北杜夫『白きたおやかな嶺』他(全集3巻、新潮社)

 1965年、京都府立大山岳会がヒマラヤ山脈に連なる未踏峰だったカラコルム山脈中のディラン(標高7273メートル)に挑戦する。ディランは、それ以前にイギリス隊、ドイツ隊などが登攀を試みているが、いずれも失敗している。一見、氷河の先にそびえ白雪におおわれたやさしい山の印象を与えるが、氷河自体がクレパスだらけで雪崩が絶えない。そのうえ高度が上がるにつれて天候が急変し、山頂近くでは猛烈な吹雪に見舞われる。日本隊も、山頂直下まで迫るが、登頂をあきらめてひき返している。この登山隊の登攀記録をもとに記録文学として仕上げたのが、この作品である。

 作者がこの登山隊に参加したのは、ドクターとしてである。海外遠征登山隊に欠かせない医師がみつからず、たまたま隊長が松本高校出身者で、同じ高校の後輩である作者に声がかかったのである。作者自身、松本高校へ進んだのは北アルプスに魅せられたからであり、山好きはもともとだが、本格的な登山の訓練を経験しているわけではない。だから、本人はベースキャンプから一つ上のC1キャンプまでしか登っていないのだが、隊の記録をもとに作品をしあげたようだ。作者のユーモラスな性格も幸いして、厳しい登攀記だが、たのしくついひきこまれてゆく読み物となっている。

 物語は明快である。先発隊がパキスタンのカラチでの資材の購入、運搬の準備・手配、パキスタン政府から登山許可を得る交渉などからはじまって、本隊を迎えて、地元民のポータを組織し、氷河の下までジープで現地に入る。そして、ディランを仰ぎ見る氷河の真下にベースキャンプを設置し、C1、C2、C3、C4と高度を上げながらキャンプを追加、荷揚げする。最後に登攀隊がAT(アタックキャンプ)で一泊して、未踏の頂上をめざす。隊長、副隊長以下、ドクターにいたる隊員たちの一糸乱れぬ行動とユーモラスな会話、これがなによりの魅力である。同時に、言葉の通じぬ現地ポーターやコックとのぎくしゃくを含みながらの交流と友情も、この作品の大きな特徴をなしている。そこには、登山隊に同行するパキスタン軍中尉と隊員たちとの親交も加わる。

 そして、クライマックスは、最後の頂上アタック、手に汗を握るスリリングな場面である。標高7000メートルを超え、酸素が極端に薄くなったなかで、急変する天候をまえにピバーグを強いられ、翌朝、山頂を目指して最後の力をふりしぼるシーンは、やはり山岳文学ならではの迫力である。作品が書かれてから半世紀以上を経ているが、今まさに登攀しているかのような臨場感がある。なお、ディラン登攀は、3年後の1968年にオーストラリア隊が成し遂げている。

 全集のこの巻には、ほかに、敗残者のような人生を送りパチンコでも負け続ける中年男性の奮起などをえがいた「3人の小市民」、屋根裏部屋で忍者ごっこに興じる子どもたちを題材にした「天井裏の子どもたち」、作者の父、斎藤茂吉の死をめぐって、作者と父とのなかなかややこしい関係を含む思い出をつづった「死」、さらに、作者の母らしい老いた孤高の女性が登場する「静謐」などの作品が収められている。作者の父は、著名な歌人斎藤茂吉である。高校生時代に父の歌集に初めて接して、父を崇拝するにいたりながら、実際に接する父の頑固でわがまま、独善的なありようにへきえきする作者の心情には、なるほどと妙な納得をさせられる。(2020・7)