高橋徹著『「オウム死刑囚 父の手記」と国家権力』(現代書館)、2023、7)

 2018年7月6日、予告もなく突然、麻原彰晃オウム真理教の幹部7人の死刑が執行された。そのなかに、教団の諜報省トップといわれた麻原の腹心、井上嘉浩がいた。地下鉄サリン事件の主犯のひとりで、15歳、高校生の時に麻原と出会い、その教えと人物に心酔し、以来麻原に絶対服従しその指示を忠実に実行してきた。本書は、この嘉浩の父が書いた手記を中心に、多くの犠牲者を出した凶悪犯罪の犯人とその父の苦悩と、贖罪、改悛の日々を、たどったドキュメントである。筆者は、1958年生まれ、北陸朝日放送の記者で、原発問題や旧陸軍の「731部隊」問題などを取材してきた人である。

 まずなによりも胸を打つのは、自分の息子が地下鉄サリン事件の犯人として逮捕されたニュースを前に、驚愕し、動転するとともに、親としての責任を自らに問い詰め自分を責めてやまない父親の苦悩である。息子が多感な少年時代、仕事人間で家のことを顧みず、妻との不和で家庭内にぎすぎすした暗い空気が支配し、息子にとって心の休まる所がなかった、それが麻原との出会いでオウムに走る何よりの原因だったのだ、だとすれば、親としての自分にこそ罪がある、多くの犠牲者やいまなおサリンの後遺症に苦しむ被害者やその家族になんといって詫びたら良いのか、父の苦悩は深まるばかり、とどまるところを知らない。加えて、マスコミによる狂乱のような取材攻勢で、プライバシーもなにもあったものではない。とりわけ、一日中家に居る妻はたまったものではない。完全な家庭破壊、平安な日常生活の崩壊である。日頃多くの犯罪ニュースに接するが、犯人、加害者の家族の苦悩と生活破壊についてはつい見逃しがちだが、その深刻さに改めて目を向けさせてくれる。

 つぎに、井上嘉浩本人についてである。もともと頭もよく真面目で優しい性格の持ち主であった彼は、父親の苦悩に充ちた説得もあって、逮捕後の獄中でオウム真理教と麻原の正体を見破り、教団、教祖から離脱する。そして、これまで自分がおこなってきた犯罪をありのままに告白するとともに、被害者に謝罪し、捜査に積極的に協力するようになる。多数の死傷者という償いようのない罪をどうあがなうのか、真面目に自分を見つめ、自分を責め、自分に何ができるかを問い続ける。その真摯な姿もまた、読む者の胸を打つ。15歳の時に麻原出会いさえしなかったら、この人は全く違った人生を歩んでいたであろう。そんな想いが湧くのを抑えがたいし、それだけにオウムというカルト教団の罪をきびしく問わずにおれない。

 三つ目に、2009年末に最高裁で死刑判決が確定してから、死刑執行までの間、死刑囚とその家族が置かれるきわめて劣悪な状況についてである。死刑囚は面会も通信も極度に制限され、およそ人間らしい扱いを受けられない。外部交通者は5名と親族に限られ、本の出版を申請しても許可が下りない。本書で初めて知ったのだが、2015年に国連総会で採択された被拘束者処遇最低基準(通称マンデラ・ルール)があり日本も支持した。ところが、その基準が全くといってよいほど守られていないのである。

 そのうえ、死刑の執行は、本人にも家族にも、予告も事前の通告もなく、ある日突如執行されるのである。井上の場合は、一審が無期懲役で、高裁、最高裁で逆転死刑判決となり、本人から再審請求が出され、それについて協議中であった。ところが本人には処刑当日の朝知らされ、家族はテレビニュースで知った後に、拘置所から「今日朝、刑が執行されました」との電話があっただけというのである。これでは、本人も家族もたまったものではない。時の法務大臣は今話題の上川陽子であった。「飲み込んではいけないものを飲み込んだ感じ」というのがそのときの父の言葉である。本書が『「父の手記」と国家権力』という表題をあえて選んだのも納得できる。(2024・2)

川越宗一『福音列車』(角川書店、2023、11)

