ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』(浅井晶子訳、白水社、2021・7)

 ロシアによるウクライナ侵攻で国外への脱出を余儀なくされた人が400万人にものぼり国際的な大問題になっている。そんなときに、難民問題にとりくんだ文学作品にたまたまであった。それがこの作品である。作者は1967年に東ドイツで生まれ、フンボルト大学で演劇を学び、オペラの演出などに携わってきた人だという。代表作Aller Tage Abentでトーマス・マン賞を受賞している。

   奇妙なタイトルはgehen ging gegangenというドイツ語の表題をそのまま訳したものである。アフリカから苦難の末ベルリンにたどりついた難民たちが、ドイツ語を学び、動詞の現在、過去、完了型を声を出しながら練習している、そこ からとったタイトルである。

 主人公のリヒャルトは古典文献学者で大学教授を定年退官したばかり。子どもはおらず妻を5年前に亡くし、ベルリン郊外に一人で暮らしている。たまたま、ベルリンのクロイツベルク地区のオラニエン広場をアフリカからの難民が占拠し、そこにテントを張って着の身着のまま住み着いている事を知る。アフリカ北岸からボートでイタリアに上陸した彼らは、「ダブリンⅡ規約」なるものにより、ドイツでは難民認定どころか、庇護を申請することもできないのだという。その後、ベルリン州政府との合意により、市内各地の施設に収容されることになり、一部がリヒャルトの家の近くにある旧老人ホームに移り住む。リヒャルトは暇に任せて、ここを訪れ、アフリカ人たちと接し、かれら一人ひとりの生い立ちや、アフリカでの生活、難民になるいきさつとボートで海を渡ってベルリンにたどりつくまでの苦難の旅について、聞き取る。

 難民たちはナイジェリア、エチオピアリビアなどアフリカの各地の出身である。内戦で突然、家を焼かれて放り出され、妻や夫、子どもを殺され、あるいは家族と引き離されて、いまもって行く方が分からない、命がけで乗ったボートが転覆して何百人も命を落とすのを目の当たりにしながら、なすすべもなく生き延びてきた、上陸したイタリアでは職もなく、ホームレス同様にさまよってきたなどなど、それぞれ深刻な事情を抱えている。健康を害しているもの、精神を病んでいるもの、生きる希望も目標も見失っているものなど、それぞれ多くの問題をかかえている。リヒャルトは、難民たちと親しくなるとともに、彼らの相談にのったり、施設で行われるドイツ語の講習を担当したりするようになる。難民のなかには、音楽に興味をもつものもいて、自宅へ招いてピアノの演奏の手ほどきをしたりもする。

 そんななかで、収容期間が法律で定められていて、一定期間を過ぎると、他へ移らなければならないとか、難民認定がないかぎり就職できないとか、あるいは、難民認定がおりない人は最初に上陸したイタリアへ送り返されるとか、数々の法の不備や制度の欠陥にも直面して、リヒャルトはいらだたせられる。また、イスラム教徒が大半の難民たちの習慣や考え方の違いから来るトラブルもあり、難民を攻撃し、廃除しようとする世論や勢力も根強く広がっている。これらとの確執も後を絶たない。そうした多くの問題をかえながら、リヒャルトが学者らしい好奇心と探求心に突き動かされながら、手探りで見知らぬ男たちと徐々に関係を深めていく過程が、この作品の魅力と言えよう。最後は、リヒャルトの自宅に難民たちが宿泊するようになり、孤独な教授の家が、難民たちの共同住宅の感を呈してくる。そんななかで、国家とは何か、祖国とは何か、民族とは何かといった根本的な問いかけもなされていく。2015年に発表された作品であるが、多くのウクライナ難民に心を寄せずにおれない今日、時宜にかなった好著といえよう。(2022・5)