南塚信吾著『連動する世界史――19世紀世界の中の日本』(岩波書店、2018・11)

 刊行が予定されるシリーズ『日本の中の世界』(全7冊)の第1冊である。著者は、1942年生まれ、ハンガリー史、国際関係史の専門家で、千葉大・法政大学名誉教授という。日本の幕末、維新史を当時の国際関係のなかにおいてとらえるという志向は、最近の歴史学会においても顕著のようで、宮地正人著『幕末・維新変革史』(岩波書店)などはその意図をもって書かれた労作の一つと思うが、本書は世界史全体の流れの中で日本の幕末から明治にかけての近現代史をとらえなおそうという試みである。

 扱われているのは、幕末から明治維新、日清、日露戦争をへて第一次世界大戦前までである。いうまでもなく欧米の資本主義、帝国主義国がアジア、中南米、アフリカを制覇し、全地球を支配し、分割していく時代であるとともに、これにたいする抵抗、反乱が世界に巻き起こる時代でもある。この世界で、日本が唯一欧米の帝国主義支配に屈することなく、独立をまもり、近代国家として成長し、列強の一角を占めるに至るのはなぜか、そこに国際政治、社会のどのような動因が働いていたのか、これが本書の主題といってよかろう。

 通読してとくに印象が深かった点に絞って、記しておこう。一つは、日本の例外的な近代国家としての成功には、もちろん日本国内の要因、たとえば商品経済の独自の発展や、それに支えられた教育・文化の普及、発展などが基本となるが、同時に世界史的な国際的要因が大きく作用していたということである。とくに、幕末の開国から維新に至る1850年代、60年代において、欧米列強の進出、植民地支配にたいする世界的規模での民衆のたたかい、中国の二次にわたる阿片戦争太平天国の乱、義和団のたたかい、そして、インドのセポイの乱にみる大規模な反英闘争、フランスの進出、植民地化に対するベトナム人民の大反乱などの大規模な民衆闘争が巻き起こされる。またアメリカでは,奴隷解放に至る南北戦争が、ロシアでも農奴の解放をもたらす変革がすすむ。これらのたたかいによって、イギリス、フランス、ロシアなどの列強国家はその対応に追われ、それぞれ極東の日本にまで手が回らないといった状況が生まれる。1854年の日米和親条約にはじまる開国から維新、明治国家の成立にいたる時期の日本にとって、そうした国際環境が欧米に学びつつ自力で近代国家への道を切り開くうえで相対的に有利に働いたのである。つまり、日本が他国の支配を受けることなく近代国家として発展できた背景には、アジアを中心とする世界的な民衆のたたかいの大波があったのである。日本の近現代史をこうした視野でみることの重要性を、本書は示唆してくれる。

 もうひとつは、日本は日清、日露戦争での勝利を契機に、アジア唯一の帝国主義国として植民地支配にのりだすが、それは日本自身の力によるのでなはなく、それぞれの勢力範囲を確保し、植民地、領土を拡張しようとする列強の勢力バランスへの志向に支えられていたということである。日露戦争日英同盟の成立によるイギリスの支持、協力によって勝利できたことはその一例である。その後の朝鮮植民地化は、イギリスだけでなく、ハワイ、フィリピンの領有承認を代償とするアメリカの黙認、インドシナ半島の領有承認をもとめるフランスの同意などに支えられ、満州での権益承認と引き換えによるロシアの同意にも支えられていたのである。つまり、帝国主義国による世界の分割の一環として、日本の朝鮮併合、傀儡国家「満州」の領有が列強の国際的な承認を得ることができたのである。いわば帝国主義国同士の協商の産物だったのである。大日本帝国による対外進出をこのような視点でとらえてこそ、その歴史的意味を正確に見定めることができるであろう。その意味でも、本書の提示する視覚は意義深い。(2019・3)

篠田節子『鏡の背面』(集英社、2018・8))

