アライダ・アズマン著『想起の文化――忘却から対話へ』(安川晴基訳、岩波書店、2019・1) ,2018

 原題はDas neue Unbehangen an der Erinnerungskulturである。直訳すれば、「想起の文化への不快」といった意味である。想起の文化とは、ヒトラーナチスによるホロコーストユダヤ人迫害、虐殺というおぞましい歴史を、これに対する反省をこめて記憶し、記念する文化のことをいう。ドイツでは、1980年代以降、こうした文化が社会的に定着しだし、ホロコースト記念碑のような記念碑や歴史博物館の建立、個々の犠牲者を記念するプレート(銘)の道路への埋め込み、追悼集会、メディア、教育でのとりあげなどのさまざまな形をとって独特の文化を形成しているという。同時に、ネオナチ運動に端的にみられるように、こうした文化に対する懸念や反感、批判もみられる。本書は、そうした懸念や不快の言明を取り上げ、分析し、批判するとともに、「想起の文化」が直面しているさまざまな新しい問題をも解明する。

 まず注目したいのは、ドイツにおける「想起の文化」の成立の歴史である。著者によれば、1945年のナチス崩壊のあと、一部の指導者たちは処刑されたが、圧倒的多数のドイツ人はナチス党員として、その体制を支え、ユダヤ人迫害に加担するか、すくなくともそれを黙認してきたにもかかわらず、その責任はいっさい不問にされた。戦後、社会全体としては沈黙、暗黙の忘却が支配し、そうした多数派による社会的調和が保たれ、戦後の再建への同調、順応が組織されたという。それはいわば必要悪といってよいであろう。

 しかし、「これら極度の暴力の経験(ホロコーストのこと――引用者)は、ときが経つにつれて簡単に解消するのではなく、人々のあとを追い、彼らを不意に襲い、事後になって、克服されざるトラウマの性格を獲得する」(39)という。それは、ベトナム反戦運動に参加した学生たちによる1968年の告発、問題提起になっていった。戦争体験のない、ナチスに直接手を貸したことのない若い世代による、沈黙する大人たちにたいする告発である。それは、『忘却』「沈黙」を打破し「想起」をよみがえらせたが、世代間の対話を促進するどころか反対の結果ももたらした。そうしたなかで、「過去」を想起し反省するとともに、ホロコーストユダヤ人迫害の犠牲者たちに社会が本当に心をよせるようになるのは、1980年代になってからだという。これを著者は「克服するために想起する」時代の到来という。

 そして、そうした文化が、国境を越え、トランス・ナショナルの広がりを見せるのが、90年代以降という。これを著者は「対話的に想起する」という。コール首相がポーランドワルシャワ・ゲットーの前に跪いて詫びたのがはじまりで、その後、オーストラリアの首相が先住民にたいする過去の植民地時代における虐待、人権じゅうりんについて謝罪するなどという行為の国際的な広がりと、定着をみせていく。著者は「想起の文化」のこうした歴史的展開をふまえて、これにたいする否定的な見解をひとつずつ論駁していく。

 同時に「想起の文化」は新たな問題にも直面する。一つは、1991年のドイツ再統一とともに、東ドイツで支配したスターリニズム専制支配とそれによる人権抑圧、犯罪にたいしてどう対処するかという問題である。ホロコーストと並べて糾弾する意見に対して、それがホロコーストの特異性、絶対的な暴虐性を見失わせるのではないかという疑問も生まれる。ではスターリニズムにどう対処するかは、ドイツだけにとどまらない問題である。

 ドイツへの移民の流入も、新たな問題を提起する。例えば、ドイツ国籍をもつトルコ人に、もともとのドイツ人と同じようにホロコーストユダヤ人迫害の歴史への責任を分かつことを求めるべきかどうか? ドイツ人として歴史への責任を担ってもらうとしても、そのやりかたは従来通りというわけにいかないであろう。さらに、「想起の文化」の国際的な広がりを今後どう発展させるかも新しい課題である。最後になるが、本書のこうした提起は、日本における過去の戦争責任にたいする、政府はもとより、それにとどまらない国民的な認識と反省の驚くべき遅れを改めて痛感させる。(2019・4)