門井慶喜『定価のない本』(東京創元社、2019・9)

 作者は2018年に『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞している。1971年生まれである。本書のタイトルは、古本のことである。古書には定価がない。古本屋は古書をいくらで売ろうと自由である。古本はそこに無尽の文化や歴史が内蔵されていることから多面的な関心の的になりやすく、古書をテーマにしたミステリーが結構ある。本書もその一つである。アメリカ占領軍の支配下にあった敗戦直後の日本を舞台にした奇想天外な物語である。

 話は、東京神田の古書店主、吉松が、書庫のなかで棚から落下した古書に押しつぶされて圧死しているのを発見されるところから始まる。発見者の妻から通報を受けたやはり古書店主の琴岡庄治が現場にかけつけると、何者かに襲われる。あわやというところをたまたま居合わせた占領軍(GHQ)の兵士、ハリー軍曹に助けられる。そして、上官を紹介するからと、総司令部の一角となっている旧岩崎邸へ出頭するよう要請される。庄治が岩崎邸に赴くと、GHQ参謀第二部のジョン・C・ファイファー少佐に引き合わされる。少佐は、吉松が共産主義者ソ連のスパイであった可能性があり、その死が他殺であることをほのめかすとともに、事件後姿を消した吉松の妻、タカの行方の捜査への協力を求める。吉松が妻のタカに殺されたのではという疑惑も浮かぶ。こうして、庄治はGHQと次第に深くかかわるようになっていく。

 当時、アメリカによる軍事占領下の日本は、GHQの指令によってそれまでの施策や制度慣行などが次々に否定されていく。軍人、政治家が戦犯で逮捕され、それまで国賊として監獄に入れられていた政治犯が釈放されるなどなど。そうしたなかで、日本の伝統や歴史、文化も否定されていく。歴史教育も禁じられる。そのこともあって、当時、古書は戦後の混乱のなか飛ぶように売れるのだが、庄治のあつかう『源氏物語』や『平家物語』などの古典籍はさっぱりで、庄治一家は食うものもない窮乏を強いられている。ところが、ある日、ファイファー少佐が、日本の古典籍を大量に買うという。庄治があつめた古典籍は片端からファイファ―の手にわたり、庄治はたちまちのうちに懐が豊かになっていく。なぜファイファーが日本の古典籍を買いあさるのか? その謎がやがて明らかになる。

 GHQにダスト・クリーニング計画なるものがあり、ファイファーはその秘密の執行者だというのである。ファイファーによると、ダストとは「戦前の君たちを肥満的な軍拡へと駆りたてたもの、非人道的な大陸侵略へと駆りたてたもの。そうしてあの卑怯きわまる真珠湾攻撃をおこなわせた上、悪いのは自分自身だとまったく悟らせることをしなかった最大の原因であるところのもの。邪悪な粉塵、不潔黴菌。そう。歴史だ」という。つまり「萬世一系」に象徴される自国の歴史に対する日本国民の自負と誇りが、戦争にかりたてたのだから、この歴史を抹殺する、そのために古典籍を日本から一掃するのだという。古典籍の買い占めはそのためで、庄治はその手先として利用されているという。吉松も利用された一人で、そのことの恐ろしさに気づいた。彼が死んだのはそのためだ、ということもわかる。

 そこで、庄治たちの大作戦が開始される。GHQによる日本の歴史抹殺をゆるさないための神田古本屋総勢による国の命運をかけたたたかいである。最初に、本書について奇想天外と書いたのは、このことである。庄治のお得意さんに右翼文筆家だった徳富蘇峰を頻繁に登場させているのも、そうした文脈の一環としてである。話は、あまりにも奇想天外といえよう。GHQによる日本の文化と伝統退治という発想は、面白いと言えば面白いのだが、あまりに現実離れしていて、リアリティを欠くといわざるをえない。