 小野尚子は、DVDや性暴力の被害、アルコール中毒、薬物依存などから立ち直ろう

とする女性たちのための救済施設、新アグネス寮を設立し私財を投じて運営の中心に座る

指導者、先生として親しまれ、尊敬されていた。一緒に暮らす不幸な過去を持つ女性たち

にとって、文字通り、聖母であり、慈母であった。歴史と権威のある大手出版社の社長令

嬢として育ち、若いころ皇族との結婚も取りざたされたという人である。日本のマザー・

テレサもいうべきこの人が、ある日施設が火災にあい、火中に取り残された母子を救おう

として、もうひとりの盲目の女性スタッフとともに焼死してしまう。悲しみの中で厳かな

葬儀が営まれ、各界から著名人も駆けつけ別れを惜しむ。

 そんななかへ警察から、検死の結果、焼死したのは小野ではなく、別人物であるという

信じがたい知らせが届く。寮の代表である中富優紀以下だれもが動転し、そんなことはあ

りえないと抗議するが、事実は動かせない。小野にインタビューをして、記事を書いて間

もないフリーのライターである山崎知佳も、真相の究明にのりださざるを得ない。焼死し

たのが別人だったとすれば、いったい誰だったのか、そもそも小野はいつどこで別人と入

れ替わったのか、小野自身は生きているのか、死んだとすればいつどこで、いかなる理由

で亡くなったのか、謎は幾重にも積み重なる。この衝撃的な事件の真相を追うのが、この

作品の主要なテーマである。そのサスペンスは、息もつかせず最後まで読み切らせる

 警察の捜査の結果、焼死したのは、半田明美という女性で、この女性にはいくつもの殺人などの犯罪容疑があることが判明する。駅のホームから男性を線路に突き落として、轢殺させる事件で警察沙汰になり、からまれたうえでの正当防衛として放免されているだけではない。結婚した相手の医師殺し、海外旅行先で恋人を海に突き落として死亡させた事件など、いくつもの容疑があり、いずれも証拠不十分で放免されている。金銭目当てに男を殺害するのになんの罪悪感も持たない、根っからの性悪女であることが次第にあきらかになっていく。

 では、こんな女がなぜ新アグネス寮の小野先生になりかわって、不幸な女性たちのため

に20年にもわたって献身的に尽くす生活を送ることができたのか、いったいいつどこ

で、小野と入れ替わったのか、謎はいよいよ深まっていく。そこで、本来の小野が新アグ

ネス寮だけではなく、年に何回かフィリピンを訪れて、フィリピンの教会に協力してスト

リート・チルドレンなどのいる貧しい地域の人々を助けるボランティア活動に参加してい

たことに、焦点が絞られていく。知佳は、フィリピンを訪れ、小野が手を貸した教会を訪

ねようとするが、なぜかマニラにあるカトリック教会の神父らは、その教会について言葉

を濁して紹介の労を取ろうとしない。そこで知佳はルソン島の果てにあるその教会を直接

訪ねる。そこには、漁業権を外国の大企業に奪われて、魚を捕ることもできない漁師たち

や、何層もの地主小作関係のもとにあえぐ貧しい農民たちの暮らしがあり、その人たちを

組織してたたかいにたちあがる「アカ」神父たちの活動があった。小野がそうした人々の

中にはいってボランティア活動をおこなっていたのだった。

 フィリピンまで赴いてこの小野を殺害したうえ本人になりかわったのは、本田明美であ

った。いったい明美は何が目的でこのような行為に出たのか、そして、根っからの性悪女

がどうして小野になりかわることができたのか? なぞはますます深まっていく。しか

し、明美が聖女になり替わった事実は事実である。そのからくりは、もう一つわかりにく

いのだかが、そこにおいてこそこの作品の真価が問われる。(2019・3)

 

司馬遼太郎『梟の城』(新潮文庫)