    作者は、一九七八年生まれの若い作家だが、サハリンを舞台に政治犯として祖国を追放されてこの地に来たポーランド人と北海道から移住したアイヌの交流を主軸にしたスケールの大きな作品で直木賞を受賞している。キリシタン小西行長の孫を主人公とする『パション』という歴史小説もある。

 本作は、明治維新から第二次大戦での敗戦に至る日本近現代史で節目をなす五つの時代に焦点を当てた五編の短編からなっている。それがとてもユニークなのは、それぞれの時代について、日本の国内ではなく国際的な視点で舞台を設定し、したがって登場する日本人にもそれぞれインタナショナルな人格が付与されていること、その意味で、これまでの日本の多くの近現代小説とは一味違った人間模様が繰り広げられ、なるほどと感服させられる。

 冒頭の「ゴスプレ・トレイン」は、本書の表題にもなっている作品で、明治維新後におこった西南戦争の三年前、アメリカに留学しメリーランド・アナポリス海軍兵学校に学ぶ鹿児島出身の島津啓次郎が主人公である。島津は、たまたま耳にした黒人の霊歌「ゴスプレ・トレイン」に魂をゆさぶられ、徹底した人種差別で虐げられていた黒人たちと交わり黒人専用のみすぼらしい教会にはまりこんで、黒人と一緒に黒人霊歌を歌い、黒人聖歌隊にも加わる。肝心の海軍兵学校はある意味でそっちのけの日々を送るのである。そして帰国したとたんに西南戦争に巻き込まれる。鹿児島出身の島津は当然のように西郷軍に参戦、敗北を重ねて最後に立てこもった城山で戦死するのだが、その最期に「福音列車が来る。さあ乗り込もう」と、叫ぶようにゴスペルを歌う。維新後の不平等条約のもと白人社会で人種差別にもさらされた日本の留学生が、もっとひどい差別に耐える黒人たちに心を通わせても不自然ではない。しかし、そんなところに目をすえるこの作者の独特の感性に感服させられる。

 第二作「虹の国のサムライ」は、薩長政権のもとで没落し、生活にも窮する徳川幕府の旧臣、弥次郎が、ハワイ移民に活路を求め、ハワイで農民として自活の道を開こうとする話。第三作の「南洋の桜」は、ミクロネシアで怪死した米軍将校を追い、そのなぞ解きに挑戦する帝国海軍航空隊を志願していた宮里という青年将校の話である。どちらも、日本の太平洋諸島への進出を背景に、そこでの人間模様を描いた作品である。第四作「黒い旗のもとに」は、一転してシベリア出兵に動員された鹿野三蔵が、住民に残虐行為を働いて恥じない軍の非人間的な所業に耐えかねて脱走、モンゴル平野で馬賊に加わり、やがて内モンゴル独立運動に参加していく話。広大なモンゴル平原を舞台に、日本軍のシベリア出兵とモンゴル独立運動という歴史の一こまを描いた雄大な作品である。

 最後が「進めデリーへ」である。ビルマを占領した日本軍が、太平洋戦線で敗色が濃くなるもとで局面打開を目的にビルマからインドの要塞、インパール奪還を図る史上最大ともいえる無謀な作戦を展開し、補給もないまま熱帯の山岳地帯で飢えとマラリアなどの伝染病で何万という兵士たちが犠牲になった。この作戦には、日本の支援でインドの独立をめざすチャンドラ・ボースとその軍隊も参加、そこには女性部隊もまじっていた。そのなかには、神戸に住んでいたインド人実業家の娘、ヴィーナもいる。やはりインパール作戦に従軍していた日本人将校の蓮見孝太郎は、大学でヒンズー語を専攻していたため、日本軍のマレーシア、コタバル上陸作戦に起用され、めぐりめぐってチャンドラ・ボースの通訳を任務としてこの作戦に参加していた。蓮見は、神戸時代のヴィーナと顔見知りである。敗色濃厚ななかででヴィーナは一大決心をして部隊を離れ単身インドへの入国を目指すのだが、その先に待っていたものは? そして蓮見は?

