桐野夏生『日没』(岩波書店、2020・20)

 小説家のマッツ夢井のもとに「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」なる政府機関から一通の文書が届く。貴殿に対する読者からの提訴を審査した結果、出頭を要請するという内容の召喚状である。指定されているのは、茨城と千葉の県境にある海辺の断崖にかこまれた地にある政府施設である。最近、幾人もの作家が自殺したり不審死したりする事件が相次いでいるなか、いぶかりながらも夢井はその施設に赴く。療養所と呼ばれるその施設は、周囲から完全に隔離され、スマホも携帯電話もつうじないところである。

   迎えに出た職員ははなから高圧的であり、抗議すると「減点」だという。この施設では、夢井はB98という番号が与えられ、名前ではなく番号で呼ばれる。所長の多田は夢井に、夢井の作品がレイプや暴力を描き、倫理上大いに問題があり、矯正が必要だと告げる。不当な人権侵害だと反論し、抗議すると、「減点」が追加され、拘留期間がのびる。施設内の他の入所者と口をきくと共謀罪が適用される。要するに夢井は監禁され、政府の都合の良い人間になるまで、治療、矯正が強要されるのである。施設には相馬という女性の精神科医もおり、夢井が不当な人権侵害に声を荒立てて抗議すると、異常な精神状態による興奮として、強制的に薬物が投与され、眠らされ、意志も感情もマヒさせられる。こうして一切の自由を奪われ、ただ所長のいうなりに治療を受け、所長らに気に入られる作品を書いて見せるしか、ここから逃れる道はない。そう悟った夢井は、しばらくはおとなしく、したがうそぶりをして、脱出できる日がくるのを待つ。

    しかし、次第に施設のおぞましい実態がさらにわかってくる。入所者でまともに出所した人はいないこと、収監者の少なくない人々が、断崖絶壁から身を投げて自死をとげていること、そしてそれがこの施設ののぞむところであること、すこしでも、自己主張をし、所長らの意に逆らえば、地下牢に閉じ込められ、拘束具で全身を縛りつけられる。そして、薬物投与によって完全な人格破壊に追いやられる。夢井は、絶望的な状態のもとで、この施設からの救出者の出現に一縷の望みをいだくのだが、しだいにその期待がむなしいことを悟らざるを得なくなっていく。

    権力によって自由と人権が圧殺される近未来社会を描いた作品といえば、まず思い浮かぶのは、ジョージ・オーウエルの『1984年』であろう。秘密警察とテレビ、盗聴器による徹底した監視、抑圧社会で、権力者の都合のよいように歴史を改ざんする専門の省庁まで設けられている。スターリンによる専制・独裁のソ連を念頭に書かれたといわれるが、旧ソ連にとどまらない、権力の集中とデジタル化による一人ひとりの国民にまでいたる監視、統制社会の到来を予言したといえよう。最近では小川洋子『密やかな結晶』もあげることができよう。これは、ある島であらゆるものの消滅(ものも記憶も)と、それにあらがうものへの秘密警察による弾圧、抹殺という、おどろおどろしい社会を描き出している。ファシズムスターリンによる抑圧を過去の歴史事象としてすますことができなくなっている現代社会の一側面にたいする鋭敏な感性による警告といってよいであろう。

    わが国において、安倍前政権のもとでの機密保護法、共謀罪、さらに自衛隊の海外派兵に道を開くため自衛隊集団的自衛権をみとめる憲法の拡大解釈が閣議決定で強行されるという事態がうまれ、人権と自由を抑圧する強権政治が顕著になってきた。この安倍政治の継承を旗印に掲げる菅政権のもとでは、ついに政府の気に入らない人間を有無も言わせず排除する学術会議会員の任命拒否が現実のものとなった。こういう政治状況のもとで書かれただけに、『日没』はたんなるホラーとはかたづけられないリアリティをもって読者に訴えてくる。た(2020・12)