 作者の若いころの作品であり、1959年の直木賞受賞作である。いわゆる忍者もので、戦後の忍者ブームの走りになった作品といえよう。作者の作家としての地位を不動のものにした記念すべき作品でもある。しかし、後の一連の歴史小説がそれぞれの時代とそこにおける登場人物の真実に迫ろうとしているのに対して、この作品は文字通りの意味で娯楽小説、大衆読み物といった傾向が強い。ストーリーも場面展開もかなり恣意的であるし、適当にエロティシズムをまぶしているところにも、そうした相貌をうかがうことができよう。そうした娯楽読み物でありながら、そこに描き出された人間像に作者らしい鋭い人間観察や洞察をもみることができ、そこに並々ならぬ才能を認めることができるといえよう。

 舞台は、秀吉が朝鮮出兵をおこなった時代の京都を中心に展開する。伊賀忍者の里は、信長によって残酷な弾圧をうけ、親兄弟を惨殺された忍者たちは各地に離散し、再起の機会をうかがっている。その一人である葛籠重蔵のもとに、かつての師匠である老人、下柘植次郎左衛門が訪ねてくるところから、話は始まる。京都に潜伏している次郎左衛門は、堺の豪商で秀吉の側近でもある茶人、今井宗久から内密に依頼されたあるたくらみへの加担を重蔵に依頼する。そのたくらみとは秀吉暗殺である。伏見城の堅い守りを抜いて侵入し、秀吉を襲うことができるのは、超人的秘術を駆使する忍者以外にいないというわけである。宗久は、信長に取り立てられ、秀吉の側近でもあるが、秀吉は堺の他の商人との関係が深く、宗久は半ば干されたような地位にあり、内々秀吉に恨みをもっている。その背後には徳川家康の影もちらつく。

 一方、治左衛門の弟子には重蔵の他にもうひとり、風間五平という男がいる。次郎左衛門は自分の娘の木猿の婿にこの五平をと考えているが、この男は生涯日陰者で終わる忍者稼業に嫌気がさして、忍者の掟を破り、身元を隠して京都奉行を務める前田家に仕官している。秀吉を狙う重蔵らを捕え、処刑してこそ、出世の道が開ける立場に身を置くのである。五平の裏切りを知った木猿は、五平を切る覚悟で京に赴く。しかし、五平の前に出た木猿は、この男に身をゆだねてしまう。このあたりがいかにも娯楽小説といったつくりになっている。この五平らに加担する甲賀忍者――そのなかには重蔵に恋をする小萩という美しい忍者もいる――もからんで、話は重蔵と五平を軸に、両者の入り組んだ対立、抗争として展開する。

 忍者は、特定の主人に仕えるのではなく、約束される報酬とひきかえに、その都度、引き受けた仕事にすべての力を投入する。成功しても、地位も名もいっさいかかわりなく、失敗すればすべては闇に葬られる。そうした稼業には、夢も希望もない。ただその場その場に賭け城るしかない。そのニヒルな生き方に徹しているのが、重蔵である。重蔵はそうした生き方のむなしさを自覚もしている。このあたりが、無謀な戦争に青春を奪われ、戦後は企業戦士としてただひたすら働き続けるサラリーマンなどの共感を呼び、歓迎されたゆえんかもしれない。重蔵にしても五平にしても、けっして英雄でも理想に生きる人物でもない。そうした人間のあがきと葛藤をつうじて時代をえがいたところに、この作品のユニークさがあるかもしれない。

 さて忍法を駆使して様々な困難と障害を乗り越えて伏見城に忍び込み、秀吉の寝所に侵入した重蔵が、そこで目にした秀吉の実像とは? また、重蔵を追って同じ城内に忍び込む五平を待っていた運命とは? これがこの作品のクライマックスである。大盗賊、石川五右衛門伝説を取り込んだ結末こそ、本作の最大の見どころといえよう。(2019・3)

 

坂井律子『<いのち>とがん』(岩波新書、2019・2)

