真藤順丈『宝島』(講談社、2018・6)

 アメリカ占領下の沖縄を舞台に戦火を生き抜いた若者たちがくりひろげる壮大なドラマとスペクタクルである。米軍との地上戦をガマのなかで体験して育ったオンちゃんを頭とするレイ、グスク、ヤマコの四人は、戦果アギヤ―とよばれるコザのやくざ、窃盗団である。戦果アギヤ―とは、米占領軍の施設から食料や医薬品、雑貨などを盗み出し、飢えた市民に配ったり、病人に医薬品を届けたりする、いわば一種の義賊でもある。沖縄戦終結とともに、命のあった県民の多くは米軍の捕虜になって収容所に入れられ、出てきたら土地も家屋も米軍に接収されて生きていくすべがない。そんななかで米軍相手の売春婦などに身を堕すか、米軍の物資を略奪するかしか生き延びる道がない。戦果アギヤーは、コザの市民からありがたがられ、尊敬もされていた。とりわけオンちゃんは、戦果アギヤ―のリーダーとして、大胆かつ勇猛、冷静、沈着、俊敏で、なかまからは英雄視されていた。わがもの顔にのさばる米軍による暴行、強姦、ひき逃げなどの犯罪があとを絶たず、人種差別が横行する沖縄で、占領軍に対する反感と憎しみが日増しに増幅していく。そんななかで、自然な成り行きでもあった。

 1950年代の初めのある日、オンちゃんたちは、嘉手納の米軍基地に押し入る。どういうわけか、この日は待ち構える米軍に遭遇、必死に逃げてグスクは脱出したが、レイは捕らえられ獄に送られる。ところがリーダーのオンちゃんは行方不明になる。オンちゃんの恋人ヤマコはもとより、グスク、レイによるオンちゃん探しが始まる。その後、グスクは警官になり、米軍の治外法権に妨げられながらも米兵の犯罪を追う。ヤマコは米軍相手の飲み屋で働きながら勉強して教師になる。勤めていた小学校に米軍機が墜落、教え子たちが犠牲になるなどの体験をへて、ヤマコは瀬長亀次郎たちが指導する基地反対闘争に加わっていく。レイは、捕らわれた獄中で瀬長亀次郎に出会う。過激な獄中闘争にも加わるが、釈放後ならずものの世界で反米テロリスト集団に一員になる。

 それにしても、いったいオンちゃんはどこへ行ったのか? いくつかの手がかりから、「予定外の戦果」をかかえて嘉手納基地を脱出したあと、密輸団に身柄を拘束され、その集団の拠点がある離島の悪石島にいたことがわかる。そのとき小さな子どもといっしょだったという。それから数年を経て、グスクやレイ、ヤマコのまえに、ウタというハーフの孤児があらわれる。ヤマコは、言葉を発しないこの子に言葉を教え、施設へ入所の世話をする。1960年代後半、沖縄の復帰運動がたかまり、佐藤内閣のもとで復帰協定へと外交交渉がすすむ。「核抜き、本土並なみ」の復帰で米軍基地から解放されるかどうかが、県民の最大の関心事となる。そんな時、コザで米兵によるひき逃げ事件をきっかけに、反米暴動が勃発する。そのなかにはレイの姿もある。駈けつけたグスコやヤマコのまえで、ウタが米軍に射殺される。三人は、ウタの遺体をいだいて、ウタがよく訪れていたというガマにおもむく。そこでかれらが発見したものは?

 作者は、1977年生まれで、東京で生まれ育っているが、沖縄の風土や伝統、歌謡などによく通じ、それらをふんだんに駆使しながら、米占領下の沖縄の騒然かつ雑然とした、しかし熱気あふれる街の雰囲気をみごとに描き出している。そして、アウトロー同士の抗争や米軍の諜報機関の暗躍などをもおりこみながら、米占領者への憤りと憎しみを募らせながら、占領軍に依存するしか生きる道のない人々の悲哀を、みごとに浮きあがらせている。もともと、ホラー作品などを書いてきた人のようで、この作品にもそうした趣向は随所に見られる。作品はエンターテインメント仕立てだから、その限界は感じるが、沖縄の戦後史に対する視点も的確で才能のある若手として今後の活躍が楽しみである。(2018・10)