柚木裕子『慈雨』(集英社、2016・10)

 作者も作品も知らなかったのだが、確か『朝日』が書評で取り上げていたのを目にして読んでみようかという気になった。図書館で借りだしの予約をしたら、先約が何十人もいて半年もたってようやく手にすることが出来た。当世、人気作家のひとりである。1968年生まれ、『臨床真理』(2008)で第7回「このミステリーがすごい」賞を受賞している。

 主人公の神場は、46年勤めた警察官を退職したのを機に、念願であった四国八八社を何ヶ月もかけて歩いて回る遍路の旅に出る。長年連れ添った妻が同行する。担当した数々の事件で犠牲になった人たちの慰霊が、旅の主な目的である。新婚旅行以来、仕事一筋で、妻といっしょにゆっくり旅行をすることもなかったので、妻へのねぎらいもかねての旅である。ひとり娘の幸知と老犬マーサに留守をまかせる。

 菅笠に白衣で身を固めた二人は、一番札所の霊山寺から歩き始める。幾日かしたある日、たまたま宿のテレビで神場が住む群馬県のある街で小学校一年の少女が殺害され、裸の遺体が発見されたというニュースが流れる。遺体の近くで白いワゴン車が目撃されたという。このニュースに神場は、職業柄というだけではない、聞き捨てるられない衝撃をうける。16年前に担当した、おなじような事件を思い起こさずにおれなかったからである。神場にとってこの事件は、警察官人生のなかで悔やんでも悔やみきれない心の傷となって今もうずいている。

 その事件とは、やはり小学校一年生の少女が殺害、遺棄され、検視の結果、暴行を受けて絞殺されたことが判明した。現場近くでやはり白いワゴン車が目撃されていた。しばらくして、幼女暴行などの犯歴をもつ容疑者が逮捕され、DNA検査の結果、犯人と断定され、裁判で18年の懲役刑が言い渡されて事件は決着した。ところが、そのあとこの人物のアリバイとなる目撃情報がよせられる。神場らは、もしもえん罪なら無実で長期の刑を強要する人権蹂躙に手を貸したことになるばかりか、野放しにされた真犯人が再犯におよび、新たな犠牲者を生むことにもなりかねない、事件の捜査をやり直すべきだと、強く具申する。しかし、警察上層部は警察の信用にかかわると、神場らの訴えを退けてしまう。神場らの心の奥底に、警察官として取り返しのつかないことをしてしまったのではとの深い悔恨が生き続ける。お遍路途中で耳にしたニュースは、神場にこの事件の苦い思い出を呼び起こしたのである。

 神場は、元自分の部下で娘の恋人でもある現役の緒方と上司の鷲尾に電話をする。そして、今回の事件の捜査の進捗状況を尋ねるとともに、捜査への協力を申し出る。同時に、16年前の事件の再捜査を提起する。今回の事件が、16年前に見逃された犯人による再犯の可能性があるからである。しかし、もしそうだとしたら、警察の威信は地に落ち、それに手を貸した自分たちの警察官としての経歴にも自ら泥を塗ることになる。部下だった娘の恋人にもその一端を担がせることにもなる。警察という組織の威信をまもるのか、それとも自らの良心に生き、それを貫くのか? 神場たちは、のっぴきならないジレンマに直面する。とりわけ、神場と行動をともにするという元上司で現役の幹部である鷲尾にとっては、それは警察幹部としての自らの立場を否定する事を意味する。鷲尾は、事実が判明したら辞職する決意をする。神場は、退職金など全財産を、無罪にもかかわらず刑を科された人と、真犯人の再犯によって犠牲にされた少女の遺族への償いにあてる決意を固める。それによってしか、警察官としての良心に生きる道はないのである。(2020・7)