川越宗一『熱源』(文芸春秋社、2019・8)

 作者は1978年生まれというから、40歳そこそこである。2018年に『天地に燦あり』という作品で第25回松本清張賞を受賞した新人である。本作は、北海道の北に浮かぶ極寒の島、樺太(サハリン)を舞台に19世紀の後半から第二次世界大戦の終わりまで、時代にほんろうされながらひたむきに生きるアイヌの人々を描いた力作である。そこでは、ロシアに祖国を奪われ母国語を話すことすら禁じられ、反逆罪でサハリンに流刑されるリトアニア出身のポーランド人とアイヌやニヴクン(ギリヤーク)との交流にも大きなスペースが割かれ、ヨーロッパとアジアとをむすぶ壮大なスケールの物語が展開される。半世紀の時代、明治維新日露戦争ロシア革命第一次世界大戦第二次世界大戦という波乱と激動の歴史と、北海道、サハリン、ウラジオストックなど極東にとどまらず、ロシア、ポーランド、フランスへと舞台が広がるこの作品のスケールは、それだけでも驚嘆に値する。まだ粗削りなところはあるが、将来に期待が持てる新人作家の登場といえよう。

 話は冒頭、第二次世界大戦でドイツに勝利したソ連軍の女性軍曹が対日戦で極東に向かうところから始まる。しかし、話題は一転して、サハリンから移住したアイヌのヤヨマネクフ、シシラトカ、アイヌ人の母と日本人の父を持つ千徳太郎治3人の北海道・対雁での生活に移る。森林も漁場も日本人に奪われ、劣等民族視と差別に苦しみ、日本政府がすすめる皇民化に自分たちのアイデンティティーの危機を感じておびえる。そして、一大決心をしてそれぞれ生まれ故郷のサハリンへ戻り、そこに生きる道をさぐる。そこに現れるのが、祖国を奪われたリトアニア出身のポ-ランド人流刑囚、プロニスワフ・ビウスツキである。ペテルブルグ大学の学生だった彼は、反逆罪でサハリンへ送られ生きる希望を失っていたが、ギリヤークやアイヌの言語、習俗などに関心を深め、住民たちとの交流を通じて民俗学者として実績を上げてゆく。プロニスワフには、独立運動にたずさわる武闘派の弟がおり、大学の先輩には人民の意志派で皇帝暗殺罪に問われて死刑になったレーニンの兄、ウリヤノフもいる。

 大半が識字能力もない住民がロシア人に差別され不利益を強いられるのを見て、同じく被抑圧民族出身のプロニスワフは、サハリンでの学校建設を思いつく。もともと教師志望だった千徳太郎治やその才能に目にとめたギリヤーク人の青年とともに、資金や建設資材集めが始まる。しかし、日露戦争での日本の勝利によって南サハリンは日本領になり、計画は頓挫する。日本領となったサハリンでは、すべてが日本式になっていく。そんななかで、プロニスワフは、アイヌの頭領の養女と結婚して、一女をもうける。しかし、第一次世界大戦ロシア革命ポーランド独立の条件と可能性が生まれると、悩んだ末帰国の道を選ぶ。

 一方、ヤヨマネクフらは、改めて学校づくりにはげみ、サハリンを訪ねてきた若き金田一京助と知り合いにったりするなかで、アイヌの存在と権利の承認を求めて日本本土にわたる。そこで大隈重信二葉亭四迷とも交流する。やがて、白洲中尉の南極探検隊が組織されると、極寒の地で唯一の足になる樺太犬の飼育と世話係として、ヤヨマとシシラトカは探検隊に加わる。アイヌの存在意義を内外に示そうという意図からである。

 第二次世界大戦で日本がポツダム宣言を受託して降伏すると、ソ連軍が南サハリンに侵攻してくる。住民の必至の逃避行が始まるが、ヤマよとシシラトカはそれぞれ日本軍とソ連軍の案内役として駆り出される。日本軍と戦うソ連軍のなかには、冒頭に出てきた女性伍長の姿もあった。傷を負って日本軍の捕虜になったクルニコワ伍長の耳に、どこからともなく響いてくるアイヌの五弦琴の音があった。アイヌという少数民族に視点を据え、抑圧され滅びかねない民族の人間としての誇りと尊厳を問う、読み応えのある佳作である。(2019・12)