忠犬ジョン

 私の子どものころを語るのに欠かせない一つに、犬のジョンのことがある。小学2年生のときだったかと記憶するが、山の中に捨てられていたのを抱き上げて家に連れ帰った。いわゆる柴犬の雑種だが、子どもの手の平に乗るくらいの小さなかわいい子犬だった。どうしても飼いたくて、両親に頼み込んで許可を得るまで必死だった。自分の3度の食事を削って世話をするからと説得につとめて最後に両親が折れた時には、天にも昇るほどうれしかった。以来、私の毎日はこの子犬とともにあった。山のなかだから、犬をつなぐ必要はなく、何時も放し飼いである。朝、玄関の戸を開けると、一目散に走りだしていく。野山をかけめぐってしばらくすると戻ってきて、しっぽを千切れるように振りながら私に飛びついてくる。たちまちのうちに私たちは無二の親友、パートナーとなった。いっしょに走りまわり、じゃれあって時のたつのを忘れて遊んだ。

 兄のこともあり、幼い妹たちの世話もあり、私は両親から放っておかれることが多かった。それもひがみの原因の一つになっていたのだろう。家庭内でなんとなく疎外感をもっていた。そのうえ、おとなしくしずかな弟と対照的に、私は気性がはげしく、情緒不安定で、親に対して常々反抗的であった。だからよく衝突して、家を飛び出した。ジョンはそんなときにいつも私のそばにいて、慰め、癒し、励ましてくれる親友だった。一人ぽっちになった私は、土蔵の裏や畑の片隅、あるいは近くの山腹にひとり腰を下ろし、ジョンの首や頭をなぜながら暗くなるまで時をすごすことも少なくなかった。ジョンといると気持ちが和み、落ち着くことができた。

 ジョンはその後犬の病気であるジステンバーをわずらい、常時首をひくひくさせる不随意運動の後遺症がのこり、かわいい子犬のころの姿は見る影もなくなってしまったが、私の忠実な友であることに変わりなかった。しかし、高校入学とともに、私は学校のあった高田市内の叔母の家に下宿するようになり、ジョンとの暮らしに終止符をうつことになる。それでも、毎週土曜日に帰宅すると、全身で喜びをいっぱいに表して歓迎してくれた。それは、私が東京の大学へ行くようになってからもかわらなかった。毎週末でなく、夏休みと冬休みの年に二回しか帰省しなかったが、帰るたびに、文字通り狂喜して飛びついてきた。その頃は、すっかり老いぼれになっていたのだが。

 私が不在になってからのジョンには後日談がある。当時、父は村長で5キロメートルほど山をくだったところにある村役場へ毎日通っていた。父はジョンにはまったく関心を示さなかったのだが、私がいなくなった後、ジョンはなぜか父によりそうようになった。そして、毎日、父について村役場へ“出勤”しだした。村役場の入口に一日中座って父の帰宅を待つのである。“忠犬ジョン”として村ではちょっとした評判にもなったという。父が出張で遠出するときには、父が乗ったバスを追っかけて走り、バスが見えなくなるとすごすごと役場へ引き返したという。ジョンは私が大学在学中に老衰で生涯を終えた。亡骸は、郷里の家族の墓地に葬られている。