 たまたま、岩波現代文庫の最新刊書であるNHK取材班による『戦慄の記録 インパール』を読んだばかりだった。そのこともあって、五編の連作のなかで最後のこの作品が一番印象に残った。アジア・太平洋における日本の侵略戦争は、「白骨街道」で知られるインパール作戦のような悲劇とともに、歪んだ形ではあれインド独立運動に深い影を落としていたことを見落としてはならない。(2023・12)

 

川越宗一『福音列車』(角川書店、2023、11)

 

    作者は、一九七八年生まれの若い作家だが、サハリンを舞台に亡命ポーランド人と北海道から移住したアイヌの交流を主軸にしたスケールの大きな作品で直木賞を受賞している。キリシタン小西行長の孫を主人公とする『パション』という歴史小説もある。

 本作は、明治維新から第二次大戦での敗戦に至る日本近現代史で節目をなす五つの時代に焦点を当てた五編の短編からなっている。それがとてもユニークなのは、それぞれの時代について、日本の国内ではなく国際的な視点で舞台を設定し、したがって登場する日本人にもそれぞれインタナショナルな人格が付与されていること、その意味で、これまでの日本の多くの近現代小説とは一味違った人間模様が繰り広げられ、なるほどと感服させられる。

 冒頭の「ゴスプレ・トレイン」は、本書の表題にもなっている作品で、明治維新後におこった西南戦争の三年前、アメリカに留学しメリーランド・アナポリス海軍兵学校に学ぶ鹿児島出身の島津啓次郎が主人公である。島津は、たまたま耳にした黒人の霊歌「ゴスプレ・トレイン」に魂をゆさぶられ、徹底した人種差別で虐げられていた黒人たちと交わり黒人専用のみすぼらしい教会にはまりこんで、黒人と一緒に黒人霊歌を歌い、黒人聖歌隊にも加わる。肝心の海軍兵学校はある意味でそっちのけの日々を送のである。そして帰国したとたんに西南戦争に巻き込まれる。鹿児島出身の島津は当然のように西郷軍に参戦、敗北を重ねて最後に立てこもった城山で戦死するのだが、その最期に「福音列車が来る。さあ乗り込もう」と、叫ぶようにゴスペルを歌う。維新後の不平等条約のもと白人社会で人種差別にもさらされた日本の留学生が、もっとひどい差別に耐える黒人たちに心を通わせても不自然ではない。しかし、そんなところに目をすえるこの作者の独特の感性に感服させられる。

 第二作「虹の国のサムライ」は、薩長政権のもとで没落し、生活にも窮する徳川幕府の旧臣、弥次郎が、ハワイ移民に活路を求め、ハワイで農民として自活の道を開こうとする話。第三作の「南洋の桜」は、ミクロネシアで怪死した米軍将校を追い、そのなぞ解きに挑戦する帝国海軍航空隊を志願していた宮里という青年将校の話である。どちらも、日本の太平洋諸島への進出を背景にした、そこでの人間模様を描いた作品である。第四作「黒い旗のもとに」は、一転してシベリア出兵に動員された鹿野三蔵が、住民に残虐行為を働いて恥じない軍の非人間的な所業に耐えかねて脱走、モンゴル平野で馬賊に加わり、やがて内モンゴル独立運動に参加していく話。広大なモンゴル平原を舞台に、日本軍のシベリア出兵とモンゴル独立運動という歴史の一こまを描いた雄大な作品である。

 最後が「進めデリーへ」である。ビルマを占領した日本軍が、太平洋戦線で敗色が濃くなるもとで局面打開を目的にビルマからインドの要塞、インパール奪還を図る史上最大ともいえる無謀な作戦を展開し、補給もないまま熱帯の山岳地帯で飢えとマラリアなどの伝染病で何万という兵士たちが犠牲になった。この作戦には、日本の支援でインドの独立をめざすチャンドラ・ボーストその軍隊も参加、そこには女性部隊もまじっていた。そのなかには、神戸に住んでいたインド人実業家の娘、ヴィーナもいる。やはりインパール作戦に従軍していた日本人将校の蓮見孝太郎は、大学でヒンズー語を専攻していたため、日本軍のマレーシア、コタバル上陸作戦に起用され、めぐりめぐってチャンドラ・ボースの通訳を任務としてこの作戦に参加していた。蓮見は、神戸時代のヴィーナと顔見知りである。敗色濃厚ななかででヴィーナは一大決心をして部隊を離れ単身インドへの入国を目指すのだがその先に待っていたものは? そして蓮見は?

