アルベール・カミユ『ペスト』(宮崎峰雄訳、新潮文庫)

 新型コロナ・ウィルスによる緊急事態宣のもと、カミユの『ペスト』を読んだ。第二次世界大戦直後の1947年に発表された作品で、執筆されたのはフランスがナチスに占領されていた時期に重なる。フランス政府はナチスに屈したが、ナチスに対するフランス人民のレジスタンスがたたかわれ、作者自身もこれに加わっていた。思想信条、政治的立場や職業のちがいをこえてファシズムに反対し自由と独立をめざしたフランス人民のたたかいを、歴史的な背景に書かれた作品である。

 舞台は当時フランス領だったアルジェリアのオマンという海岸に面した都市である。医師のリウーが或る朝、診察室から往診に出かけようとして、階段で一匹のネズミの死骸を発見する。つづいて街のあちこちでネズミの死骸が見つかるようになる。医師宅のネズミを始末した門番の老人が高熱を出して、あっという間に死去する。熱病はまたたく間にひろがり、街中が不安と恐怖におののく。患者は、40度以上の高熱をだし、絶え間なく譫言をくりかえし、吐き気とともに頚部のリンパ腺が異様に腫れる。やがて、ペストと判明、県知事が非常事態宣言を出し、オマンは完全に封鎖(ロックダウウン)される。患者の隔離はもとより、オマンに通じるすべての道路が閉鎖され、交通機関もストップさせられ、郵便も止められる。たまたま街を離れていた人は帰ることができなくなり、街を訪れていた人は市内に閉じ込められる。強硬に脱出しようとする人が州兵と衝突して騒乱が起きる。

 隔離病棟は公共施設などに際限なく拡張され、医師をはじめ医療関係者は肉体的限度を超えて働き、疲労困憊の極に達する。死体処理が追いつかず、囚人をも刈り出さざるをえなくなる。人々の不安といら立ちは募る一方で、絶望とあきらめの空気もひろがっていく。教会の中央聖堂では、パヌール神父が、神の怒りによる「当然の報い」と言い放ち、人々に罪を悔い改めるようよびかける。

 そうしたなかで、リウー医師と友人で滞在中のクルー、市役所の職員のグランらは、自発的に救援隊を組織してペストとのたたかいにのりだす。そのようすが、淡々とつづられていく。新聞記者のランベールは、たまたま滞在中にこの騒動に巻き込まれ妻をパリに残してきたままなので、なんとしても市を脱出しようと、非合法の手段も含めてあらゆる手立てをつくす。しかし、ようやく脱出の目途がついたとき、彼はリウーらの活動に加わり続けるのが自分の責任だと決意を新たにする。そして、いつのまにか、パヌール神父も救援隊の活動に熱心にとりくんでいる。この人たちの活動は、一つ間違えば自ら死を招く危険な仕事である。

 ペストの恐怖が重く全市を支配するなかで、危険を冒して黙々と働くこの人々の姿は、神を信じるものも、信じないものも、政治的立場、信条の違いをこえて、ファシズムとのたたかいにたちあがり、連帯したフランスの人々の勇気と献身を、読む人に想起せずにおかない。この作品が発表されたさい、フランス人のあいだに湧きあがった共感は、なによりもそのことをしめしているのではなかろうか?

 カミユは、前作の『異邦人』に顕著だったように非条理の文学、実存主義哲学の文学といわれ、本作もその延長線で語られることが多いようである。ペストに象徴される非条理に直面する人間といったモチーフである。しかし、本作にかんするかぎり、フランスの人々がナチスとのたたかいで示した勇気と献身、連帯と友情の精神を体現しているところにこそ、その真価があるのではなかろうか?(2020・4)