マイケル/ウォルフ著『炎と怒り』(早川書房)

 米トランプ政権の内情を暴露した著作で、原書は2018年1月発行。当初初版15万部の予定だったが、トランプ米大統領ツイッターで「出版差し止め」を要求したため、一躍話題になって100万部を追加重版し、発売と同時に売り切れたという。日本語版はその1カ月後に出ているからものすごいスピード翻訳である。12人の訳者による集中作業で実現したものだ。日本語版も話題になって、書店に平積されていたが、買うのも馬鹿らしいと市立図書館で予約したら、何百人かの先約があり、ようやく最近になって借り出すことができた。

 そういう経緯で期待して読みだしたが、読後感は半ばがっかりである。なによりも筆者の立ち位置があいまいで、なにを目的に取材して書いたのか定かでないことである。そのため、よく取材していることは分かるが、突っ込んだ分析もなく、筆者の主張もあいまいで、500ページに近い大著が雑然としたゴシップとスキャンダル情報にあふれているというのが率直な印象である。そもそも筆者はもともと政治的にトランプに近いジャーナリストで、大統領選挙中からトランプ陣営に入り浸っていて、トランプ政権成立後はホワイトハウスに自由に出入りしていたというから、むりもない。しかし、とにかくアメリカ政治史上他に例をみない御粗末で支離滅裂な政権が誕生したことだけはよくわかる。そんなわけで、内容の紹介というよりいくつか印象に残った事だけを記しておく。

 ひとつは、トランプ大統領を生んだ先の大統領選挙で、トランプ本人をはじめ共和党を含む政財界はもとより、右派をふくむジャーナリズムなどのだれもがよもやトランプが当選するとは予想もしなかったということである。それほど、トランプが政治家として未経験、無定見だっただけでなく、人間として知的にも人格的にも欠陥だらけの、知人からも信用されない人物だったということである。驚くべきは、そのことが選挙をたたかったトランプ陣営のほとんどの人々にとっても例外ではなかったということである。選挙を仕切って政権の首席戦略官を務めて辞任に追い込まれるスティーブ・バノンがトランプを「無能」呼ばわりしていた事実に、そのことは端的に示される。

 ふたつ目に、トランプ陣営、政権は、三つの政治的要素から成り立ち、その三つの要素の錯綜した、内紛、いがみ合い、非難と中傷合戦から構成されていたということである。その第一は、極右のティーパーティーなどに連なるスティーブ・バノンらである。トランプを操り移民問題を正面にすえて口汚い排外主義を煽りたてた中心はこの連中である。第二は、大統領首席補佐官に就いたが解任されるラインス・プリ―パス共和党全国委員長に代表される共和党主流派の人脈である。この人脈を欠いては、トランプ政権は議会対策ができないのである。第三は、トランプの娘、イヴァンカ・トランプとその夫、ジャレット・クシュナーに代表されるトランプの身内である。ホワイトハウスで大統領の身内が実権をにぎるのが、この政権の特異な性格だが、実は、イヴァンカにしろクシュナー―にしろもともと民主党系の人物で、バノンなどとは政治的色合いをいちじるしく異にしている。筆者によれば、トランプ政権内ではこの身内が次第に実権をにぎり、バノンらは排除されていくのである。

 ここから第四になるが、トランプ政権は選挙運動中から政権成立当初に顕著だった極右ナショナリズム、人種主義といった極端な傾向が多少薄まり、共和党オーソドクスに近い状態に変質してきているのではないか、ということである。筆者がそう断じているわけではないが、筆者によるとバノンらは政権から排除されて、政権に対抗して本来の右翼運動を展開しだしているという。トランプ政権と北朝鮮との対話、米朝首脳会談への動きなどに、この政権の政治的立ち位置の変化がしめされているのではないかと推量するのは早計であろうか? それにしても、トランプのような人物が、何人もの予想を裏切って大統領に当選するところに、アメリカ国民、特に白人労働者のなかでの既成政治に対する不信と不満の強さがはっきりと示されていることを、改めて痛感させられる。(2018・5)、