飯島和一『星夜航行』(新潮社、2018・6)

 この作者には、天草の乱を描いた『出星前夜』や、後醍醐天皇隠岐への追放をテーマにした『狗賓童子』といった作品があり、いずれも本格的な歴史小説で高い評価を得ている。この作者の作品に“はずれなし”といわれるが、今回の作品もその例にもれず、あるいはこれまでの作品以上に力のこもった大作である。『小説新潮』に209年から12年にかけて連載され、さらに念を入れて手を入れ、9年がかりで仕上げられた作品である。歴史的なテーマに膨大な資料を読み込んで挑み、時間をかけてじっくり練り上げる、これぞ本格な歴史小説作家といえよう。あらためて感服した次第である。

 今回のテーマは、豊臣秀吉朝鮮出兵、文禄、慶長の役である。1592年にはじまり二度に渡って強行されたこの出兵は、朝鮮を征服してこれを従えて明に攻め込み、明を支配下に納めようという秀吉の途方もない野望によるもので、総勢10数万の将兵を武器、弾薬、兵糧とともに木造の帆船で海を越えて半島に送り込み、この地と人々に暴虐の限りをつくした大罪業である。有無を言わせず動員され多くの将兵が犠牲になったばかりでなく、日本国内の農業は廃れ、人々は塗炭の苦しみを強いられることになった。この戦役の全貌を沢瀬甚五郎なる人物を主人公につぶさに跡付けるのが本作である。

 沢瀬甚五郎は、徳川家康の嫡男で岡崎城主だった信康に仕える武士であった。親が一向一揆に加勢したために逆臣として不遇をかこっていたにもかかわらず、文武にわたる力能を見込まれて抜擢され信康の小姓として、将来を宿望されていた。ところが、信康が家康の不興を買い切腹させられたのを機に、失踪し、その後、薩摩の果てで貿易商人になる。そして、博多、長崎に出て、朝鮮、明国、ルソン島などと幅広く商うようになる。おりしも秀吉の朝鮮出兵で、武器や兵糧の移送をにない、博多と津島の間を行き来する。

 この甚五郎の活躍を織り込みながら、小西行長加藤清正らが指揮する朝鮮出兵の足どりが綿密に追跡される。朝鮮は、儒教文化圏で徳知主義が行き渡っていて武力はもともと弱い。そのうえ中央政権は派閥争いなどで弱体化している。そこへ前触れもなくなく大軍が攻め込んだのだから、ひとたまりもない。小西らは漢城(ソウル)はもとより、平城(ピョンヤン)をも瞬く間に占領、あれよあれよという間に北の果ての威鏡道までたどり着く。

 しかし、ここから占領者が予想もしなかった苦難に遭遇する。あちこちで朝鮮の農民、僧侶などによる義兵が組織され、侵略者への反撃が始まる。何よりも打撃になるのは、伸び切った兵站が、これら義民によってずたずたに断ち切られたことである。そのうえ、明に冊封する朝鮮国王は援軍の派遣を要請、これに応じて明が大軍を送りこんでくる。日本軍は朝鮮だけでなく明国の大軍と戦わなければならなくなる。さらに加えて李舜臣のひきいる朝鮮水軍が強力で、制海権は朝鮮側ににぎられ、武器や兵糧を運ぶ日本の船団は襲われ壊滅させられる.。こうして、侵略者はたちまち後退に次ぐ後退を強いられ、平城をすて漢城を放棄し、半島南端の釜山近辺にまで追い詰められる。その過程で拠点となる城をめぐる攻防が克明に記されていく。

 秀吉の無謀な侵略に不満を募らせる将兵は日を追って増えるばかりである。捕虜になった日本人が朝鮮側に立って戦う降倭という軍事組織も活躍するようになる。二回目の出兵のさい、兵糧の米の輸送を依頼された甚五郎は、危険を犯して船を出し、釜山近辺で上陸し陸路をとる。彼を待っていたのも過酷な運命であった。

 朝鮮出兵は秀吉の死によって終わる。加藤や小西ら武将たちは先を争って帰国するのだが、乗る船もない足軽や人夫たちはそれぞれの城に何千人もそのまま置き去りにされる。太閤という一人の支配者の野望によって朝鮮と日本の民がどんなにひどい苦しみと犠牲をしいられたか、その相貌をたんねんに再現する壮大な歴史叙事詩ともいえよう。(2018・12)