バラク・オバマ著『約束の地―-大統領回顧録1』(上下 集英社、2021・2)

 内外を問わず政治家の自伝にはあまり興味がなく、これまでほとんど読んだことがなかった。その多くが、自分の業績の一方的な自画自賛に終始しているのではないかとの先入見もその理由の一つである。しかし、オバマアメリカ初のアフリカ系黒人の大統領で、ノーベル平和賞も受賞した人物でもある。今なお人種的偏見の根強いアメリカでよほどのことがないかぎり、白人以外の人間が大統領になれるとは、正直言って考えられなかった。オバマ大統領が誕生したとき、遠からず暗殺されるのではないか、というのが私の率直な感想であった。それが2期、8年間務めて任期を全うし、邦訳で1000ぺージを超える回顧録(それも一部とあるから続編が予定されている)を書いたというので、読んでみようという気になった。感想を一語で言うなら、政治的立場の違いを超えて“すばらしい”につきる。

 オバマが大統領に選出されたのは2008年11月、リーマンショックアメリカ経済が大恐慌に陥る一方、2001年、アルカイダによる貿易センタービル攻撃、いわゆる9・11事件を前後して、アメリカはイラクアフガニスタンへの侵攻したものの、期待した戦果をあげるどころか、イスラム諸国、諸国民の反発もつのるばかり、いわば泥沼の深みにあがいていた。不況が追い打ちをかける貧困と格差の拡大への不満とともに、厭戦気分が国民のあいだにまん延する最中、不況からの脱却とイラクからの撤退、自由と民主主義、平等というアメリカ建国以来の理想をかかげる若い有色人種の政治家・オバマに、国民の多くが現状からの脱却、変化、未来への希望をみいだした。

 しかし、黒人で初めての大統領となったオバマを待ち受けていたのは並大抵の課題ではなかった。なによりも、経済危機からの脱却と失業・低賃金に苦しむ多くの労働者の救出は待ったなしである。いまにも破綻しそうな金融機関救済のため多額の政府資金を投入、国民医療保険制度などいわゆるオバマ・ケアの実施など、オバマ政権は精力的に取り組みを開始する。黒人大統領の存在そのものを受け入れがたい共和党のあらゆる分野での強硬な反対に直面し、それを切り崩すねばり強い闘いをくりひろげながらである。しかし、不況対策はなかなか成果があらわれず、それどころか金融機関救済のための大金投入は、明日の食事にも事欠く人々からの強烈な反発をまねき、オバマ・ケアは、新自由主義の立場から税金の無駄遣いといった集中攻撃を浴びる。その結果、任期二年目の中間選挙では民主党が大敗し、オバマ政権は窮地に立たされる。

 さらにコペンハーゲンでの国際会議にむけての気候変動に対するとりくみ、中東のイスラエルパレスチナの紛争の解決、イラクアフガニスタンの泥沼からの脱却、パキスタンに潜むアルカイダの首領、オサマ・ビン・ラディンの摘発など、米大統領の前には次々に難題、難問が付きつけられる。それらととりくむホワイトハウスでのオバマの仕事ぶりが、実に生き生きと描かれている。

 そのなかでとくに注目されるのは、オバマ政権が、直面する多くの課題にたいして、専門家を結集して討議を尽くして政策や方針を決定していること、それらにたずさわる人々ひとりひとりの個性と能力、経験にたいして、オバマ自身がリスペクトの目を向け、温かい配慮の心配りをしている事、また、自分がサインした法律や方針について、それを一方的に賛美するのではなく、反対意見にも理があったのでは、自分の判断に欠陥があったのではないかと内省し、反省する態度を貫いていることである。

 また、ホワイトハウスでの激務のなかで、妻ミッシェルに心を配り、マリヤとサーシャという二人の娘を愛しみわずかな時間でもふたりとの交流を大切にしていることがよくわかる。ハワイでの出生からインドネシアでの暮らしなどの生い立ちから、祖母、母親をはじめ家族との親密なまじわりなどが生き生きと描かれているのも、この著作の特徴である。

 2011年。パキスタンに潜むオサマ・ビン・ラディンを発見し、大統領命令で秘密部隊を派遣して奇襲し殺害したときには、国民的な高揚と一体感が生まれた。そのとき、9・11で父親を亡くした少女から寄せられた感謝の手紙に感動しながら、テロリストの殺害以外の場ではこうした高揚を感じることができなかったと振り返り、「私の大統領としての仕事が、いまだ理想にはほど遠い」と反省するシーンがある。こうした姿勢に、オバマの奥深い内面を伺うことができる。(2021・10)