方式をあっさりみとめるなど、外交の常識では考えられないという。吉田が、講和会議への出席をぎりぎりまで渋るという常識では考えられない態度をとったのも、安保条約が吉田の意にそわなかったためで、署名したくなかったからではないかというのが、筆者の推理である。すなわち、吉田外交とは別に昭和天皇による別の外交が働き、臣・茂はその圧力に屈したのではないかというのである。

 中国革命、朝鮮有事、国内での左翼勢力の伸長などの当時の内外情勢のもとで、“象徴”となったものの、なお主権者意識を持っておった天皇がなによりもおそれたのは、ソ連の干渉または共産革命により天皇制が廃止されることであった。これを防ぐためには、沖縄を提供し、全土基地方式による米軍の駐留を自ら提起するしかない、というのが天皇と側近たちの考えであった。萬世一系の天皇の「国体護持」こそ、何をおいても守り抜かなければならない、昭和天皇の絶対的な使命であった。そのために天皇は、首相、マッカーサーではなく、アメリカ政府に直結するルートまでつくって、みずからの意思を米側に伝えつづけた。天皇を崇拝し、臣・茂として頻繁に内奏を繰り返していた吉田は、その意志に逆らうわけにいかなかった、というのである。筆者は、一つの仮説として提起しているが、これが真実ではないか、だとすれば昭和天皇の罪は計り知れないことになる。白井が「国体」は戦後もつづく、ただしアメリカを主権者として、と説くのもうなずける。(2018・5)