篠田節子『ブラックボックス』(朝日新聞出版、2013)

 ここのところ同じ作家の作品をいくつか読み続けてきた。本作

は、日本の農業が直面する課題と食の安全、研修を名目に劣悪な労

働条件のもと働かされる外国人労働者の問題など、極めて今日的な

社会問題にいどんだ力作である。朝日新聞で2010~11年に

「ライン」というタイトルで連載された。

 農家育ちの三浦剛は、大学の農学部を出て有機農業にたずさわる

が挫折して実家に戻り、相続した農地をハイテク駆使の実験農業に

挑む地元企業に貸し、そこの共同オーナーになる。しかし、オー

ナーとは名ばかり、ハイテク農場は無菌、無農薬の野菜を完全なコ

ンピューター管理で育てると

いうもので、すべてが企業の技術者が取り仕切り、剛が口を出す余

地はない。文字通り昼夜をわかたぬハイテク企業である。剛はみず

からの存在感ら失いかね状態で鬱々しているが、最新のハイテク

農場ではつぎつぎに予想だにしない事故や装置の不具合が起こる。

 もうひとり、投資アナリストとしてテレビなどでも活躍していた

加藤栄美は、勤めていた会社首脳によるスキャンダルに巻きこまれ

てマスコミの袋叩きにあい、剛と同じ郷里に逃げ帰り、剛のハイテ

ク農場から生産されるレタスをサラダに加工する、これも最新設備

で安心安全を売り物にする企業のパート従業員として働いている。

そこには、フィリピン、ブラジル、中国などの労働者が研修生の名

で、休日もろくにない深夜作業に極端に低い賃金で雇われ、コンベアへ

張り付く単純作業に従事している。低温、深夜、長時間労働で、体調を

崩す人が目立つばかりか、奇形児を死産したり、帰国後癌で死亡する労

働者もでる。栄美は、剛とともに、ハイテク農場や、サラダ工場の

工程や衛生管理に疑問を抱き、ひそかに調査をはじめる。しかし、パー

トという身では、勤め先にバレたら直ちに首になるし、旧習にとらわ

れる田舎では、前歴のこともあり、目立つことは絶対に避けなければな

らない。

 さらにもうひとり、東京で離婚して帰って栄養学担当教師として子ど

たちと接する聖子がいる。子どもたちの間でアレルギーが増加し、体

調を崩すこどもや、小児がんの患者も後をたたないことに心を痛め、ハ

イテク農場やサラダ工場に疑いの目をむける。勤め先の校長に提起した

りするが、相手にされずに悩んでいる。聖子は、やがて剛、栄美ともに

行動するようになるが、確たる証拠があるわけでない彼らの訴えに、当

該企業はもとより、学校も、自治体も、労働組合も、地域住民も耳を貸

そうとはしない。それどころか、ネットへの投稿が非難にさらされるな

ど、身の危険さえ感じさせる事態になっていく。

 注目すべきは、いま日本の農業がどんな事態に直面しているかが、具

的な取材にもとづいて克明に描かれていることである。多年の化学肥

料と農薬の使用で劣化した農地に農業の未来はない。かわって登場した

ハイテク農場、農産物の工場生産施設は、華々しく宣伝されるその将来

展望とは裏腹に、技術的にも経営的にも、あるいは人材的にもさまざま

な問題を抱えている。たとえば、コンピューター管理の無菌、無農薬で

栽培される野菜の味があまりにもそっけなく、商品化するにはいかがわ

しい薬剤に漬けて味つけをしなければならず、そこで働く労働者にすら

被害をおよぼしているのではないかという指摘など。食の安全、安心と

いった面からも、衝撃的な問題提起がされている。

 もう一つは、研修の名による外国人労働者の抱える問題である。仲介

者に多額の金を支払って来日する彼女たちは、どんなに劣悪な条件を

強いられても、文句を言わずに働き続けねばならない。どうにも耐えら

れなくなって訴える先には、暴力団まがいの集団も介入する。よくない

ことと承知でそうした労働者を雇わざるを得ない零細企業のおかれた苦

しい状況など、解決を迫られるいくつもの課題がリアルに切実に提起さ

れている。(2019・10)