チャールズ・ディケンズ『オリバー・ツイスト』(加賀山卓朗訳、新潮文庫)

 ディケンズ(1812~1870)の長編第二作、事実上のデビュー作ともいえる作品で、1838年に刊行されている。前作の『ピクウィック』は未だ読んでいないが、コミカルな作品なのにたいして、この作品は行き倒れの女が救貧院で生んだ孤児の物語で、大変シリアスな内容である。後の大作『大いなる遺産』や『デイヴィッド・コッパーフィールド』にも通じる、その原型ともいえる作品といってよい。

 リバプールマンチェスター間に最初の鉄道が施設されたのがたしか1830年だから、当時はイギリス資本主義の勃興期、産業革命のさなかである。ロンドなど大都市には、貧しい労働者の大群とともに、失業者、貧窮者があふれ、さまざまな悪徳や犯罪も横行する。同国で9歳以下の児童労働を禁じる最初の工場法が制定されるのが1833年、40年代初めには労働者の普通選挙権を要求するチャーティと運動がもりあがる。同国には、18世紀に整備されたそれなりの救貧制度が存在したが、自由主義思想などの影響のもとに1834年に救貧制度の見直し、「救貧は最下級の労働者以下」とするなどの大改悪がおこなわれた。マルクスエンゲルスはこれにたいして、「もっとも明白なプロレタリアートにたいするブルジョアジーの宣戦布告」と評した。ディケンズの筆鋒は、まずこの新しい救貧制度に向けられる。 

 救貧院でオリバーを生んだ若い女性は、最後の力を振り絞ってわが子にキスをしてこと切れてしまう。孤児となったオリバーは救貧院で育てられる。しかし、改正された救貧院制度は、一般市民から徴収される救貧税を減らすために、生命の維持ギリギリ以下に経費を切り詰め、収容者の数が減るのをなによりの目標にする。オリバーら幼い子どもたちは、食事に茶碗一杯の薄粥しかあたえられず、文字通りの飢餓状態を強いられる。耐えられなくなったオリバーが「お代わりを下さい」と口にしたことが最悪の不信心、悪行と断罪され、懲罰として年季奉公に出される。葬儀屋の下働きである。

 そこを逃げ出した幼いオリバーは、何日もかけてロンドンにたどり着く。そこでオリバーを待ち構えていたのは、フェインギというユダヤ人を中心とする窃盗団の一味であり、それを牛耳る凶悪な犯罪者、ビル・サイクスである。行き場のないオリバーは、この集団と生活をともにする間に、スリの一味として警察に追われ、捕らえらる。そしてあわやというところで、親切な紳士、ブラウンローにすくわれる。ブラウンローのもとで生まれて初めて人間らしい扱いを受けるオリバーだが、フェイギンらはオリバーを見逃しはしない。外出中に強制的に身柄を拘束され、今度は強盗団の手先役を強いられる。しかし、ここでも、犯罪者グループの一人であるナンシーという女性とともに、被害者となるはずのメイリ―夫人と美しい娘のローズに助けられる。そして話は、次第にオリバーから、ブラウンロー氏らと犯罪者集団とのたたかいへと移っていく。ブラウンロー氏らはサイクス、フェイギンらを追い詰めていく。その過程で、オリバーの出生の秘密、出自も明らかになり、最後はハッピーエンドとなる。

 主題が次第にオリバーから離れて、犯罪者集団とのとりもの的な話になり、オリバーの出生の秘密もかなりむりなストーリーとなっているなど、作品の出来としては決して褒められたものではない。しかし、サイクス、フェイギンらの犯罪者たちをふくめて、ディケンズの描く人間たちはとても生きいきとしていて、良い意味でも悪い意意味でも人間味に溢れ、魅力的である。そこを貫く社会の底辺の人々へのあたたかいまなざしと、不合理な社会制度に対する痛烈な批判が、この作品の魅力となっている。(2018・7)