村山由佳『風は西から』(冬幻社)

 作者は『ダブルファンタジー』など恋愛小説をもっぱら書く人と思っていたら、ブラック企業をテーマにした社会的な作品を書いたというので読んでみることにした。

 和民をモデルにしたとすぐに推定される外食系大手企業・山瀬に働くまじめで責任感の強い元来快活だった青年、健介が、肉体的にも精神的にも疲労困憊し、ボロボロになるまで追い詰められてマンション6階から投身自殺する。その一段一段を恋人で食品メーカーの営業部に勤める千春という女性の眼をとおしてリアルに描き出している。

 もともと過重労働でデートもままならない状況に置かれていた健介は、ある繁華街の店の店長に就く。人手不足を解消するための人員補給を何度本店に要請してもなしのつぶて、始業2時間もまえに出勤して開店の準備にあたり、閉店後もアルバイトを帰した後深夜まで残業、終電に間に合わず、職場のソファーで夜を明かす。たまの休日には、本店の企画する研修がびっしり、建前は自主参加だが事実上の強制、終わればレポートをまとめなければならない。

 そのうえ、一日の売り上げが本店の定めた業績ラインを割るようなことがあれば(これをテンプクという)、一番忙しい土曜日の朝、本店の呼びつけられて、20人もの役員の前で徹底的につるし上げられる。暴力こそふるわれないものの、すべての人権と人間の尊厳を踏みにじる集団リンチである。二度とこんな目にあわないないために、出勤簿から自分の勤務時間を自発的に削ったり、アルバイトを所定の時間前に帰宅させたりして人件費を浮かせる。そのぶん、深夜におよぶ自分の残業でカバーする。

 健介はこうした過酷な労働によって心身ともに蝕まれていくのだが、その一歩いっぽを心配しやきもきし、みずからも傷つきながら見守る恋人の視点で描いているところに、この作者らしいところがある。そしてそのことによって、問題の深刻さと残虐さがよりリアリティをもって読者に迫ってくる。たとえば、健介の自殺の直前に「健ちゃんなら頑張れる」と励ました言葉が、自殺への残酷な後押しになったのではないかと、千春は自分を追い詰めざるを得ないのである。

 健介の実家は、広島で地域に愛される飲食店を経営している。大学で経営学を学び、就職先で経験を積んで両親の店を継ぎ店の規模も広げたい、というのが健介の夢であった。両親もそういう息子を自慢に想い、期待もしていた。健介の死にたいする会社の対応にどうしても納得できないのは、千春だけでなくこの両親であった。3人の必死の努力で労災は認定されても、会社は健介の死にたいして会社としての責任を認めず謝罪もしない。会社側のかたくなな態度で調停も不調に終わり、何年にもおよぶ裁判闘争にもちこまれる。しかし、弁護士の協力によるマスコミへの対策も効果をあげ、ブラック企業のイメージも広がり、山瀬は次第に追い詰められていく。創業者でワンマンの社長が、ついに頭をさげ、裁判は勝利に終わる。

 モデルとなった事実がそうなのだが、ブラック企業の犠牲になる若者の悲劇にとどまらず、これを告発し、たたかい抜き、勝利するまでの苦闘がえがかれているところに、この作品の大きな特徴がある。恋愛ものをもっぱらにしてきた作者がよくぞここまで書き抜いたものと感服し、敬意を表さないわけにいかない。そのたたかいのなかでは、ブラック企業で働く労働者の協力、内部告発が大きな役割をはたしている。千春のたたかいを温かくみまもる職場の同僚たちの存在も見逃せない。働く人たちの連帯が、そこに生き力を発揮しているのを確認できる。こうした作品が民主的な陣営の書き手からこそ、もっともっと書かれることを期待したい。(2018・9)