 著者は2016年、NHKの編成局主幹に就任した直後に膵臓がんが発見され、2年間の壮絶な闘病生活を経て、2018年11月26日に58歳の生涯を終えている。教育、医療、福祉などの番組の制作、ディレクターを務めてきた著者は、2度にわたる大手術に耐え、一時は職場復帰を予定するまでに回復したものの、再再度の転移が発見され、回復不能となる。そんななかで、テレビ局の仕事は人に何か伝えるしごとだ、「だとすれば、職場にもどれなくとも、仕事は別のかたちでしたらどうか?」と、親しい友人に勧められて始めたのが本書の執筆であったという。

「もうあまり時間がないかもしれない」と、「はじめに」に書いたのが2018年2月20日である。巻末の「生きるための言葉を探して――あとがきにかえて」の最後に「言葉の力を得て、病気と向き合えたことを改めて感謝しながら、まださらに生きていきたいと思っている」としるした。2018年の11月4日である。その22日後に亡くなっている。出世前診断についての著書もある坂井さんは、医療現場にも詳しい専門家でもある。すい臓がん患者となって、死と向き合い、大手術とその後遺症、抗がん剤の副作用とたたかいつつおこなう患者の側からのレポートは、あくまでも冷静で、客観的な自己観察と考察でつらぬかれている。それだけに、貴重な記録として深い感動を呼ばずにおかない。新聞で紹介されて本書の刊行を知り、一挙に読み終わった。がんではないが、脊髄の障害で10年ほど前に植物人間になりかけ、死と直面し手術で生き延びた私にとって、本書に書かれている体験や提案はその一つひとつが、共感をおぼえ納得できる。

   それにしても膵臓がんとは恐ろしい病気である。医学の進歩で近年では絶望的ではなくなってきたとはいえ、5年後の生存率は10%である。坂井さんの場合は、膵頭十二指腸切除という、すい臓がんの中もでもっとも難しい手術である。膵頭だけでなく、胃の一部、十二指腸全部、胆嚢全部、胆管一部、所属するリンパ節をごっそり切り取るというもので、8時間に及ぶ手術である。それだけに術後の後遺症が並大抵ではない。食べたものが胃から腸にぬけない、膵液が漏れて血管を溶かしてしまう、胆管炎、肺の収縮である。激しい下痢、脱水症状に悩まされ、そのうえ、抗がん剤の副作用がおそってくる。

 著者によれば「手術はスタートライン」にすぎない。「『勘弁してほしい』と願う日々の連続であった」という。しかし「容赦ないすい臓がんが攻撃を繰りだしてくるたびに、そのまましぼんでしまいたくない、という闘争心、というより人生に対する“欲望”が芽生えていったように思う」という。著者が最後まで貫いたこの姿勢に、敬服するほかない.

 患者として学んだことのなかには、がん治療をふくむ医学の驚異的な進歩が挙げられている。そのなかには、すい臓がん患者のなかで「最強最悪」と恐れられている4剤併用の薬のことなどがある。「最悪」とは副作用の激しさである。そこでは、「無慈悲で冷酷なまでの執拗さで、何度も治療を重ね、患者が耐えうる限界をひろげていかねばならない」「われわれが殺したのは、腫瘍か患者か、そのどちらかだった」という医師の言葉が紹介されている。

 私が一番共感を覚えたのは、「患者の声は届いているか」という章で、患者を襲う恐怖と死への怯えのなかで、患者の「心を支える」仕組みについてのレポートである。がん患者が気楽に足を運んでくつろぎ、相談もできるという「マギーズ東京」という施設が紹介されているが、死と直接対峙しなければならない患者にとって、その心をささえる体制がもっともっと充実させられる必要を痛感させられる。この一冊を残して若くして去った坂井さんの冥福を祈る。(2019・2)

司馬遼太郎『関ケ原』(上中下、新潮文庫)