 たまたま、岩波現代文庫の最新刊書であるNHK取材班による『戦慄の記録 インパール』を読んだばかりだった。そのこともあって、五編の連作のなかで最後のこの作品が一番印象に残った。アジア・太平洋における日本の侵略戦争は、「白骨街道」で知られるインパール作戦のような悲劇とともに、歪んだ形ではあれインド独立運動に深い影を落としていたことを見落としてはならない。(2023・12)

 

ジェフリー・アーチャー『ロスノフスキ―家の娘』(上下、ハーバーコリンズ・ジャパン、2023・4)

  本作は、初版が1982年に出ているが、著者が手を加えて2017年に改訂版が出版され、その翻訳がさきごろあらためて刊行された。作者には、『ケインとアベル』という代表作があり、この作品はその続編、ないし姉妹編ということになる。そのため初めに『ケインとアベル』について簡単にのべておかないわけにいかかない。

   同作は、ドイツ、ソ連の圧迫から逃れてアメリカに渡り、給仕見習いから身をおこしてホテル王にのしあがるポーランドの貧しい家庭出身のアベル・クロノフスキーと、アメリカの名門一族の経営する銀行の跡取り息子のウィリアム・ケインとの物語である。大変な苦労を重ねて成功するアベルと名門のケインという対照的な二人は、利害の対立から宿敵となって生涯にわたって確執を演じる。その一方のアベルの娘が本作の主人公・フロレンチィナであり、その恋人であり夫となるリチャードはケインの息子である。

 フロレンティナは、バロングループという企業チェーンを率いる父のもとで、イギリス人の名門貴族出身の傑出した教育者の女性が家庭教師となって、知的にも情操のうえでも一流の素養を身につけ、生まれながらの秀でた才能と美貌を存分に花開かせるすばらしい女性に成長してゆく。11歳の時に自分の将来について、アメリカ初の女性大統領になる夢を語っている。彼女は、学校の成績も抜群で、後にハーバード大学と合体するラドクリフ女子大を抜群の成績で卒業する。このフロレンティナが、見初められ恋に落ちる相手が、父の宿敵であるケインの息子、リチャードである。この青年もハーバード大学出身の秀才で、経営能力も抜群である。二人はたちまちのうちに、相手を生涯の伴侶にと固い契りをかわし、何人もその間を裂くことは不可能となる。

 しかし、アベル・クロノフスキーもウィリアム・ケインも、二人の結婚を絶対に認めようとしない。当然のように、親子断絶、二人は勘当された状態で所帯を持つ。フロレンティナは、たまたま始めたファッション店が成功し、チェーン店として成長させていく。リチャードも就職した銀行でその才能を高く評価され順調に出世していく。このあたりは、作者アーチャー得意の若者の成功物語である。曲折を経て二人はやがて両親と和解、フロレンティナは、バロングループを引き継ぎ、リチャードも父の銀行の頭取となる。つづいてフロレンティナは、シカゴを基盤に下院議員に当選、さらに上院議員となり、政治家として実績を重ねていく。そして、ついに大統領選挙へ出馬、アメリカ初の女性大統領を目指す。

 作品の後半は、激しい選挙戦を勝ち抜いてアメリカの政界でのしあがっていくフロレンティナと彼女をバックアップするリチャードや幼ななじみのエドワードらの波乱万丈な物語である。そこでは、アメリカの独特の選挙制度とそのもとで戦われる選挙戦の手に汗を握るような展開が実にリアルに描き出され、読む者を強くひきつけずにおかない。大統領候補を決める民主党予備選挙では、フロレンティナは有利に戦いすすめ、党大会で民主党の大統領候補に指名されるはずだったが、相手陣営の卑劣な策略にからめとられて、僅差で敗北、副大統領に就任する。はたして、彼女はアメリカ大統領になれるであろうか? いまから40年も前に、アメリカでの女性大統領誕生をテーマにしたこんな作品が書かれていたことは驚くほかはない。

