松本清張『像の白い脚』(光文社文庫)

 第二次大戦後間もない1960年代のラオスを舞台にしたミステリーである。フランスにつづく日本の植民地支配からようやく抜け出したインドシナ半島は、アメリカの介入とこれに反対する共産勢力との間での内戦状態が続いて混とんとした政治状況にあった。旧フランス領のラオスは、タイ、ベトナムと国境を接し、1954年のジュネーブ協定で中立を保障されてはいたが、実際には政府はアメリカの軍需援助と軍事顧問団に依存していた。しかし、国土の大半はパテトラオと呼ばれる共産主義を掲げる勢力の軍事支配下にあった。作品の舞台となる首都ビエンチャンはそんななかで、文字通り混乱と退廃に覆われていた。

 友人の石田がメコン川支流の河岸で水死体となって発見された事件の探索を兼ねて、主人公の谷口がビエンチャンを訪れたのは、60年代半ばであった。日本人女性と思しき平尾正子が経営する書店の店主、山本を通訳兼ガイドに雇って市内を見学するが、この山本にはいまひとつ信用できない何かがある。当時小さな田舎町に過ぎない市内には、売春窟や麻薬の吸飲所などもあちこちにあった。援助国のアメリカの軍関係者や偽装したCIA要員も多く、ラオス政府軍高官はアメリカの援助物資の横流しにとどまらず、北部メオ族の栽培する阿片の取引で巨利を得ている。そんなことにも次第に通じるようになっていく谷口は、フランス人の女性記者でアル中のシモーヌ・ポンムレーと知り合いになる。この女性も得体のしれない人物である。ラオスには、日本の建設企業も援助の名目で入っていて、日本人も数は多くないが滞在している。

 そんな状況の中で、ビエンチャンに向かう飛行機で隣の席にいたオーストラリア人の男性が、谷口が滞在しているホテルの石田が泊まっていた部屋で変死体となって発見される。つづいて、山本もビエンチャンから少し離れた農村の道路わきで殺害される。いったいなにが起こっているのか、ビエンチャン政府のご粗末な警察機構では、捜査がすすまず何一つわからない。一人で探索する谷口は、どうやら事件の背後に阿片取引がからんでいるらしいことを突き止めるに至る。ビエンチャン滞在の長いシモーヌがなにか知っているようだが、この女性の口は堅い。書店だけでなくビエンチャン随一の高級レストランを経営する平尾正子もシモーヌと親しく、米

軍関係者ともつながりがありなにやらあやしそうだ。

 こうしてたてつづく殺人事件をめぐって、いろんな人物が登場し謎解きのてがかりとなる網がはられていく。谷口の推理では、石田殺害の原因は、軍のからむ阿片取引の現場に石田が首を突っ込みだしたためのようだ。では山本は? そして謎のオーストラリア人は? なぞは解明されないまま、予想もしなかった事件で谷口の捜査は突然中断され、あっけなく幕を閉じる。推理小説としては尻切れトンボで、なんとも後味が悪い。事件の解明の推理もいまいち緻密さに欠ける印象をまぬかれない。

 私見によれば、作者の主な意図はこの作品を推理小説として完成させることではなく、当時日本にはほとんど知られていなかったラオスの複雑で混とんとした政治社会状況や自然、風物を、ミステリーの形態をとって紀行文として紹介することにあったといえよう。推理を途中で打ち切ったのは、そのことを意味している。作者は、1965年、北ベトナム政府の招待でプノンペンを経由しビエンチャン空港を経てハノイに向かうが、天候不良のためビエンチャンで一週間ほど足止めされた。その時精力的に市内を取材したという。その成果がこの作品である。(2019・2)