ジェフリー・アーチャー『嘘ばっかり』(新潮文庫、2018・8)

 作者は現代のディケンズを自任している。この間、7年がかりで『クリフトン年代記』という超大作を上梓したばかりである。まずしい造船労働者の息子であるクリフトンは、母親の献身的な努力によって、パブリックスクールを卒業して、ケンブリッジ大学に学ぶ。そこで、造船会社の経営者の御曹司であるジャイルズと親友になり、その妹エマと恋愛、幾多の試練を経て結婚にこぎつける。クリフトンは、作家として成功し、ソ連で収容所に監禁されるサハロフ救出などの運動でも国際的な評価を得るに至る。一方、ジャイルズは労働党選出の代議士になり、国政を舞台に活躍する。エマは、父親の造船業を引き継ぎ経営者として力を発揮し、押しも押されもしない実業家として成功の道を歩む。この三人を中心にした親子三代にわたる大河小説である。本作は、この大作を書き終えたばかりの作者の短編集である。新作だけではないとはいえ、そのエネルギーに感服するしかない。

 この短編集には16編の作品が収められている。そのなかに表題の「嘘ばっかり」という作品が見当たらないのはどういうわけだろう。このあたりにも、作者の諧謔を読み取ることができて面白い。16編のなかには、珍しい試みが見られる。そのひとつは、冒頭の作品「唯一無二」と最後から二つ目の「完全殺人」である。「唯一無二」は、ニューヨークのリーダイスダイジェストから、百語きっかりで起承転結のある物語を書けるかと挑まれたのに応じたものとある。唯一無二の切手の二枚目が発見されたというディーラーの前で、コレクターがその切手を焼き捨てて「唯一無二」を説くという話である。「完全殺人」も同じ系列の作品である。

 もう一つユニークなのは、本書の最後に、作者の代表作である『カインとアベル』をも、『クリフトン年代記』をも上回る傑作という触れ込みで、次作の予告にとどまらず、その最初の3章を収録していることである。次作の予告はこれまでもありえたことだが、実際にその作品の一部を予告的に掲載するという試みはかつてなかったのではなかろうか。この辺りにも、この作者の意表を突く面白さをみることができる。旧ソ連でKJBに夫を殺害された主人公の女性エレーナと息子のアレクサンドルは、エレーナの弟の協力を得て秘かにソ連を脱出しイギリスに向かう、というのがその内容である。たしかに、途方もないスペクタクルと大ロマンスを予感させる。巻末の解説によると、すでに原文は訳者のところに届いていて、年末には翻訳が刊行される予定という。いまから楽しみである。

 収録作品のうち、特に私の興味をひいたのは、「だれが町長を殺したのか」という作品である。イタリアのナポリの北にあるコルトリアという集落が舞台。ワインとオリーブ、トリュフの産地で、平和で豊かな暮らしを何百年も続けてきた。この村に突如としてマフィアの親分でもあるかと思わせる外来者、ロセッティが闖入し、村長の座につく。たちまちのうちに重税と脅迫によるミカジメ料が村民を襲う。村民がその圧政に耐えがたくなっているときに、ロセッティが何者かによって殺害される。ナポリから派遣された若い刑事が捜査にあたるが、村の有力者のだれもがロセッティを殺したのは自分だと自主的に証言する。しかし、殺害方法などを問うといずれも警察の検視報告と矛盾する。ほとほと困惑する刑事ははたしてどう対処したか、という話である。

 アーチャーは、若くしてイギリスの下院議員に当選。しかし詐欺に遭遇して全てを失うが、その顛末を「百万ドルをとりもどせ」という作品に書いて、これがベストセラーに。今度はロンドン市長選に打って出て当選するが、高級娼婦のからむスキャンダルに巻き込まれて、逮捕、禁固刑に処せられる。その顛末を『獄中記』などに書いてヒット、現代イギリス作家の押しも押されもしない第一人者となっている。,その経歴そのものが、何ともスケールが大きく波乱万丈そのものである。こんな作家は、世界中を探してもお目にかかれないだろう。(2018・9)