 関ケ原の戦いは、壇之浦、鳥羽伏見の戦いとともに日本歴史上の三大決戦のひとつといわれる。この決戦に勝ったことで、家康の支配体制が固まり、その後300年近くにわたる徳川幕府の時代がはじまることになる。徳川方の東軍と石田三成方の西軍の合計十数万の軍勢が岐阜県関ヶ原で真正面から対決したのである。本書は、豊臣秀吉の死から一挙に広がる両陣営の対立、抗争から関ケ原の決戦にいたる歴史を、これにかかわる多くの多彩な人物とその動きによって、またそれぞれのエピソードをまじえて実に生き生きと描き出している。やはり一大傑作といってよいであろう。とくに強い印象を受けたことをいくつか記しておこう。

 一つは、なんといっても家康と三成との対比と葛藤である。秀吉の死後、事実上の後継者となっておっとり構えながら、知略を尽くして勢力をひろげるのが家康である。これにたいして、秀吉の懐刀となって朝鮮出兵をとりしきり、そのゆえに惨憺たる結果に終わった無謀な派兵にたいする諸侯の恨みを一手に引き受けることになったのが三成である。卓越した頭脳と豊富な知識、判断力をもち、正邪を明確にその鋭い舌鋒は他を寄せ付けないのだが、その半面、人間的な幅と温かさを欠き、信望がなく、孤立しがちである。秀吉の遺児、秀頼に忠節を尽くす大義のもとに毛利、山之内など西日本の諸大名を結集して、数の上では東軍を圧するのだが、その内部は、面従腹背にとどまらず、東軍の家康陣営に寝返るものが後を絶たない。家康はゆったりかまえながら配下に謀略に長けた本田正信や有能なオルグ黒田長政らをおいて、西軍の内部をかく乱し、実利を餌に三成からの離反を策してやまない。戦そのものではないが、家康と三成のこうした対照的な性格を持つ人間によるそれぞれの勢力拡大をめぐる死闘こそ、この作品の面白さを成している。

 それだけに、関ケ原の決戦にいたる歴史が、あまりにも家康と三成の性格の違い、そこからくる人間的な葛藤へと狭く一面化されすぎるきらいがなくもないように思う。そのため、秀吉から家康へという歴史の大きな流れをつくりだした根本的な動因がぼやけてしまうように、私にはおもわれる。歴史の専門家でないので正確なところ自信はないが、秀吉による二度にわたる朝鮮出兵という無謀な軍事行動、それに象徴される暴政にたいして増幅する諸大名から民、百姓にいたる憤懣と怒りが、豊臣政権のそれ以上の存続を許さなかった、三成からの諸大名の離反の根底にはそうした根本問題があったといえよう。本作にもそのことはいろんなところで触れられてはいるのだが、歴史を貫く太い動軸としては位置づけられてはいない。そこに不満が残る。

 もう一つは、いうまでもなく関ケ原の合戦そのものの見事な描写である。家康は、味方に加わったが、秀吉の腹心であった福島正則の動向に細心の気を配る。戦いは夜明けとともに霧の中ではじまる。最初、優勢なのは西軍だが、陣営で実際に戦っているのは三成の軍と宇喜田秀家の部隊くらいで、西側の主力、山に陣取った毛利や小早川はいつまでたっても動こうとしない。しびれを切らした三成の再三にわたる督促にもかかわらず、主力部隊の将、毛利などは最後まで「弁当をたべている」との理由で応じようとしない。それどころか、肝心のところで、小早川が家康陣営に駆けつけて参戦、これが勝敗の分かれ目になる。そのあたりの手に汗を握る展開や、西軍最後の奮闘をする宇喜田陣営の戦ぶりなど、大いに読みごたえがある。また、三成が再起を期して単独逃亡し、自らの領地で捉えられ、京、・大坂の市中を引き回されたうえ斬首されるくだりなども、実に見事に描かれている。

 最後になるが、家康、三成の対立の背後に、秀吉の正室であった北政所と秀頼の母である淀君の対立という、女のたたかいがあったことである。家康は北政所を支援し、三成は淀と緊密な関係をたもつ。このような形で戦国の歴史に女性をからませていることも、作品を面白くしている一因である。(2019・2)

 

文在寅著『運命 文在寅自伝』(岩波書店)

