紅葉の谷川温泉

 この夏、格別の猛暑もあって冷房の効いた自宅に閉じこもったまま、避暑を兼ねた恒例の山旅にもいかなかったので、紅葉を見にでかけようかということになったが、さてどこに行くか迷ってしまう。娘に相談したら、谷川温泉を紹介してくれた。距離的にも手ごろで、谷川岳の天神平までロープウェイで登るのも悪くないということになって、11月11日(月)に決行することにした。自宅を9時少し前に出てロマンスカーで新宿にむかい、新宿から湘南特別快速で高崎まで行き、そこから在来線で水上に向かう予定である。

 久しぶりのロマンスカーかから在来線の快速に乗り換え、高崎に着いたのはお昼ころであった。改札を出て、駅構内のレストラン街で昼食をとり、水上行きの各駅停車に乗り込む。窓からの景色が次第に田園から森林地帯に変わり、山裾をぬって山岳地帯へと傾斜を登っていく。水上に着いたのは午後2時すぎだったが、ずいぶんと山深く入り込んだところだと、認識を新たにした次第である。宿は駅から北へ車で10分ほどのところにある谷川温泉の奥まったところにある「檜の湯水上山荘」である。周囲を深紅に色づいた紅葉に囲まれた、こじんまりとした目立たない建物であった。河岸の斜面に建てられており、4階がフロント、3階に大浴場がある。案内されたのはこの階の「谷川」という部屋であった。広々とした座敷で、かけ流しの立派な温泉風呂がついており、窓からは紅葉の川を挟んではるかに谷川岳の一角をのぞめる。あいにく天候がいま一つで山は時々姿をあらわすもののすぐに霧に隠れてしまったが、とても素晴らしく心を癒される落ち着いた風情である。

 ゆっくりくつろいで、ビールを飲みながらテレビで大相撲を観戦、夕食は一階の葉月亭という間で、本格的な和食のコースである。上州牛と赤城鶏の棒葉焼など地元の食材をふんだんにつかった上品な味付けの料理を、谷川岳という地酒とともにゆっくりと賞味する。最後に栗と茸の炊き込みご飯がでてきたが、残念ながらすでに満腹で一口おつきあいするにとどめざるをえなかった。

 周りを見渡すと、私たちと同じと年ごろの老人夫婦のほかに、結構若い夫婦やカップルの姿も目に留まった。紅葉のシーズンも最後で、旅館が料金の割引をしているのだそうだ。真理がここを勧めてくれた理由の一つも、そこにあった。

 

 天一美術館へ

 翌朝目が覚めると、外ははげしい雨である。朝風呂に浸かって着替えたものの散歩に出ることもできず、部屋で時間をつぶす。朝食の後、本日の行動について妻と協議する。天気予報では、昼頃から晴れるとのことなので、水上駅にもどって、谷川岳のロープウェイにむかうかどうか、思案のしどころである。最初は旅館からの送迎車の予約までしたが、空の模様からして、午後からもすっきりした天気は望めそうもないと判断して、外出は断念する。そうと決まればゆっくり休んで、近くにある天一美術館を訪れ、谷川温泉郷を散歩しようということになる。われわれ高齢者には、旅先でのこうした過ごし方も悪くはない。10時も過ぎたころ、旅館に備え付けられた雨傘をさして、出かける。いぜんとして雨は降っているが、宿から美術館までの坂道は周囲の家や旅館の周りが紅葉に覆われていて、濡れたモミジが一段と鮮やかである。美術館へは、ものの10分ほどで到着する。

 天一美術館には一度訪れたことがある。この美術館は、東京の銀座で天一という天ぷら屋を経営していた人が集めた絵画を展示しており、岸田劉生の麗子像が3点ほど、ほかに佐伯祐三熊谷守一安井曽太郎など日本の画家や、ロダンルノワールピカソなどの作品も収蔵している。また、高麗磁器、江戸時代の美人画なども展示している。この美術館の建物は、奈良国立博物館新館の設計などで著名な建築家、吉村順三氏の遺作となった建造物である。私見によれば、展示されている絵のなかには熊谷守一や岸田のそれなど、みるべきものもあるが、自然の中の空間を有効に生かしたとてもシンプルな建造物にこそ、じっくり味わうに足る造形美がそなわっているといえよう。作品の鑑賞を終えて、フロントのあるロビーに戻ると、係員の娘さんが、ハープ茶をふるまってくれる。これは前回もそうだったが、この美術館ならではのおもてなしである。