 作者アーチャーは、オックスフォード大学を卒業、29歳で史上最年少の庶民院議員に当選するが詐欺事件で全財産を失い、一転して小説家になる。その出世作が最初に紹介した『ケインとアベル』である。アーチャーは、その後ロンドン市長選挙に立候補したものの、スキャンダルによって裁判で実刑判決を受けて服役すなど、誠に波乱に富んだ経歴の持ち主である。今年83歳でなお健筆をふるっている。(2023・11)

 

ジェフリー・アーチャー『ロスノフスキ―家の娘』(上下、ハーバーコリンズ・ジャパン、2023・4)

  本作は、初版が1982年に出ているが、著者が手を加えて2017年に改訂版が出版され、その翻訳がさきごろあらためて刊行された。作者には、『ケインとアベル』という代表作があり、この作品はその続編、ないし姉妹編ということになる。そのため初めに『ケインとアベル』について簡単にのべておかないわけにいかかない。

同作は、ドイツ、ソ連の圧迫から逃れてアメリカに渡り、給仕見習いから身をおこしてホテル王にのしあがるポーランドの貧しい家庭出身のアベル・クロノフスキーと、アメリカの名門一族の経営する銀行の跡取り息子のウィリアム・ケインとの物語である。大変な苦労を重ねて成功するアベルと名門のケインという照的な二人は、利害の対立から宿敵となって生涯にわたって確執を演じる。その一方のアベルの娘が本作の主人公・フロレンチィナであり、その恋人であり夫となるリチャードはケインの息子である。

 フロレンティナは、バロングループという企業チェーンを率いる父のもとで、イギリス人の名門貴族出身の傑出した教育者の女性が家庭教師となって、知的にも情操のうえでも一流の素養を身につけ、生まれながらの秀でた才能と美貌を存分に花開かせるすばらしい女性に成長してゆく。11歳の時に自分の将来について、アメリカ初の女性大統領になる夢を語っている。彼女は、学校の成績も抜群で、後にハーバード大学と合体するラドクリフ女子大を抜群の成績で卒業する。このフロレンティナが、見初められ恋に落ちる相手が、父の宿敵であるケインの息子、リチャードである。この青年もハーバード大学出身の秀才で、経営能力も抜群である。二人はたちまちのうちに、相手を生涯の伴侶にと固い契りをかわし、何人もその間を裂くことは不可能となる。

 しかし、アベル・クロノフスキーもウィリアム・ケインも、二人の結婚を絶対に認めようとしない。当然のように、親子断絶、二人は勘当された状態で所帯を持つ。フロレンティナは、たまたま始めたファッション店が成功し、チェーン店として成長させていく。リチャードも就職した銀行でその才能を高く評価され順調に出世していく。このあたりは、作者アーチャー得意の若者の成功物語である。曲折を経て二人はやがて両親と和解、フロレンティナは、バロングループを引き継ぎ、リチャードも父の銀行の頭取となる。つづいてフロレンティナは、シカゴを基盤に下院議員に当選、さらに上院議員となり、政治家として実績を重ねていく。そして、ついに大統領選挙へ出馬、アメリカ初の女性大統領を目指す。

 作品の後半は、激しい選挙戦を勝ち抜いてアメリカの政界でのしあがっていくフロレンティナと彼女をバックアップするリチャードや幼ななじみのエドワードらの波乱万丈な物語である。そこでは、アメリカの独特の選挙制度とそのもとで戦われる選挙戦の手に汗を握るような展開が実にリアルに描き出され、読む者を強くひきつけずにおかない。大統領候補を決める民主党予備選挙では、フロレンティナは有利に戦いすすめ、党大会で民主党の大統領候補に指名されるはずだったが、相手陣営の卑劣な策略にからめとられて、僅差で敗北、副大統領に就任する。はたして、彼女はアメリカ大統領になれるであろうか? いまから40年も前に、アメリカでの女性大統領誕生をテーマにしたこんな作品が書かれていたことは驚くほかはない。

 作者アーチャーは、オックスフォード大学を卒業、29歳で史上最年少の庶民院議員に当選するが詐欺事件で全財産を失い、一転して小説家になる。その出世作が最初に紹介した『ケインとアベル』である。アーチャーは、その後ロンドン市長選挙に立候補したものの、スキャンダルによって裁判で実刑判決を受けて服役すなど、誠に波乱に富んだ経歴の持ち主である。今年83歳でなお健筆をふるっている。(2023・11)