    著者はいうまでもなくお隣の韓国の現職大統領である。朴槿恵前政権下の圧政に対する民衆の粘り強いたたかい、いわゆるロウソク革命の結果誕生した大統領である。しかし、日本人の多くが、この大統領の経歴も政治信条もまったくと言っていいほど知らないのではなかろうか。実は、この書を読むまで私自身がそうであった。それだけに本書の内容は衝撃的である。

   本書は文在寅の自伝という形をとっているが、その内容の大半は先輩であり、同志であった廬武鉉元大統領(2003~2008)の人物と業績の紹介に充てられている。廬武鉉は、後続の李明博政権による政治的報復を意味する不当な告発、追及によって、最期は投身自殺に追い込まれる(2009年)。しかし、民衆に寄り添うその人柄と事跡は、韓国政治民主化の上でも、当時戦争直前まで悪化していた北朝鮮との関係改善という外交努力でも特筆すべきものがあった。現在も歴代大統領の中で国民の多数から最も高く評価されている人物である。文氏は、この大統領の補佐官としてその政治信条の多くを共有し苦楽をともにしてきた。したがって本書は、廬武鉉をつうじて著者自身をも語っているのである。若干の内容を紹介しるにとどめよう。

    隣の国の現職大統領ということから、どうしても日本の首相、安倍晋三氏と比較したくなる。これほどのいちじるしい対照もめずらしい。まず、安倍氏は日本がおこなった侵略戦争の最高責任者の一人であった岸伸介を祖父にもち、そのことを至上の誇りにしている。これに対して、文氏は廬武鉉とともに極貧の家庭で育ち、ともに人権弁護士として貧しい人々のために献身し、独裁政治にたいして身をもってたたかってきた経歴を持つ。廬武鉉は大学に進学できず独学で弁護士資格をとっている。文は、朝鮮戦争で北から南に避難した離散家庭に生まれ、苦学の末司法試験に合格するが、学生時代に独裁政治とたたかう民主化運動に参加していたため、韓国では通例である判事や検事への就任を拒否され、やむなく弁護士になって廬武鉉と出会っている。民主主義と人権を守るために、催涙弾を浴びながらデモ行進の先頭に立ち、再度にわたって逮捕もされている闘士である。

    安倍氏は、過去の侵略戦争を賛美し、朝鮮や中国、東南アジア諸国への植民地支配や、それらにともなう人権抑圧を正当化してやまないのにたいして、廬武鉉政権(参与政府という)が熱心に取り組んだ仕事の一つに過去事整理作業というのがある。これは、李承晩いらい朴正熙などにいたる反共独裁政権のもとでおこなわれた数々のでっち上げ事件や大量殺人、拷問などの人権抑圧を洗い出して、真相を究明し犠牲になった人々を救済し名誉を回復する仕事である。同政権が、悪名高い国家保安法の廃止を目指しながら実現できなかったことを、著者は痛恨事の一つとしてあげている。

   安倍氏北朝鮮の脅威を口実に軍拡や戦争法を強行し、力による対決を叫ぶのに対して、廬武鉉政権は、対話による事態の打開に力をつくした。当時、アメリカのブッシュ政権北朝鮮に対して武力の行使も辞さない強硬姿勢で、一つ間違えば戦争というきわどい状況にあった。廬武鉉政権は、一貫して平和的解決を主唱し、ついに6ケ国協議、南北首脳会談を実現する。38度線に引いた黄色い線を廬武鉉大統領が歩いて超える情景の描写は感動的である。文氏は、廬の遺志を継ぐ大統領として北朝鮮との対話による交渉、非核化の実現にむけて真摯な努力を続けている。

   韓国は日本の植民地支配からやっと抜け出したとおもったら、朝鮮戦争による民族分断、長く続いた独裁政権による人権抑圧との苦難に満ちた経験を重ねてきた。そのなかで、人々はねばり強い民主化運動を草の根からたたかいぬいた。そのたたかいを担い、たたかいの中から生まれたのが、廬武鉉の参与政府であり、現在の文在寅大統領である。激動の韓国現代史をたたかった側から凝縮して示してくれるのが本書であるといえよう。文在寅の韓国に私たちはもっと目を向けなければならない。(2019・2)

