チャールズ・ディケンズ『ピクウィック・クラブ』(北川悌二訳、ちくま文庫)

 ディケンズが24歳のときに書いた最初の長編小説である。最初は出版社が著名な画家の絵の連作出版を企画し、その絵に添える文章を新人のディケンズに依頼したのだが、文を主体にしてこれに絵を添えてはどうかとのディケンズの逆提案によって実現したのである。ピクウィックという実業界を引退した富裕で無邪気、格別に人の良い人物を中心にした社交クラブ、ピクウィック・クラブで、ピクウィックが3人のが友人とともに、従僕のサム・ウェラーを従えて旅に出て、旅先での経験や失敗談を報告するといった形で話が展開される。だから、出たとこ勝負でまとまったストーリーや構成があるわけではない。それだけに、自由奔放にはなしが次々に繰り出される。初版は400部だったが、たちまち4万人の読者をもつベストセラーになり、作者を一躍して売れっ子作家に押し上げたという。

 こうした系列の先行作品として代表的なのは、スペインのセルバンテスが書いた『ドン・キホ~テ』がある。こちらは理想に燃える騎士、ドン・キホーテがその夢と理想を悉く裏切る世俗にまみれた現実に悲憤慷慨して笑いをさそうのだが、『ピクウイック・クラブ』の方は、善意と人間愛にあふれた好人物が、資本主義の勃興期をむかえる19世紀イギリスの世知辛い現実に直面して、はめられたり、裏切られたり、失敗を重ねたりしながら、読者を笑いとユーモアに誘い、それらを通じての鋭い社会・文明批判ともなっている。

 もともと、16、7世紀のスペイン、イギリスなどにピカレスク小説と言って、多くの場合、下層階級出身の悪漢が旅先であばれまわり活躍するという系列の物語が読まれていたという。『ドン・キホーテ』などもその系列の傑作のひとつといえる。そういえば日本にも、江戸時代の19世紀初めに十返舎一句による『東海道中膝栗毛』なる道中記が出版され、評判を呼んでいる。いわゆる弥次さん、喜多さんのコンビが、旅先での滑稽なふるまいで笑わせるという趣向の読み物である。こちらは、正義や人道、社会批評といった要素は少なく、もっぱら滑稽に終始しているから、その社会的な意味合いは異なるが、洋の東西で旅行記という体裁をとった風刺作品が登場したというのは興味深い。

 さて、肝心の『ピックウィック』だが、登場人物は主人公は、禿げ頭ででぶっちょ、鼻眼鏡をかけている。従僕のサム・ミューラーは主人公とは対照的にスマートな生粋のロンドンっ子で、才知にたけ世慣れた青年、たびたび主人公の窮地を救うなど、ピクウィックの従僕としてはうってつけの人物である。同行する友人は、大の女好きでそれが失敗のもととなるタップマン、自称スポーツマンのウィンクル、詩人のスノッドグラース氏の3人である。すでに述べたようにストーリーがあるわけではなく、旅先での失敗談が多い。たとえばピクウィックが、ある詐欺師の紳士と従僕のわなにかかって、結婚詐欺から女教師を救うために寄宿舎制の女学校の寮に夜間しのびこんで、大騒動をおこしたり、あるいは、旅先の宿でピクウィックが夜間に部屋を間違えて、淑女の部屋に入り込んで、のっぴきならない窮地に追い込まれる等などである。

 なかでも注目されるのは当時の裁判制度にたいする風刺、批判である。ピクウィックは下宿しているのだが、そこの貸主であるバーデル夫人にたいしてちょっと親切なふるまいをしたのをプロポーズと誤解され、一方的な婚約破棄でこの婦人から訴訟を起こされる。悪徳弁護士や特権的だが常識に欠ける裁判官などによって、有罪判決を受けたピクウィックは、慰謝料と裁判費用の支払いを拒否して、当時存在した債務者監獄に収容される。作品の後半はこの債務者監獄の悲惨で非人道的な実態の告発に多くのページを割いている。

 とりとめもない話が続くという面もあるが、それらをつうじて19世紀前半のイギリス社会とそこに生きる貧者をふくむ人々のありさまが、実に生き生きと描き出されていて興味が尽きない。(2018・8)