ギュスターヴ・フローベール『サラムボー』(中條屋進訳、岩波文庫)

 フローベールといえば、知っているのは『ボヴァリー夫人』『感情教育』くらいで、『サラムボー』などという作品の存在すら聞いたことがなかった。まったくお恥ずかしい次第である。昨年末、たまたま書店で目にして、こういう作品が存在し、訳本が初めて出版されたことを知って、さっそく購入した。これまで知っているフローベールとは全く違う古代カルダゴを舞台とする歴史小説である。紀元前3世紀、フェニキア人がつくった通商国家・カルタゴとローマの間で闘われた3次にわたるポエニ戦争、その第一次ポエニ戦争のあとに傭兵の反乱がおこり、これとカルタゴ軍が戦ったのが、いわゆる傭兵戦争(別名、アフリカ<リビア>戦争、前241~238年)である。

 フローベールがとりあげたのは、ポエニ戦争のなかでいえば、いわば些末な傭兵の反乱とその鎮圧事件である。双方の殺戮があまりの残虐をきわめたことで後世に伝えられたという。作者はなぜこの事件に目を付けたのか、『ボヴァリー夫人』につづいて一転して書いたのがこの作品だから、驚きである。ずいぶん史料をあさり、読み込んだようだが、ローマに滅ぼされた紀元前の都市国家について、そのリアルな実像を伝える生の史料はほとんど存在しない。にもかかわらず、この都市国家の宮殿や神官、宗教から街の様子、人々の暮らし、さらに戦争のそれぞれの場面が克明に描き出されているのだから、その作家的想像力に驚きを禁じ得ない。ただし、そのことが史実の描き方をめぐっていろいろ物議をかもし、論争の種となってきたようだ。

 表題になっているサラムボーとは、カルタゴの頭領で優れた軍事指揮官であるハミルカムの娘で巫女、絶世の美女でもある。話は、ローマに勝利したカルタゴの傭兵たちが、戦争での功績にもかかわらず、給与の支払い遅延など処遇が悪いことを不満として反乱を起こす。その首謀者となるのが傭兵隊長のマト―であり、その副官となる元奴隷のスペンディウスである。ハルミカムがローマとの戦役から帰還していなかったこともあり、反乱軍は当初はカルタゴに不満を持つ周辺部族などを味方につけて、カルタゴを包囲し優勢であった。マト―はスペンディウスとともに、ひそかにカルタゴ市内にもぐりこみ、宮殿に潜入してサラムボーに会いひそかに恋心を抱くとともに、その神殿に大切に保管されている聖衣・ザインフを盗み出す。ザインフはカルタゴを守護する神のシンボルであり、これを奪われることはカルタゴの人々にとっては敗北と滅亡を意味する。事実、城壁を包囲され、兵糧攻めにあうカルタゴは、飢えと疫病に見舞われ、陥落寸前にいたる。

   そこへ名将、ハミルカムが軍勢をひきつれて帰還し、戦いの形勢はわからなくなる。サラムボーは、みずからが仕える神官からの勧めで、ザイフンをとりもどすために単身、敵軍陣地におもむきマト―に面会を求める。そしてテントの中でマト―とちぎり、ザインフを奪ってカルタゴに帰る。一方、ハミルカンは同盟国となったヌミディアの若き王・ナルハヴァスに勝利の暁には娘を娶らせると約束する。戦いの形勢は次第にカルタゴ側優位に傾き、マト―も力尽きて捕らえられる。そして、カルタゴ市内を引き回され、市民たちの無残な虐待にさらされたうえ、サラムボーの目の前で惨殺される。

    ストーリーそのものはいたって単純で、ページの大半はハミルカムとマト―の両軍の戦闘場面で埋め尽くされている。それも、この上なく残虐な描写がこれでもかとつづくのである。例えば、「死体と瀕死の者の上に折り重なって倒れたけが人が山をなし、生きた脚がそれを踏みつけて歩く。外に飛び出た内臓、飛び散った脳みそ、そして血溜まり、そのなかで焼け焦げた胴体が黒い染みをなしている。死体の山の中から胸や脚が上にまっすぐ――――」といった具合である。サディスティックというほかない。何を意図してこれほど残虐な戦闘描写にこだわったのか? そこに、作者のどんな怨念がこめられているのかは、読者の推測にゆだねられている。(2020・1)