ローベルト・ゲルヴァルト『史上最大の革命――1918年11月、ヴァイマル民主政の幕開け』(大久保里香、小原淳、紀愛子、前田陽祐訳、みすず書房)

  「朝日」が書評で取り上げていたのと表題の意外性に着目して読んでみることにした。1918年のドイツ革命といえば、第一次世界大戦末期17年のロシア革命につづいて、その影響下に起こったオーストリアハンガリーフィンランドの革命、内戦など一連の争乱の一つとして知られる。ロシア革命の指導者レーニンは、これら一連の革命がヨーロッパ全体に広がり、勝利したときに初めて、遅れたロシアにおける革命は生き延び、社会主義の建設へと進むことができる、と期待した。しかし、現実はそうならなかった。それどころか、1933年のナチス政権の成立につながる、中途半端な、挫折した革命というのが、筆者などが長年抱いてきたイメージであった。本書はそうした見地でではなく、この時代に人々の多くが受け入れていた評価にそくして、発達した資本主義国で帝政から民主的共和制への変革を、流血をさしてともなわずに成し遂げ、15年間存続という歴史的意義をもった革命として肯定的にとらえている。その意味で、新しい視点と歴史理解を提供してくれる。

 なによりも注目したいのは、18年11月のキール軍港における水兵の反乱に始まる革命それ自体の評価である。戦争による疲弊、飢えと食糧難、厭戦気分がひろがるなかで、キールの反乱は自然発生的にドイツ全土へと急速にひろがり、ロシアでいえばソビエトに当たる兵士・労働者によるレーテ(評議会)が次々に設立され、州によっては事実上の権力をにぎるところもあらわれる。カール・リープクネヒトやローザ・ルクセンブルクを指導者とする共産党は、レーテを基盤に武装蜂起によってソビエト型権力を打ち立て社会主義へと突き進もうとする。エーベルトやシャイデマンデルマンら社会民主党の幹部は軍と結んでこうした動きを武力で弾圧(リープクネヒト、ルクセンブルクの虐殺はその象徴)し、憲法制定議会の招集を通じて民主的共和制をめざす。一方、軍幹部をはじめ右翼、旧勢力も武装して巻き返しをはかる。共産党幹部虐殺に焦点おけば、社民党の行為はまさに最悪の反動、革命の裏切りである。しかし、ドイツ共産党は当時のレーニンがそうであったように、議会を通じての革命を認めない、武力一辺倒の革命路線であり、統一戦線どころか社会民主党を敵とみなす見地に立っている。だから、極端なはねあがりであり、広範な大衆の支持は期待できなかった。軍と組んだ社民党の行為は許せないにせよ、議会を通じて民主的共和制を実現したその役割と歴史的意義まで否定するわけにいかない。このあたりの評価が難しいのだが、本書は豊富な資料、証言をもとにもっぱら事実経過を追う。

 もう一つは、ベルサイユ講和をめぐる問題である。平和を掲げるロシアのボリシェビキ政権は18年、東ヨーロッパやバルト諸国など旧ロシア領を大幅に明け渡す屈辱的なブレスト・リトフスク条約を受け入れて、戦争から離脱する。ドイツは東方で広大な領土を手に入れたばかりか、西部戦線でも18年の攻勢に一時成功し、この分では勝利を手にできるのではという気分が国内に漲った。アメリカの参戦などによって情勢は急転するが、ドイツ国民はアメリカのウイルソン大統領が提起していた自決権を前提にした「敗者なき平和」という線で連合国と講和できると楽観していた。ところが連合国から突き付けられたヴェルサイユ条約は、ドイツ帝国の海外領土の放棄にとどまらず、膨大な賠償金など文字通り屈辱的なものであった。この条約締結に至る詳細な経過とこれにたいするドイツ国民の左右を問わない憤激の様子が、克明に描きだされる。同時に、同じ敗戦国でもドイツ以上に苛酷な条件を飲まされたトルコやオーストリアハンガリーブルガリアなどの諸国との対比も示され、戦勝国本位の戦後処理のゆがみが浮き彫りにされる。その結果、戦後大量のユダヤ人難民のドイツへの流入等もふくめてナチス台頭の前提がつくりだされていく様子が浮き彫りにされる。こうした国際的な視野での叙述が、ジェンダー視点とともに本書の読みどころといってよい。

 なお「訳者あとがき」で、ドイツ史上最大の革命と言えるのは、1933年のナチス政権成立ではないか、との疑問を投げかけているが、これはいただけない。革命とはどんなに欠陥や弊害を伴おうとも、歴史を前に進める変革のことである。ヒトラーの権力は、歴史的な反動であって革命とは無縁である。(2021・2)