 

ジェフリー・アーチャー『ロスノフスキ―家の娘』(上下、ハーバーコリンズ・ジャパン、2023・4)  本作は、初版が1982年に出ているが、著者が手を加えて2017年に改訂版が出版され、その翻訳がさきごろあらためて刊行された。作者には、『ケインとアベル』という代表作があり、この作品はその続編、ないし姉妹編ということになる。そのため初めに『ケインとアベル』について簡単にのべておかないわけにいかかない。 同作は、ドイツ、ソ連の圧迫から逃れてアメリカに渡り、給仕見習いから身をおこしてホテル王にのしあがるポーラン

 本作は、初版が1982年に出ているが、著者が手を加えて2017年に改訂版が出版され、その翻訳がさきごろあらためて刊行された。作者には、『ケインとアベル』という代表作があり、この作品はその続編、ないし姉妹編ということになる。そのため初めに『ケインとアベル』について簡単にのべておかないわけにいかかない。

同作は、ドイツ、ソ連の圧迫から逃れてアメリカに渡り、給仕見習いから身をおこしてホテル王にのしあがるポーランドの貧しい家庭出身のアベル・クロノフスキーと、アメリカの名門一族の経営する銀行の跡取り息子のウィリアム・ケインとの物語である。大変な苦労を重ねて成功するアベルと名門のケインという照的な二人は、利害の対立から宿敵となって生涯にわたって確執を演じる。その一方のアベルの娘が本作の主人公・フロレンチィナであり、その恋人であり夫となるリチャードはケインの息子である。

 フロレンティナは、バロングループという企業チェーンを率いる父のもとで、イギリス人の名門貴族出身の傑出した教育者の女性が家庭教師となって、知的にも情操のうえでも一流の素養を身につけ、生まれながらの秀でた才能と美貌を存分に花開かせるすばらしい女性に成長してゆく。11歳の時に自分の将来について、アメリカ初の女性大統領になる夢を語っている。彼女は、学校の成績も抜群で、後にハーバード大学と合体するラドクリフ女子大を抜群の成績で卒業する。このフロレンティナが、見初められ恋に落ちる相手が、父の宿敵であるケインの息子、リチャードである。この青年もハーバード大学出身の秀才で、経営能力も抜群である。二人はたちまちのうちに、相手を生涯の伴侶にと固い契りをかわし、何人もその間を裂くことは不可能となる。

 しかし、アベル・クロノフスキーもウィリアム・ケインも、二人の結婚を絶対に認めようとしない。当然のように、親子断絶、二人は勘当された状態で所帯を持つ。フロレンティナは、たまたま始めたファッション店が成功し、チェーン店として成長させていく。リチャードも就職した銀行でその才能を高く評価され順調に出世していく。このあたりは、作者アーチャー得意の若者の成功物語である。曲折を経て二人はやがて両親と和解、フロレンティナは、バロングループを引き継ぎ、リチャードも父の銀行の頭取となる。つづいてフロレンティナは、シカゴを基盤に下院議員に当選、さらに上院議員となり、政治家として実績を重ねていく。そして、ついに大統領選挙へ出馬、アメリカ初の女性大統領を目指す。

 作品の後半は、激しい選挙戦を勝ち抜いてアメリカの政界でのしあがっていくフロレンティナと彼女をバックアップするリチャードや幼ななじみのエドワードらの波乱万丈な物語である。そこでは、アメリカの独特の選挙制度とそのもとで戦われる選挙戦の手に汗を握るような展開が実にリアルに描き出され、読む者を強くひきつけずにおかない。大統領候補を決める民主党予備選挙では、フロレンティナは有利に戦いすすめ、党大会で民主党の大統領候補に指名されるはずだったが、相手陣営の卑劣な策略にからめとられて、僅差で敗北、副大統領に就任する。はたして、彼女はアメリカ大統領になれるであろうか? いまから40年も前に、アメリカでの女性大統領誕生をテーマにしたこんな作品が書かれていたことは驚くほかはない。

