スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳、岩波文庫、2016年)

 著者は『チェルノブイリの祈り』で知られるノーベル文学賞受賞者(2015年)で、旧ソ連、現在のペラルーシ出身のジャーナリストである。本書は彼女の最初の著作で、1978年から500人以上におよぶ旧ソ連将兵だった女性に直接取材、録音した戦争体験をまとめたものである。初版は1988年に刊行され、2004年に増補版が出ている。

 第二次世界大戦で亡くなったソ連人は2000万人にのぼり、ソ連は世界で最も多い犠牲者をだしている。ナチス・ドイツの突然の侵略で首都モスクワ近くまで攻め込まれ、死闘の末なんとか勝利を勝ち取るのだが、百万人を超す女性が将兵として直接参戦し、看護士や通信兵などだけでなく狙撃兵や戦車隊員、飛行士などとして最前線で実戦に参加している。

    国民総動員でたたかわれた第2次世界大戦では各国とも女性も様ざまな形で戦争に協力させられ、従軍した女性も少なくなかった。しかし、兵士として最前線に送られ直接戦闘に加わったのはソ連だけである。その女性たちの体験は得難く生々しく、戦争の実相を伝えるにこれに勝るものはない。ところが、旧ソ連では、戦後、勝利や戦功は大々的に祝われ記念されても、女性がみずからの戦争体験を語ったり公にすることはタブーとされてきたという。男たちといっしょに泥まみれになって戦った娘など嫁にもらえない、というのも一つの理由だったようであるが、女性たちが戦争の悲惨な実情を語ることが反体制行為とみなされ、危険視されたようである。このタブーに公然と挑み、女性たちの生の戦争体験を録音し記録し、まとめ上げたのが本書である。この事実だけからも、本書が多くの困難と妨害を乗り越えてかちとられた得難い成果であることがわかる。

    著者は、旧ソ連で反体制派として迫害され、ソ連崩壊後ペラルーシの独裁体制下で危険人物として抑圧され排除され、国外での活動を余儀なくされている。彼女自身は、1948年の生まれだが、祖父は第二次大戦に参加して戦死、祖母もパルチザンとして活動中に病死、3人の息子たちのうち、ただ一人生きて帰還したのが彼女の父である。彼女自身のこうした経歴そのものが、その不屈の活動を支える土台となっているにちがいない。

   すでに年老いた女性たちを一人ひとり訪ね、話を聞くという作業を続けながら、著者はたえず自問している。なぜまるまる一つの世界が知られないまま隠されてきたのか? 女たちの戦争は知られないままになってきたのか? と。「その戦争の物語を書きたい。女たちの物語を」と著者はいう。

    登場する女性たちが戦場に送られたのは、16~20歳くらいのときである。その多くは志願して、なかには年齢を偽ってまで応募して戦地へむかう。そこで体験した戦争のおぞましい実態は、実際に本書を紐解いて読んでいただくしかない。手足が切断され腹から腸がむきだしになっている死体がごろごろしているなど、とても若い女性が耐えられるような体験ではない。その戦場で何年も泥にまみれながら戦い続ける。女性の下着さえなく、男の下着にだぶだぶの男の軍服をまとい、軍靴をはいて、生理用品の支給など期待もできない。なかには、戦場で初潮をむかえる娘もいる。ドイツ軍の占領下では、無差別の殺戮から、捕虜や住民への暴力、焼き討ちなど残虐行為が横行する。それだけでない。ソ連軍のばあい、捕虜となった将兵は帰還しても死刑、スパイの疑いで同胞が次々に殺されるなど、スターリン体制による犯罪も後を絶たない。そのおぞましい実情を表に出させないというのが、戦後、女性たちの口が封じられた一因でもある。元赤軍伍長だったというある女性は語る。毎年の戦勝記念日には「何日も前から洗濯物をためておいて、1日中洗濯をする」「なにかほかのことをやって気を紛らわせなければ、耐えられない」と。(2021・9)