篠田節子『鏡の背面』(集英社、2018・8))

 小野尚子は、DVDや性暴力の被害、アルコール中毒、薬物依存などから立ち直ろう

とする女性たちのための救済施設、新アグネス寮を設立し私財を投じて運営の中心に座る

指導者、先生として親しまれ、尊敬されていた。一緒に暮らす不幸な過去を持つ女性たち

にとって、文字通り、聖母であり、慈母であった。歴史と権威のある大手出版社の社長令

嬢として育ち、若いころ皇族との結婚も取りざたされたという人である。日本のマザー・

テレサもいうべきこの人が、ある日施設が火災にあい、火中に取り残された母子を救おう

として、もうひとりの盲目の女性スタッフとともに焼死してしまう。悲しみの中で厳かな

葬儀が営まれ、各界から著名人も駆けつけ別れを惜しむ。

 そんななかへ警察から、検死の結果、焼死したのは小野ではなく、別人物であるという

信じがたい知らせが届く。寮の代表である中富優紀以下だれもが動転し、そんなことはあ

りえないと抗議するが、事実は動かせない。小野にインタビューをして、記事を書いて間

もないフリーのライターである山崎知佳も、真相の究明にのりださざるを得ない。焼死し

たのが別人だったとすれば、いったい誰だったのか、そもそも小野はいつどこで別人と入

れ替わったのか、小野自身は生きているのか、死んだとすればいつどこで、いかなる理由

で亡くなったのか、謎は幾重にも積み重なる。この衝撃的な事件の真相を追うのが、この

作品の主要なテーマである。そのサスペンスは、息もつかせず最後まで読み切らせる

 警察の捜査の結果、焼死したのは、半田明美という女性で、この女性にはいくつもの殺人などの犯罪容疑があることが判明する。駅のホームから男性を線路に突き落として、轢殺させる事件で警察沙汰になり、からまれたうえでの正当防衛として放免されているだけではない。結婚した相手の医師殺し、海外旅行先で恋人を海に突き落として死亡させた事件など、いくつもの容疑があり、いずれも証拠不十分で放免されている。金銭目当てに男を殺害するのになんの罪悪感も持たない、根っからの性悪女であることが次第にあきらかになっていく。

 では、こんな女がなぜ新アグネス寮の小野先生になりかわって、不幸な女性たちのため

に20年にもわたって献身的に尽くす生活を送ることができたのか、いったいいつどこ

で、小野と入れ替わったのか、謎はいよいよ深まっていく。そこで、本来の小野が新アグ

ネス寮だけではなく、年に何回かフィリピンを訪れて、フィリピンの教会に協力してスト

リート・チルドレンなどのいる貧しい地域の人々を助けるボランティア活動に参加してい

たことに、焦点が絞られていく。知佳は、フィリピンを訪れ、小野が手を貸した教会を訪

ねようとするが、なぜかマニラにあるカトリック教会の神父らは、その教会について言葉

を濁して紹介の労を取ろうとしない。そこで知佳はルソン島の果てにあるその教会を直接

訪ねる。そこには、漁業権を外国の大企業に奪われて、魚を捕ることもできない漁師たち

や、何層もの地主小作関係のもとにあえぐ貧しい農民たちの暮らしがあり、その人たちを

組織してたたかいにたちあがる「アカ」神父たちの活動があった。小野がそうした人々の

中にはいってボランティア活動をおこなっていたのだった。

 フィリピンまで赴いてこの小野を殺害したうえ本人になりかわったのは、本田明美であ

った。いったい明美は何が目的でこのような行為に出たのか、そして、根っからの性悪女

がどうして小野になりかわることができたのか? なぞはますます深まっていく。しか

し、明美が聖女になり替わった事実は事実である。そのからくりは、もう一つわかりにく

いのだかが、そこにおいてこそこの作品の真価が問われる。(2019・3)