ジョン・ダワー著『戦争の文化―-パールハーバー・ヒロシマ・9・11・イラク』(上下、三浦陽一監訳、岩波書店)

  日本の戦後史を描いた『敗北を抱きしめて』を読んで深い感銘を受けたので、本書の翻訳が刊行されたとの報に接し、すぐ図書館に借り出しを申し込んだ。ところが、すでに先着が数十人おり、7月半ば過ぎにようやく借り出すことができた。ただちにとりかかり、一週間少しで通読した。期待にたがわず、サブタイトルが示すように歴史的視野と世界史的スケールで戦争のありようをつぶさに考察した力作で、教えられるところが多かった。著者は1938年生まれのアメリカ人の歴史家で日本近現代史専攻、夫人は日本人である。豊富で多面的な内容をもつ著作だが、とくに学んだ点をいくつか記すにとどめる。

 2001年9月11日、ニューヨークのシンボルでもあった貿易センタービルがテロ攻撃を受けて崩壊、アメリカはもとより全世界に衝撃が走った。当時のブッシュ米大統領は、1941年12月8日、日本軍がハワイのパールハーバーを奇襲し全米に憤激を呼び起こした事件をひきあいにだして、テロとの戦争を叫び米国人の愛国心に訴えた。著者はブッシュが立ち返った“パールハーバー”とイラク戦争を克明に比較検討する。日本の奇襲は戦術的には成功したが、その後の戦略を欠いたばかりか、この奇襲でアメリカは戦意を喪失し、和睦に動くとの誤った予測の上におこなわれた。ブッシュによるイラク戦争も、フセイン政権を武力で打倒する計画はあっても、そのあとどうするかの戦略をもたず、アメリカの侵攻がイラク国民に歓迎されるとの根拠のない独断にたって、それがいかなる反発と反抗を生むかはまったく予想すらしていなかった。この点でパールハーバーそっくりであるという。それどころか、パールハーバーの奇襲にそなえる必要な情報収集、分析を怠ったアメリカ当局の決定的な体質的欠陥は、大量破壊兵器保有といった事実無根の情報に踊らされてイラク侵攻に突進したブッシュ政権にそのままそっくり引き継がれているではないか、というわけである。戦争を一つの文化としてみるとき、本質的な共通性がそこに見られるというのである。

 正義をかかげ、テロによる市民や非戦闘員の無差別殺害を声高に非難するブッシュ政権の態度も、ヒロシマナガサキへの原爆投下、英米軍による都市への大規模な空爆をひきあいに検討の対象にされる。ナチス、日本軍国主義による非道にたいする抗議という口実ではじまる空爆は、最初は軍事目標に限るという限定があった。ヒロシマナガサキへの原爆投下も、原爆開発の途中までは使用対象は軍事目標に限るという条件が付いていた。だが、いつのまにか無限定になる。それどころか、ソ連の参戦で日本の敗北必至となり、原爆を使用する必要がなくなったにも関わらず、戦争終結を早め何十万の米兵を救うとの口実で、都市への投下による無差別大量殺戮が合理化された。テロリストの「悪」対ブッシュの「正義」という単純な構図は通用しない、というのが著者の指摘である。

 ブッシュは第二次大戦後のドイツ、日本の占領をひきあいにだしてイラク占領を正当化しようとしたが、イラク占領がまねいた混乱と腐敗、争乱、無政府状態はブッシュの言明の不当さを完膚なきまでに証明した。いったいなぜ、日本とドイツでは米軍等による占領が両国の復興に貢献した面が大きかったのに対して、イラクでは正反対の結果に終わったのか。第二次大戦のさいには、どのような方針でドイツ、日本の占領にのぞむか、事前に綿密な論議と国際的な合意があった。これにたいして、新自由主義一色で塗りつぶされたブッシュ政権によるイラク占領では、戦後イラク国家、社会をどう再建するかの方針は何一つなかった。法的な正当性がなかったばかりか、占領に必要な行政組織、日本では天皇制――もなく、そのうえ、イラクには日本のような地域的人的なまとまりも存在しなかった。さらに注目すべきは、「占領初期の数年にアメリカが導入した民主化の施策のほとんどを日本政府が受け入れ実行した。それができたのは、1930年代、軍国主義者が台頭する以前に、活気ある市民社会が生まれていたからである」(下130)という。すなわち、大正デモクラシーと呼ばれたように、日本には戦前それなりの市民社会が定着していた、それが戦後米軍による押しつけともいえる「民主化」を国民が受け容れる土壌となった、イラクにはそうした条件が欠けていたというのである。これは、日本の戦後改革、憲法をはじめとする民主的諸制度の定着をとらえるうえで大切な視点だといえよう。冷静な目と良識で日本の現代史に立ち向かう著者ならではの卓見といえよう。豊富な史料、証言を駆使した論述は、ていねいで説得力に満ちている。(2022・7)