マヤ・ルンデ『蜜蜂』(池田真紀子訳、NHK出版、2018・6)

 

 たまたま図書館で目にして面白そうだったので読んでみた。作者は、ノルウェー人の女性作家で、1975年生れ。これまで、児童文学などの世界で活躍してきた人で、2015年に発表した本作が大人向けに書いた最初のものだとのことである。ノルウェー本屋大賞を受賞し、ドイツで2017年のベストセラー第一位に輝いたという。現在30数カ国で翻訳出版の計画が進んでいるという。

 私は知らなかったが、2006~2007年にかけて、世界中で蜜蜂が大量死するという事態が発生した。ジェイコブセン著『ハチはなぜ大量死したか』(文春文庫)によると、北半球で約4分の1の蜜蜂が死んだという。原因については、農薬説、気候変動説などいろいろあるようだ。本作は、この世界的な事件に着想を得て書かれた近未来小説である。

 いうまでもなく、蜜蜂は蜂蜜だけではなく果樹などの受粉という大事な役割を担っている。これが絶滅したら、果樹栽培、さらに農業に壊滅的な被害をおよぼす。蜂群崩壊症候群である。本作は、この大崩壊によって、国土が荒廃し人工授粉でかろうじて果樹栽培を維持する2098年の中国四川省で、受粉作業にたずさわるタオ、2007年に養蜂家として蜂群崩壊の現場に遭遇するアメリカ・オハイオ州のジョージ、そして、現在のような養蜂業が成立する19世紀半ば、1852年のイギリス・ハートフォードシャーで近代的な養蜂技術の開発をてがけるウイリアム、以上の3人を中心に、それぞれの家族、とくにその息子と父親の微妙な葛藤を描き出している。このあたりはさすが児童文学を手がけてきた人ならではの筆遣いを感じさせる。

 中国のタオ夫妻にはウエイウエンという男の子がいる。きびしい労働の日々を送るタオは、この子の成長と未来にすべての希望をたくしている。ところが、このウエイウエンがある日突然失踪する。タオの夫が発見したときには瀕死の状態であった。そのうえ、駆けつけた救急車と当局は理由も告げずにこの子を両親から隔離し、いずこへか連れ去ってしまう。タオは意を決して息子を探しに北京へと向かうが、そこで目にしたのは、崩壊し、荒廃した北京の残骸のような街なみであった。

 アメリカのジョージは、息子のトムに養蜂業の後継を託すために、巣箱を増やし事業規模の拡大を目指している。ところがトムは、大学院で教授に認められ、その道に進もうとし、父親とのあいだに微妙な溝ができている。そこへ、蜂群大崩壊が襲ってくる。どの巣箱からもあっという間に蜂が姿を消してしまう。わずかに残った蜂を守り何とか養蜂業を続けようと必死になるジョージの姿を、トムはどう受けとめるか?

 19世紀半ばのイギリスの田舎で種子商を営むウイリアムは、怠惰な息子のエドウインを立ち直らせたい一心で、養蜂技術の開発に乗り出す。巣箱をそれまでの藁ツボのようなものから、現在使用されている箱型のものに思い切って切り替える。その発案で特許をとり、一大事業に発展させることも夢見るのだが、そうは問屋がおろさない。父親に忠実な長女のシャーロットが、失意の父の遺志を継いでやがてアメリカにわたる。

 物語は、タオとジョージ、ウイリアムと順繰りに短い断章が入れ替わっていく形式で展開される。だから慣れるまでは戸惑うが、蜜蜂を軸にして自然と人間、人間とその家族の物語が、何百年という時代と空間を超えて壮大に繰り広げられる。このスケールの大きさに、本作の大きな魅力があるといえよう。そして、蜂群の大崩壊には、今日の人間による自然の破壊とそれがもたらす異常気象、生態系の崩壊などの地球環境の破壊に読者の目をいざなっていく。三つの物語は、最後には一つにむすばれていく。しかし、そのあたりの展開はやや無理があるようにおもわれる。とくに、中国のタオの結末は、現代中国の一党体制にたいする不安と不信をも連想させるのだが、あまりにも唐突な終わり方になっているようにもう。(2019・8)