川端康雄著『ジョージ・オーウェルーー「人間らしさ」への賛歌』(岩波新書、2020・7)

 ジョージ・オーウェル(1904~1950)と言えば、『1984年』『動物農場』『カタロニア賛歌』がすぐ頭に浮かぶが、スペイン内戦のさい反フランコ派の国際義勇軍の一員として参加し、その体験をもとにスターリン専制体制を告発する近未来小説『1984年』などの作品を書いたという事は知っていても、どのような生い立ちと生涯を送った人かについてはほとんど知識がなかった。そのため、岩波新書の新刊で本書が出たので読んでみる気になった。

 たまたまなのだが、前後して映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地」(監督・アグニエシュカ・ホランド)を観た。ガレス・ジェームスという実在のジャーなリストが、1933年、世界恐慌で各国経済が低迷しているなかソ連が経済的に発展を遂げているのはなぜかという疑問を解くためソ連に赴く。そして、スターリン体制のもとで過酷な収奪によって飢餓に追い込まれている穀倉地帯のウクライナを取材するというストーリーなのだが、この映画の始めと終わりにジョージ・オーウェルが登場する。つまり、映画の内容が「動物農場』や『1984年』にみるスターリン体制への批判につながることを示唆しているのだ。

 そんなこともあって、この新書を興味深く読むことができた。筆者は、1955年生まれ。日本女子大教授でオーウェルの研究家である。「あとがき」で、「『1984年』が強い影響を世界におよぼした著作であることを認めつつも、これを他と切り離してみるのではなく、彼の生涯の軌跡と著作全般を突き合わせて、彼が何に怒り、喜び、またなにを守ろうとしたか――――を立体的に浮かび上がらせること」につとめたと述べている。その言葉の通り、オーウェルの生涯と著作活動の全体を克明な資料考証にもとづいて的確にまとめ上げている。

 オーウェルの父はインドがイギリスの植民地だった時代にインド統治の官吏を務めた。そういうこともあって、イートンを卒業したオーウェルは、ケンブリッジやオックスフォード大学に進まず、イギリスの植民地警官に応募してビルマに赴任する。そこで、植民地支配のおぞましい実態、偽善と欺瞞、非人間的な抑圧を身をもって体験する。イギリス帝国主義に根源的な不信と不快感を抱くオーウェルは、警官勤務を5年で切り上げて帰国するが、そこでつかんだ疑問を、イギリス、フランスという本国での階級差別、労働者階級への抑圧にたいする疑惑と反発へとむける。そしてみずから、イングランドやパリの貧民街、労働者街、あるいは炭鉱におもむいて、そこに生きる人々の感情や感覚を自らのものにしていく。それらの体験が、『ビルまでの日々』『パリ・ロンドン放浪記』『ウィガン波止場への道』といった作品を生むことになる。

 1936年、スペインで革命がおこりこれにたいするフランコ将軍らの反革命ナチスドイツが支援するにいたる。革命支援の国際義勇軍が結成されるとオーウェルはすすんでこれに参加し、バロセロナに馳せる。そこで目にした革命に沸き立つスペイン人民の姿に、オーウェルは未来への明るい希望を見る。しかし、スターリンソ連による革命への介入が戦線の非人間的な分断や対立抗争を生み、オーウェル自身、トロツキストの汚名を着せられ生命の危険にさえさらされる。その体験から、直接にはスターリン体制への痛烈な批判を意味する『動物農場』『1984年』が生まれる。戦後の冷戦の始まりもあって、とくに『1984年』は1949年の刊行以来世界中で大反響を呼ぶ。

 冷戦下で『1984年』は、アメリカ中心の反ソ・反共キャンペーンに最大限に利用され、オーウェルと言えば、最悪の反共主義者のようにその当時の左翼にはみなされた。しかし、『1984年』が描いた、情報統制によって国民一人ひとりにいたるまで監視、統制される近未来の世界が示すように、けっして旧ソ連だけを槍玉にあげているわけではない。大資本によるマスコミの買収とAIを駆使しての情報操作で個々人にいたる監視と統制が強まるアメリカや日本にもオーウェルの警鐘はむけられているといえよう。

 オーウェルは、第二次世界大戦中はジャーナリストとしてナチス・ドイツとの戦いに積極的に参加、晩年はジェラ島という孤島に農場を借りて住み、結核の悪化で46歳の生涯を閉じている。(2020・8)