北杜夫『楡家の人びと』(全3部、新潮文庫)

 この作品に特別の思いを込めたエッセイをたまたま最近ある新聞で読んだことが一つのきっかけになって、そのうちにと伸ばしてきた本作にいどむことになった。1964年に刊行されているから、すでに半世紀余を経ていることになる。三島由紀夫がこの作品について、「この小説の出現によって、日本文学は真に市民的な作品をはじめて持ち、小説というものの正当性を証明するのは、その市民性に他ならないことを学んだといえる」とのべたことはよく知られている。

 三島の指摘がどこまで当を得ているかは別として、本作は精神病院を経営する一家の三代にわたる歴史を丹念につづった長大な力作である。作者は、若くしてトーマス・マンに心酔し、とくにマンの出身地である北ドイツの小さな町、リューベックを舞台に、ハンザ同盟の系統をひく由緒あるマン自身の家族の歴史を描いた「ブッテン・ブローグ家の人びと」を読んで触発され、みずからの家族の歴史を小説にしようと思い立ったという。そういう視点で読むと、なるほどと納得させられるところも多い。

 作者の父は、著名な歌人でもあった斎藤茂吉(作中では楡徹吉)であり、祖父は、福島県の上ノ山から上京し、一代で青山に有名な精神病院を創立した斎藤喜一郎(作中では楡基一郎)である。そして作者の兄は、作家の斎藤茂太である。もちろん、小説だからフィクションも多く、事実をそのまま伝えているわけではない。にもかかわらず、創業者・基一郎から三代に連なる精神病院という特殊な施設を運営する市井の一族の歴史を通じて、明治、大正、昭和と生きたごく普通の日本人の生きざまが、いとおしくせつない響きを帯びながら読者の胸に伝わってくる。

 なによりも登場するそれぞれの人物がユニークで個性的である。病院創業者の基一郎は、有能で如才なく人が良いが見栄っ張りではったりや。政友会から衆議院議員にもなる。年に一度病院の全職員を集めて大演説をぶち、演技たっぷりに一人ひとりへ賞与を手渡す。患者の耳に聴診器をあて、「君の脳は腐っている。だが心配するな。僕はオーソリティだからかならず直してやる」とうけあう。これが意外に患者の信頼を得ることになる。基一郎は、秀才だがまずしく進学できない同郷の徹吉を養子にして、学習院を出た長女・龍子の婿に迎え、病院経営の後継者にする。父をだれよりも尊敬する龍子は母譲りの凛としたプライドの高い女性である。婿とは肌が合わないばかりか、軽蔑さえしている。一方、徹吉は、養父とは対照的に生真面目で学究肌、おしだしも良くなくはったりもきかず、病院経営には向かない性分で、苦労する。次女で美貌の聖子は、親の反対を押し切って結婚するが、生活の無理もたたって若くして没する。三女の桃子は、美人ではないが愛らしい少女として伸びのび育つ。しかし、親の決めた結婚相手となじめなかったこともあり、夫の死後家を飛び出し、実家から勘当される。

 基一郎には、欧州、米国と奇妙な名をもつ二人の息子がいるが、長男の欧州は大学で落第をくりかえし、ようやく精神科医にはなるが、父の病院にはかかわろうとしない。米国は、医者にならず、自称病気で病院の農園を手伝っている。徹吉の子どもは、俊一、周二、藍子の三人、周二が作者の分身である。

 特段に事件らしい事件があるわけではない。事件といえば、基一郎の晩年、11の尖塔で人目を惹く青山の病院が火災で全焼し、たまたま火災保険に不加入だったことから、大損害をこうむる。やむなく、世田谷区の梅が丘に広大な農地を手に入れ、新しい病院の建設に取り掛かる。基一郎は新病院建設を待たずに生涯を終えるが、新しい病院は順調に発展する。アジア・太平洋戦争の勃発で、米国、俊一らが徴兵され、米国は中国で、俊一は南太平洋のウェーキ島要塞で生死のあいだをさまよう。俊治の友人で藍子の恋人の城木達紀はラバウルで戦死する。この人たちをとおして、米軍に制空、制海権をにぎられた戦地の悲惨な実態が、また、まだ学生の周二や藍子をつうじて米軍の空爆で徹吉らの病院をふくめ全滅する東京の惨状が、実にリアルに語られる。

 敗戦をむかえ、戦災ですべてを失った徹吉が、疎開先の上ノ山で倒れる。奇跡的に生き伸びて帰還した俊一にたいして、病院の再建を龍子が迫る。ここでこの作品は終わる。