小松左京『復活の日』(角川文庫)

 コロナウイルスで緊急事態宣言が出されたのを機に、カミユ『ペスト』、スティー

ン・ジョンソン『感染地図』、高橋哲夫『首都感染』と、感染病の流行をテーマにした

品を読んできた。その締めくくりでこの小説に挑戦した。1964年に発表された作

品だから、もう古典といってよいであろう。『日本沈没』とともに作者の代表作であ

る。

 舞台は、第二次大戦が終結して間もないころ、米ソの対立を軸に核軍拡競争によって世界は核戦争による破滅の危険にさらされていた。1962年におこったキューバ危機では、ソ連によるキューバへのミサイル配備をめぐってあわや米ソの核戦争勃発という切迫した事態が現実におこったのである。こうした時代背景のもとに、この作品は、悪性の感染病のひろがりによる人類の絶滅という最悪の想定を主題としている。

 冒頭、原子力潜水艦ネーレイド号に乗船した吉住が、艦上から望遠鏡で無人の廃墟と化した日本、白骨の連なる浦賀の街や富士山を眺めるところから始まる。核兵器とともに当時盛んだった生物化学兵器の開発競争のなかで、イギリスの軍事研究所から致死性の感染ウイルスがひそかに持ち出される。それを運んだ航空機が事故でヨーロッパ・アルプスの山中に墜落、ウイルスの容器が壊れて最悪の病原が拡散、イタリアやウクライナなどで原因不明の心臓発作で死亡するひとが相次ぐ。みずからが開発したウイルスを持ち去られたイギリス人の科学者は、責任を感じて自殺し、病原は不明のまま、またたくまに被害が世界中にひろがっていく。そしてあっというまに、街は患者と死体でいっぱいになる。医者も看護師も罹患して死亡、病院は機能停止。交通機関も途絶え、テレビや新聞も発行不能になる。アメリカでもソ連でも政治・行政は麻痺し、大統領や首相が、軍の司令官がつぎつぎに亡くなっていく。こうして数か月で、世界中の人口が激減、いたるところに死体が転がり、死体には蛆がわき、すさまじい死臭が街を覆う。やがて死体は白骨と化し、街は無人の廃墟となっていく。

 そんな世界で、生き残ったのは外界から完全に隔離された南極大陸で越冬していた約1万人の観測隊員だけであった。しかし、ここには補給もなければ、情報もとどかない。備蓄していた食料も衣服も備品もしだいになくなっていく。電力も火力も補充ができず、新たに生産するすべもない。こうした状況のなかで、人類の生き残り、将来はすべてこの人たちの肩にかかる。隊員たちの祖国そのものが全滅してしまった以上、もはやどこの国の出身か国籍は意味をもたない。その意味で、隊員たちははじめて共通の仲間になったのである。その共同の努力に人類の未来がかかっている。

 冒頭の潜水艦ネーレイド号は、南極探検隊に残された二隻の艦船の一つであり、吉住はその乗員の一人である。地上はどこも危険な感染病で汚染されているため、上陸は許されず、海のなかから地上の様子を探ることができるだけである。地震学が専門の吉住は、南極に閉じ込められて4年がたったころ、アラスカでの大規模な地震発生を予測する。アラスカには米軍の基地がある。地震による破壊でもソ連による攻撃とみなし、即座にソ連に核攻撃をくわえる自動装置がアメリカのホワイトハウスに装着されたままである。ソ連も対応する核攻撃自動装置をもっており、攻撃は南極に置かれたアメリカの軍事基地にもむけられる。そうなればかろうじて生き残った南極探検隊は全滅してしまう。さてどうするか?「本当の意味での人類の“復活の日”は、いつくるのであろうか」――この問いかけで近未来小説は終わる。その問いかけは、今日にも生きている。(2020・5)