篠田節子『冬の光』(文春文庫)

 玄人顔負けの腕で洋包丁を研ぎ終えた夫が、「勝手口に立つ妻に呼びかけ、柄の方を向けて手渡す。妻は無言で受け取る。ふっくらした右手で柄を握り、不意に尖った刃先をまっすぐにこちらに向けた。息を呑み、その手先と顔を交互に見る。研ぎ上げた刃先から青白い炎が揺らぎ立つ」 こんな書き出しから、尋常ではない不穏な家庭内の空気に接した読者は、読み終わるまでこの作品を手放せなくなる。

 妻の側に警告にとどまらぬ殺意まであったかどうかはわからない。しかし、夫の康宏はすべてを見透かされていることを悟る。妻はやがて家を去り、娘たちも独り立ちする。妻にたいする自分の不実のゆえに、妻からも二人の娘からも愛想をつかされ、孤独のうちにこもるしかない康宏は、2011年の東北大地震を機に、救援ボランティアに身を投じ、被災した現地で死臭の滾る凄惨な実態と途方に暮れる人びとの生の姿に接し、大企業で出世街道を歩み挫折したそれまでの自分の人生を根本から見直さざるをえない。

 震災救援活動がひと段落して帰京した康宏は、震災犠牲者の供養のため、意を決して88ケ所の札所をまわる四国遍路の旅に出かける。そして、帰りのフェリーから海に身を投じたとしか考えられない遺体となって、警察の遺体安置所から娘に引き取られて家に帰る。遺体を前に、妻は葬儀にも立ち会わないと娘に告げて、家を出ていく。

 ざっとこんな筋立てなのだが、問題は康宏の妻に対する不実の中身である。相手は、笹岡紘子、大学の同級生で、学生運動の全盛時代に同じセクトに属してゲバ棒を振り回した間柄である。他のセクトの暴力で命さえ危うかった紘子を助けたのを機縁に深い中になるが、卒業して大企業に就職して企業人に早変わりした康宏とは対照的に、紘子はアカデミズムにとどまり、学生時代の心情をそのまま持続する。ことのなりゆきからやがて康宏は紘子に見捨てられ,今の妻、三枝子と結婚する。

 そして、10年以上もたって社用でフランスに出張、滞在中に二人はばったり再開、なつかしさもあってふたたび関係が復活する。そして、妻にばれ、実家に帰った妻に頭を下げて、紘子との関係をきっぱり切ると約束して、結婚生活を続けるのだが、紘子との縁はふたたび復活、それがまたばれて、妻と娘との間に決定的な不信と亀裂をまねく。にもかかわらず紘子をあきらめきれない康宏の心のうちには、企業人の自分には望み得ない純粋さへの憧憬があったのかもしれない。

 康宏の遺品のなかに四国遍路の道中で記したメモ帳があった。そこには、立ち寄った寺院などが実務的に記されているだけなのだが、途中で白装束を捨てるなど解せないことも記されている。比較的冷静で客観的にものを見ることのできる次女の碧は、謎解きもかねて父のたどった道を、歩いてみることを思いつく。作品は、四国路を歩く次女の目をとおして、父の人生を追認しながら、康宏と紘子の因縁にたちいっていく。そこには、大学、アカデミズムでのおぞましい女性差別、女性排除の壁と妥協することなくたたかいつづける紘子の姿が、企業人として自らを殺し妥協と調和のうちに生きる康宏の生きざまとの対比で、康宏の崇敬の目もまじえながら語られていく。康宏との関係は不倫なのだが、この紘子の生きざまにこそ、一人の自立した女性のたくましいたたかいを認めて、作者は温かい眼差しをむけている。この作者らしい捉え方である。(2019・10)