出久根達郎『漱石センセと私』(潮出版社、2018・6)

 作者は、『佃島ふたり書房』で直木賞(1993年)を受賞した作家で、1944年生まれ。古本屋を経営しながら、作品を書いてきたという奇特な経歴の持ち主である。『本のお口汚しですが』で講談社エッセイ賞、『半分こ』で芸術選奨文部大臣賞を受賞しているベテラン作家である。残念ながら、私にはなじみがなく、この人の作品を読んだのは今回が初めてである。

 タイトルから、漱石との交流をテーマにしたものかと想像していたが、そうとはいえない。漱石愛媛県の松山中学に赴任したさい下宿した家の娘、当時少女だったより江と、その夫で東大を出て福岡医科大学耳鼻咽喉科の教授となる久保猪之吉との恋愛を主題にした作品である。たまたまより江の家に漱石が下宿し、そこへ正岡子規が転がり込んできて、その同人たちが集まって句会をひらく、そんな中でより江は漱石、子規らに接しながら過ごす。この家には、爪まで黒い黒猫がいて、福をもたらす縁起の良い猫と可愛がられている。漱石が熊本の高校に転勤する際、この黒猫が漱石についていく。漱石は、鏡子夫人と結婚し、熊本で所帯をかまえる。より江は祖父とともに熊本へ漱石を訪ね、初めて会う鏡子夫人とも親しくなる。そこでたまたま東大生で夏休みの旅行中の久保猪之吉に出会う。それが機縁となって,より江と吉之助の文通がはじまる。女学校を出たより江は、東京の高等女学校への進学を決意し、受験勉強にかかる。文通相手の猪之吉に家庭教師になってほしいと依頼し、猪之吉はこれをうける。手紙のやり取りをつうじて、二人のあいだにほのかな恋心が芽生えていく。

 漱石が留学でイギリスへ旅立つと、鏡子夫人は東京の実家へ戻る。進学したより江は上京して東京暮らしになり、鏡子夫人を訪ねる。そこでイギリスから送られてくる漱石の手紙を鏡子夫人から見せてもらう。おりしも鏡子夫人に第二子が誕生し、その名前をめぐって漱石と夫人のあいだで海を挟んだやりとりがある。夫人あての手紙をつうじて、より江は漱石夫妻の家庭を垣間見る。

 猪之吉は東大卒業後やはりドイツへ留学する。そのまえにということでより江と結婚するが、こどもができない。松山に住むより江の祖父母も他界し、父も病気で介護を必要とするようになる。ドイツへ発つ夫を見送る埠頭で、テープを手にする船上の夫の腕には、例の黒猫が抱かれている。

 大略こんな話で、漱石をめぐるエピソードは色々紹介されるが、より江と猪之吉のほんわかとした恋物語である。ちなみに、より江は、『吾輩は猫である』のなかで、一七、八歳の女学生で登場する。「雪江というお嬢さんである。尤も顔は名前程でもない」「一寸表へ出て一二町あるけば必ず逢へる人相である」と、点はからい。苦沙弥先生の姪という役柄である。より江は漱石より鏡子夫人にかわいがられ、夏目家によく出入りしていたようである。

 実際にはより江は、泉鏡花の小説のモデルにもなった大変な美人で、俳人でもあった。猪之吉夫妻で『エグニマ』という文芸誌を発行し,より江が編集を担当していたという。彼女の句に「籐椅子に 猫が待つなる わが家かな」という句がある。猪之吉は、昭和一四年六四歳で、より江はその二年後に五六歳で他界している。漱石は大正五年に死去、鏡子夫人は長生きして、昭和三八年八六歳で生涯を終えている。(2018・6)