スティーヴン・ジョンソン『感染地図』(矢野真千子訳、河出文庫)

 作者は、ニュー・ヨーク・タイムズ・マガジンのコラムニストで、科学ジャーナリスト19世紀イギリスのいわゆるヴィクトリア時代にロンドンで発生したコレラの集団感染をめぐって、その原因解明にとりくんだ医師、ジョン・スノーと、牧師のヘンリー・ホワイトヘッドらのたたかいを追跡している。新型コロナ・ウイルスの世界的規模での感染のひろがりとの格闘が各国ですすめられているこんにち、その原点ともいえる歴史的なとりくみに的を当てた時宜にかなった文献と言えよう。2006年に発表されている。

 1854年の夏、ロンドンの下層階級が暮らしていたソーホー地区ブロード・ストリートを中心に、コレラの集団感染が発生する。この一帯は、人口が密集しているだけでなく極端に不衛生で、悪臭に満ちていた。当然、多くの人が不衛生状態による悪臭、すなわち汚染された空気が感染の原因とみなし、その対策に力を入れる。コッホによるコレラ菌発見の何十年もまえだから、コレラの原因はまったく知られておらず、まったく非科学的な風評をふくめて恣意的な憶測が蔓延していたのである。そうしたなかで、医師のスノーは、激しい下痢と脱水症状で命を落とすコレラの原因は飲料水ではないかとの推測にたって、感染者が充満する街に入り込んでその裏付け調査に身を挺するのである。ホワイトヘッドはこの地域の教会の副牧師で、宗教的使命感から汚染地域の住民との接触をつづける。この牧師ははじめスノーの説には反感を抱いていたが、その調査活動の内容を具体的に知るにつれて、協力的になっていく。

 スノーの着眼は、この地域の地図と市が作成した住民台帳をもとに、感染者、死亡者の克明なリストをつくりあげることである。死亡した感染者をだした家族の多くは、この地域から避難し、いなくなっている場合が多いし、在住していても感染の状況を見ず知らずの医師に語ることを拒む人がおおく、調査は難航をきわめる。しかし、スノーは麻酔技術を開発した功労者でもあり、気体であるクロロホルムの人体に及ぼす働きなどの知識から、空気感染ではあり得ないと確信し、調査に執念を燃やす。そして、ついにブロード・ストリート40番地にある井戸が、感染源と突きとめる。地域と住民をよく知るホワイトヘッドは、この井戸の近くでごく初期に感染して死亡した赤ちゃんの排泄物が流れ込んで井戸水を汚染した事実を、その経路まであきらかにして裏付ける。それでも、空気感染説論者から受け入れられなかったが、時間の経過とともにスノーらの主張が市民権を獲得していく。そして、コッホによる病原菌の発見によって、決定的な勝利を収める。今日につながる疫学的研究の出発点でありその勝利である。

 著者がスノーらの努力を単なる個別研究の事例にとどめず、19世紀のイギリスに象徴される世界的規模での産業革命とこれにともなう都市化の進展、そこでの都市の汚染、とくに人間の排泄物による飲料水の汚染といった、文明そのものの進歩が直面する人類的課題のひろがりのなかで論じているところに、この著作の大きな特徴がある。本書の書き出しは、「1854年の8月、ロンドンはごみ漁りたちの街だった。骨拾い、ぼろ集め、犬糞集め、どぶさらい、泥ひばり、下水狩り、燃えがら屋、下肥屋、油かす乞い、川底さらい、河岸受け、――――この業種の呼び名を並べれば、まるで珍獣動物園の目録だ」ではじまる。数十年の間に200万人にふくれあがったロンドンでは、排泄物の処理は数十万人の下層階級の手にゆだねられていた。密集状態の労働者街の住宅には戸別のトイレもなく、毎朝排泄物を街路や中庭に放出するといったことさえ行われていた。ようやく整備された下水道も汚水をテムズ川に流し込み、その水がロンドン市民の飲料水になるという恐るべき事態がまかり通っていたのである。スノーらの努力は、そうした事態の科学的解決への先駆的努力、というのが著者のスタンスである。そこに今日のグローバル化した巨大都市が直面する課題とのつながりを見ているのである。(2020・5)