 ((((ここに脚注を書きます))))

松本清張『像の白い脚』(光文社文庫)

 第二次大戦後間もない1960年代のラオスを舞台にしたミステリーである。フランスにつづく日本の植民地支配からようやく抜け出したインドシナ半島は、アメリカの介入とこれに反対する共産勢力との間での内戦状態が続いて混とんとした政治状況にあった。旧フランス領のラオスは、タイ、ベトナムと国境を接し、1954年のジュネーブ協定で中立を保障されてはいたが、実際には政府はアメリカの軍需援助と軍事顧問団に依存していた。しかし、国土の大半はパテトラオと呼ばれる共産主義を掲げる勢力の軍事支配下にあった。作品の舞台となる首都ビエンチャンはそんななかで、文字通り混乱と退廃に覆われていた。

 友人の石田がメコン川支流の河岸で水死体となって発見された事件の探索を兼ねて、主人公の谷口がビエンチャンを訪れたのは、60年代半ばであった。日本人女性と思しき平尾正子が経営する書店の店主、山本を通訳兼ガイドに雇って市内を見学するが、この山本にはいまひとつ信用できない何かがある。当時小さな田舎町に過ぎない市内には、売春窟や麻薬の吸飲所などもあちこちにあった。援助国のアメリカの軍関係者や偽装したCIA要員も多く、ラオス政府軍高官はアメリカの援助物資の横流しにとどまらず、北部メオ族の栽培する阿片の取引で巨利を得ている。そんなことにも次第に通じるようになっていく谷口は、フランス人の女性記者でアル中のシモーヌ・ポンムレーと知り合いになる。この女性も得体のしれない人物である。ラオスには、日本の建設企業も援助の名目で入っていて、日本人も数は多くないが滞在している。

 そんな状況の中で、ビエンチャンに向かう飛行機で隣の席にいたオーストラリア人の男性が、谷口が滞在しているホテルの石田が泊まっていた部屋で変死体となって発見される。つづいて、山本もビエンチャンから少し離れた農村の道路わきで殺害される。いったいなにが起こっているのか、ビエンチャン政府のご粗末な警察機構では、捜査がすすまず何一つわからない。一人で探索する谷口は、どうやら事件の背後に阿片取引がからんでいるらしいことを突き止めるに至る。ビエンチャン滞在の長いシモーヌがなにか知っているようだが、この女性の口は堅い。書店だけでなくビエンチャン随一の高級レストランを経営する平尾正子もシモーヌと親しく、米

軍関係者ともつながりがありなにやらあやしそうだ。

 こうしてたてつづく殺人事件をめぐって、いろんな人物が登場し謎解きのてがかりとなる網がはられていく。谷口の推理では、石田殺害の原因は、軍のからむ阿片取引の現場に石田が首を突っ込みだしたためのようだ。では山本は? そして謎のオーストラリア人は? なぞは解明されないまま、予想もしなかった事件で谷口の捜査は突然中断され、あっけなく幕を閉じる。推理小説としては尻切れトンボで、なんとも後味が悪い。事件の解明の推理もいまいち緻密さに欠ける印象をまぬかれない。

 私見によれば、作者の主な意図はこの作品を推理小説として完成させることではなく、当時日本にはほとんど知られていなかったラオスの複雑で混とんとした政治社会状況や自然、風物を、ミステリーの形態をとって紀行文として紹介することにあったといえよう。推理を途中で打ち切ったのは、そのことを意味している。作者は、1965年、北ベトナム政府の招待でプノンペンを経由しビエンチャン空港を経てハノイに向かうが、天候不良のためビエンチャンで一週間ほど足止めされた。その時精力的に市内を取材したという。その成果がこの作品である。(2019・2)