アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』(阿部賢一、須藤輝彦訳、河出書房新社、2021・4)

 「チェコ超新星による次世代ジャパネスク小説」というのが本作のキャッチフレーズである。作者は、1991年チェコプラハで生まれ、カレル大学哲学部日本研究学科を卒業後日本に留学、日本を拠点に作家活動をはじめ本作でデビュー。チェコで新人文学賞を独占して旋風を巻き起こしたという。「朝日」が読書欄で紹介していたが、奇想天外、奇妙な作品だが、とにかくお面白いからと勧めていたので読んでみた。たしかに、珍妙な作品である。

 主人公のヤナ・クブコヴァーは、日本映画に魅せられ三船敏郎の大ファンでプラハの大学の大学院で日本文学を専攻、日本語の習得に苦労しながら、村上春樹はもとより、横光利一、川端康彦、芥川竜之介など日本の作家の作品を読み漁っている。そして、ひょんなことから川下清丸(1902~1938)という寡作で若くして自殺した作家の研究にのめり込んでいく。この作家の作品を読み、作者の不詳の生涯を追うなかで、同学で独特の存在感を持つ知的な先輩の男性、クリーマと知り合い、やがて互いに恋ごころも生まれていく。

   ところがクリーマは日本に留学することになり、ヤナとの関係を一方的に断って日本へ赴く。プラハに残されたヤナは、親友の一人でプラハに留学中のコントラバス奏者の日本人女性・真理に、旅行でプラハに来る兄アキラの案内役を頼まれる。アキラは写真家なのだが、もっぱらいろんな家屋の窓を撮影するだけに特化したカメラマンである。なぜ、アキラは窓にこだわるのか?

 こんなストーリーだけならさして珍妙とは言えないのだが、そうではない。ひとつの章が終わると、舞台は一転、東京の渋谷、ハチ公前の広場になり、そこにヤナの分身、「想い」と記されるがいわば霊が現れる。17歳の時に友人と日本へ旅行できたさい、友人が帰国した後もヤナは残り、渋谷のハチ公前にそのまま居続けることになったのである。分身の霊であるから、周りの日本人には姿は見えない。いわば透明人間のような存在である。しかも、どうしてもハチ公前から遠くへは行けず、行っても必ずいつのまにかハチ公前に戻っている。いわば、拘束された状態である。ヤナはここで日本語を勉強しながら日本の若者たちのときに突飛でもある生態をつぶさに観察する。ある日大好きな仲代達也に似た青年をみかけ、その後をつける。この青年は偶発的な停電で地下室に何日も閉じこめられると言う事故に遭遇する。ヤナはこの青年の救出に一役買う。青年は事故が原因で強度の閉所恐怖症になり、光が差し込む「窓」に唯一の希望を見出すようになる。実は、彼がプラハでヤナが案内する写真家のアキラだったのである。分身のヤナは、日本留学中のトリーマに偶然出会い、自分のおちいっている窮状を訴え、救出を求める。

 こうして、プラハと東京とが章ごとに交錯しながら、ストーリーは展開していく。さらに、プラハのヤナが読み進むごとに、川下清丸の作品の内容が紹介される。島崎藤村の「新生」をおもわせる男女の相克と悲劇である。こうして、プラハ、東京・渋谷での二人のヤナと、川下の作品と、三つ巴の話がミステリアスにくりひろげられる。これが珍妙なのは言を待たない。最後は文字通りミステリーそのものとなり、手に汗をにぎらせる。チェコスロバキアの文学界で、これまでにない超新星として話題になったのもうなずける。東欧という遠く離れた世界で、日本とその文化が今日どのように受けとめられ、評価されているか、その一端をうかがい知る、という意味でも興を添えてくれる。(2021・12)