ギュスタヴ・フローベール『感情教育』(生島遼一訳、岩波文庫上下)

 ボヴァリー夫人』『サラムボー』につづいて作者が1864年から5年がかりで書き上げた代表作の一つである。舞台は、1848年の2月革命をはさんで、ルイ・フィリップの7月王政の時代から共和制へ、そしてルイ・ボナパルトのクーデタによってふたたび独裁政治から王政へと転換するフランス史上もっともはげしく揺り動いた時代のパリである。

    主人公の青年フレデリックの人妻、アルニー夫人への恋物語を中心とする作品なのだが、なによりも注目されるのは、この騒然とした時代とそこに生きる青年たちの生きざまがリアルに生き生きと描き出されていることである。共和主義者、社会主義者アナーキスト、保守派、王党派が入り乱れ、あらゆる会合で激論が交わされ、共和派の政治宴会がひらかれ、示威行進はやがてバリゲードにかわり、軍隊の発砲と悲鳴、街路を死体が生めるといった騒状況があまり脈絡もなく、しかし克明につづられていく。 

   1840年代のフランスという一番興味深い時代を、この作品によって目に浮かぶように知ることができる、ここに得難い魅力があるといえよう。

フレデリックは、最初は法律を学ぶ学生だが詩や文学に興味を抱く多感青年として登場する。政治亭な立場はあいまいである。これと対照的なのが同郷の親友であるデローリエである。こちらはまずしい出身で共和派、弁護士となって政界での立身出世をめざす理知的な青年である。この二人を中心に、革命に翻弄されながら夢を追う多彩な青年たちが活躍する。理想主義者で社会主義者セネカル、民衆的感情の代表者のデュサルディエ、出世主義者のマルティノンなどなどである。

    フレデリックは、同じ客船で出会った美しく清楚なアルニー夫人に一目ぼれ、画商を営むアルニー氏に接近し、アルニー家に出入りするようになり、夫人に近づく機会を得るたびに、熱い思いを募らせていく。やがて二人だけの空間と時間を持つ機会に恵まれ、相思相愛の関係になるが、あくまで二人の関係はプラトニックな域をでない。その一方で、フレデリックはアルニー夫人への思いがままならないこともあって、男関係の多々あった女優のロゼッタと関係をもつようになり、子どもまで生まれる。そのうえ、大ブルジョアのダンブールと知り合いになり、社交界の花形の夫人に接近する。やがて、ダンブール夫人と恋仲になり、ダンブールの病死を機に、全遺産を相続するはずの夫人との結婚を決意する。ロゼッタ生活も清算できず、不自然な二重生活をしいられるが、やがて両方とも破綻をきたす。

  革命的情勢のなかで、自堕落といえばそれまでだが、そうした破廉恥なせいかつのなかで、アルニー夫人への純粋な愛をひたすら維持し、恋焦がれつづけるところに、この青年の憎めない純真さがある。革命政権の役人に就任するデローリエの方は、やがて48年の6月事件を機に変動勢力の攻勢によって情勢が反転数するなかで、せっかく獲得した地位もうしなっていく。

 それから20年ほどを経て、アルヌーが死去したあと、夫人がフレデリックを訪ねてくる。二人は久しぶりにお互いの愛を確かめ合うが、ここでも何事もなく、アルニー夫人は白くなった自分の髪をひと房切り取ってフレデリックに渡し、もう二度と訪れることはないと告げて去っていく。

 やがてフレデリックとデローリエは再会する。そして、恋愛も政権も夢がついえた過去を振り返り、語り合う。デローリエはいう。「僕は理屈が多すぎ、君は感情が多すぎたのだ」と。そして「あの頃が一番良かったな」と二人の見解は一致する。さて、この作品を通して作者は何を語りたかったのだろうか? タイトルの「感情教育」とともに、謎といわなければならない。(2020・2)