ルドガ―・ブレグマン著『隷属なき道――AIとの競争に勝つ』(野中香方子訳、文芸春秋)

 

 著者は、1988年生まれ、オランダの歴史家、ジャーナリスト。本書は、オランダで2014年に刊行、国内でベストセラーになり、現在までに20ヶ国で出版が決まっているという。帯の宣伝文句によると、「ピケティに次ぐ欧州の新しい知性の誕生」という。

 資本主義が高度に発展し豊かな社会を実現したにもかかわらず、その富がごく一部の富裕層にかたより、社会的格差がひろがり、労働時間は長くなる。加えて、AI(人工知能)の利用がますます高度に発展し、肉体労働だけでなく知的労働の多くもロボットが担うようになっていくなら、労働者が職を失い、社会的な格差、貧富の差はいよいよ拡大せざるを得ない。中流は崩壊し、青年は未来への希望を失い、いまやうつ病は10代の若者の最大の健康問題になりつつある。資本主義社会は、なんとか抜本的な手を打たなければならないところへ来ている。これがまだ30歳にもならない著者の問題意識である。

 高度に発達した生産力を生かすなら、富を思い切って再配分し、労働時間を抜本的に短縮する、そして国境を開放することによって労働力の自由な移動を可能にする、これが著者の提案である。働いているか否かにかかわらずすべての国民に必要な生活費を保障するベーシック・インカムの実施、一日3時間労働、週15時間への労働時間の抜本的短縮、そして、どこの発展途上国からであれ、豊かな国へ自由に移住できるよう国境を思い切って解放すること、そうすれば人類が多年にわたって夢見てきたユートピアが実現するはずだ、というのである。 

 著者はこうした提案が、今日の資本主義の発展の到達点から実現可能であることを、歴史的な実例によってしめそうとする。ベーシックインカムについては、これまで実験的に実施してきたケニヤ、ウガンダ、カナダでの実例を紹介し、ベーシック・インカムで生活を保障されたら、人間は働かなくなり、怠惰になるという社会的偏見を論駁する。収入を保障された貧しい人々は、学び生活の計画を立てるゆとりができ、したがって長期的に見れば社会的経費の節減にもつながる、という。そして何よりも、アメリカで1960年代にニクソン政権がこの制度を実施しようと計画したのだという。欠乏と貧困こそ、人間を駄目にし、人々のIQを下げるもという。

 労働時間についてはどうか? 1930年にケインズは、2030年には、人々の労働時間は週15時間になると予言した。ところが、産業革命以来続いた労働時間の短縮は、1970年以降突然ストップした。消費をあおり、拡大するために、資本主義は借金しても物を買うことを労働者にすすめ、強制するにいたり、消費生活を維持するためには長時間働かなければならない仕組みを作り出してきた。そのため、労働時間は短縮するどころか、ますます伸びるに至っている。加えてAIロボットによる労働の代替えによって、多くの労働者が職を失うにいたる。これを避けるために労働時間の抜本的短縮は避けがたくなっている、という。

 中世フランスでは、一年のうち半年は休暇だったという。1930年のケインズの時代より、2000年には少なくとも社会は5倍豊かになっている。労働時間を思い切って短くする社会的条件は十分整っている。そして労働時間の抜本的短縮によって解放される自由な時間こそ、人間の人間らしいくらしと進歩の最大の保証になるという。ここでは、カール・マルクスも引き合いに出される。国境の解放についての著者の主張はよく理解しにくいのだが、それによって豊かな国の労働者の仕事が減るようなことはなく、むしろ世界の総生産は大きく成長する、富の偏在の要因は、国境にこそある、というのがその主張である。

 著者によれば、今日、左翼が“負け犬の社会主義者”になってしまって、このような大胆な、変革への勇気も熱意も失っている。ここにこそ最大の問題があるという。奴隷解放も、女性の選挙権も、同性婚の容認も、その時代には途方もない非常識で、それらを唱えた人々は狂人とみなされた。「だがそれは、彼らが正しかったことを、歴史が証明するまでのはなしだった」という。

ここで提起されていることは、生産手段を私的営利のためにのみ運用する資本主義的所有制を社会的な所有・管理・運営にかえること、すなわち生産手段の社会化によってこそ実現されうるであろう。著者はその一歩手前まで接近している。(2018・5)