 美術館を出て、周囲をゆっくり散歩する。通りをはなれてほど遠くないところに、一軒だけ、彩絵という名の瀟洒な建物のイタリアンレストランがある。宿のお兄さんが昼食にと勧めてくれた店である。すでに午後1時を過ぎていたが、ここに入って昼食とる。店は老いた母と二人の娘が切り盛りしている。私はペペロンチーノ、妻はカルボナーラのパスタを注文する。これが本格的なイタリア料理で、いずれもとてもおいしかった。

 そのあとは、宿に戻って前日同様に大相撲を観戦、関脇、大関が全滅という混戦状態に予断を許さない今後の展開への思いをいたす。夕食は、昨夜とおなじ部屋で、イワナの塩焼き、上州牛のしゃぶしゃぶといった地元産の食材による料理を味わう。今夜はワインを飲む。

 

 ロープウェイで快晴の天神平へ

 翌朝、目を覚ますと雲一つない快晴である。窓からは朝日に輝く谷川岳の峻険な姿がくっきりと見える。今日は絶好の山日和である。朝食をすませると、早々出発の準備にかかる。9時すぎに宿の車で水上駅へ行き、観光案内所で天神平へバスからロープウェイに乗り継ぐ乗車券を購入、うのせ温泉、湯檜曽温泉、JR土合駅をへて谷川岳ロープウェイ駅にむかう。周囲の山々は黄色く色づき、今が見ごろである。その色とりどりの華やかさは、いくら眺めていても飽きない。しかし、バスが高度を上げるにつれて、山々は灰色の冬景色になっていく。まわりを見渡すと、欧米系の観光客の姿が目につく。若い高校生くらいの団体もいる。 

 ロープウェイはゴンドラ形式で、ゆっくりと谷川岳の山腹を登っていく。終点でゴンドラを降りると、山頂のトマの耳(1963)、オキの耳(1977)が目の前にくっきりと浮かびあがってくる。上越国境や周辺の山々も連なっていて、これ以上にない雄大な景観を形づくっている。ここからさらにリフトに乗り継いで天神平まで登る。海抜1502メートルである。ここから山頂までは歩いて2時間半くらいであろうか?元気なころなら一気に山頂を目指すのだが、いまのわれわれには、頂を眺めるだけで満足するしかない。それでも、ここまで登っての眺望は、絶品である。谷川岳山頂を背景に、ふたりそれぞれ記念撮影をして、天神平に別れを告げる。

 一の倉沢に足を伸ばすかどうか迷うが、前回体験しているのでパスすることにして、バスで水上駅に戻り、さらに乗り越して駅からさほど遠くない諏訪峡を訪ねる。利根川の河岸に整備された公園で、桜や紅葉の見どころとなっている。川に沿って遊歩道が整備されており、歩くこと15分ほどのところに、与謝野晶子の歌碑がいくつも設置されている。その先に橋があり、これを渡る。このあたりからの川の流れをはさんでの谷川岳の全景は、素晴らしいの一語に尽きる。帰りに公園の入口にある店で黒須饅頭という名物を買い、タクシーで水上駅に戻る。

 駅前のソバ屋で遅い昼食をとり、2時過ぎの列車で高崎に向かう。高崎で3時38分発新幹線トキに乗り換え、4時半に東京駅に到着、中央線で新宿に出て、小田急線に乗り換え、5時範半に町田駅に戻る。自宅近くのカレー専門店、エビンで夕食をとり、ビールで乾杯、帰宅したのは7時過ぎであった。久々のくつろいだ癒しの旅に、二人とも満足。いろいろお世話になった娘に感謝。