ル・クレジオ『隔離の島』(中地義和訳、筑摩書房、2013)

 新型コロナ禍を機に、感染症の流行を題材にした作品をいくつか読んできた。カミユ『ペスト』、スティーブ・ジョンソン『感染地図』、高島哲夫『首都汚染』、小松左京復活の日』などである。ル・クレジオの本作は、感染症の流行そのものを直接テーマにしているとはいいがたいが、それが重要な舞台になっていることはタイトルが示すとおりである。作者は、1940年、南仏のニース生れ。『黄金探索者』『ロドリゲス島への旅』とともに、アフリカのモーリシャス島で砂糖キビプランテーション経営に携わり島の支配者として君臨した曽祖父にさかのぼる自伝的な三部作の一つである。クレジオは、2008年にノーベル文学賞を受賞している。

 物語は、語り手のレオンⅡが、祖母のシュザンヌから聞かされてきた祖父ジャックの弟で、行方不明になった謎の人物、レオン1についていて知りたいと、モーリシャス島を訪ねるという設定になっている。島にはいま、曽祖父の孫娘にあたるアンナという老女しか住んでいない。レオンⅡはアンナを訪ね、祖母から聞いてきたゆかりの地を訪ねたり、アンナの話を聞いたりする。

 しかし、レオンⅡが登場するのは最後の方で、話は祖父のジャックとシュザンヌが1891年、9歳離れたジャックの弟のレオン1を連れてフランスからアデンを経由してモーリシャスに向かうところから始まる。ジャックはイギリスで医学を修め、ナイチンゲールを崇拝するシュザンヌとともにモーリシャスで貧者のための無料診療所を開設する夢を持っている。モーリシャスは、ジャックにとっては幼い頃を過ごした故郷であり、レオンには兄から繰り返し聞かされてきた夢のような島である。同時に、モーリシャスは、ジャックらにとって決して懐かしいだけの島ではなく遺恨の島でもある。というのは、ジャックらの父が、フランス人でもイギリス人でもない、ユーラシア人の娘と結婚したため、一族から排斥され、モーリシャスにおれなくなってフランスへ移住したという歴史があったのである。ジャックとレオン1はユーラシア人の母の血を引き、母はフランスでレオン1を生んで間もなくなっている。

 ジャックら一行を乗せた客船は、途中アデンに寄港するが、そこで乗船した二人の男性が感染症にかかっていることが判明し、船はモーリシャスの手前にある小さな島、プラト島で乗客を降ろし、島に隔離してしまう。そこはかつて1850年代にも感染症を理由に移民など多数の労働者が置き去りにされ、そのほとんどがこの島で命を落とすという悲惨な歴史をももっている。島にはインド人苦力などが埠頭の建設工事などにたずさわっており、船の乗客は彼らとは別の隔離小屋に収容される。そして、感染症の症状が出た患者はさらにすぐ近くにある孤島、ガブリエル島に送られ、そこで死を待つ。乗客のなかにいた植物学者のジョン・メトカルフは、レオンを伴って島の植物採集に余念がなかったが、発症してこの島に収容され、遺体となってひそかに火葬にされ、その妻は精神の異常をきたして洞窟のようなところに潜り込んでいる。やがて、シュザンヌも発症、高熱にうなされる状態でガブリエル島に隔離される。

 こうした悲惨な隔離生活が40日も続くのだが、島そのものは美しいラグーンと豊かな自然に恵まれたのどかな小島である。このプラト島でレオンは、インド人の母親に育てられた美しい娘、シャルヤヴァティに出会い、熱烈な恋におちいる。フランス語を話す彼女は、インドでおこったセポイの反乱で多数のインド人が惨殺されたさい、現場近くで死んだイギリス人らしい母親にすがりついて泣いていたところを、インド人の女性に救われる。そして、その娘として長い苦難な旅のすえ、モーリシャスにたどり着いたという経歴を持っている。物語のなかでは、その詳しい経緯も語られる。

 レオンとシャルヤヴァティは、島のラグーンで泳いだり魚や貝をとり、島にある火山に登って野鳥の巣を観察したり野草を採集するなど、暑い日差しのもとで、自由にのびやかに過ごし、一日一日と愛情を深めていく。レオンにとって、もはや血統や階級、身分などはどうでもよく、そんなものと無縁な人生をこそ望むようになっていく。そして、やがて到着した救援船でシャルやヴァティとともにモーリシャスに上陸するのだが、その後の消息はわからない。この作品は、この二人の恋に具象化されている、限りない自由への憧憬と希望、愛の物語である。(2020・7)