 作者アーチャーは、オックスフォード大学を卒業、29歳で史上最年少の庶民院議員に当選するが詐欺事件で全財産を失い、一転して小説家になる。その出世作が最初に紹介した『ケインとアベル』である。アーチャーは、その後ロンドン市長選挙に立候補したものの、スキャンダルによって裁判で実刑判決を受けて服役すなど、誠に波乱に富んだ経歴の持ち主である。今年83歳でなお健筆をふるっている。(2023・11)

 

垣根涼介『極楽征夷大将軍』(文芸春秋社、2023・5)

    第169回直木賞受賞作である。作者は、1966年生まれ、2000年に『午前3時のルースター』でサントリーミステリー大賞と読売賞を受賞、いらい吉川英治文学新人賞日本推理作家協会賞山本周五郎賞などを立て続けに受賞している売れっ子作家である。

    本書は室町幕府を開いた足利尊氏とその時代を描いた異色の作品である。足利尊氏と言えば、かつて戦前の皇国史観が支配した時代には、逆賊として憎むべき悪人の最たるものとして排撃され、その人間像や人格にまともにむきあう人は一般には存在しなかった。そのためもあって、戦後もこの人物の実像は多くの人にとって謎のままであったように思う。そこに目をつけ大胆に切り込んだだけでみあげたものである。しかし、それだけにとどまらない。

 というのは、本作が描く尊氏像が大方の意表を突くユニークなものであるからである。鎌倉幕府をほろぼし、後醍醐天皇建武の新政に逆らって室町幕府を起こした尊氏を、徹底的な能天気、極楽とんぼ、やる気なし、使命感無し、執着心無しの人物として描き切っているのである。尊氏は、もともと足利家の正妻の子ではなく庶子として生まれ、育てられるが、たまたま家を継ぐことになる。尊氏には、ずば抜けた才能をもち、実務能力にも優れ決断力もある弟の義直がおり、また。足利家の執事には高師直というこれまた優れた才能とともに武術にもたけた人物がいる。尊氏は、この二人に支えられ、あるいは一任してすべての事を運ぶ。どんなに危機的な局面でも、この二人の采配と判断にまかせて、自分はなにひとつ決断もしない。ただ人が良く親切で、私心がなく、相手がだれであれ親しく語り掛ける、そうした人柄は他に追随を許さない。そして、戦になるとそれが下につく武士たちの信望と尊敬の的となり、カリスマ的な崇拝を広げることにもなる。その結果として戦いを勝利に導く。これが、本作で描く尊氏像である。こうして、義直、師直におんぶに抱っこの尊氏が、波乱万丈の戦国の世を世間的には名将として生き抜いていく。この三者の奇妙奇天烈な人間関係とそのおりなすドラマが、滑稽味をともないつつ読者をひきつけ、面白く読ませてくれる。ここに、この作品の最大の持ち味があると言ってよいであろう。

 もちろん、政変に次ぐ政変という激動の世である。鎌倉幕府の北条執権一族、足利家はもとより、鎌倉幕府を叩き潰して天皇親政を断行しようとした後醍醐天皇とその配下の宮人や武人たち、さらに後醍醐に反旗を翻し室町幕府の開設に力を尽くす武将たちなど、数多くの人々が登場し、それぞれその舞台でその役を演じる多様な様相もまた,この作品ならではの魅力であろう。

 後半では、肝心の義直と師直との間に溝ができ、両者が対立し、それが国中の武将たちや宮中をまきこんで全国的な動乱に発展する。そして義直、師直ともに破滅の道をたどる。さて支えを失った尊氏はどうなるか? 作者は、征夷大将軍としての尊氏の大変身で作品を締めくくっている。

 歴史小説の例にもれず、ではこの作品が描いた尊氏像は史実に照らしてどうか、という問題が残る。最初に述べたような経緯から無縁でなかった筆者には、判断するすべがない。作者が依拠している『太平記』はずいぶん昔読んだことがあるが、私の記憶に残る範囲では、この作品のような尊氏像は思いもよらなかったが、果たしてどうか? もちろん作者が最後に参考文献を挙げているように、専門的な研究の成果が反映されているのではあろう。いささか一面的な誇張があるようにも思えるのだが、筆者にはそれを主張する資格は無い。(2023・10)