吉田裕著『日本軍兵士』(中公新書)

 

 いま話題の書のひとつである。著者は、一橋大大学院教授。東京教育大学を卒業後一橋大の大学院に進み、歴史学者のなかで数少ない軍事史の研究家であった故藤原彰氏に師事した人である。

   戦後日本の歴史学は、それを担った人たちが直接の戦争体験者であったことから、平和意識がとりわけ強く、その半面として、軍事史研究を忌避する傾向が強かった。そのため、軍事史防衛庁防衛研修所(現防衛研究所)などを中心にした旧陸海軍幕僚将校たちにもっぱらゆだねられる結果になっていた。歴史学者が本格的に軍事史に取り組みだしたのは世代が変わる1990年代になってからだ、と著者はいう。そういうこともあって、日本の歴史学において軍事史はいまも手薄な分野になっている。そんななかで、兵士の目線、視点で、アジア・太平洋戦争をとらえてみようというのが、本書の主眼である。本書が多くの読者をとらえる背景には、こうした事情があることを見逃すわけにいかない。

   1931年の「満州事変」にはじまる日本の中国侵略は37年には日中全面戦争に拡大し、泥沼状態の長期戦にはいる。しかし、日本軍には長期戦への構えも準備もなかった。そのうえ対ソ戦を想定した作戦や装備をおこなっていたのが、41年にはアメリカと開戦、戦線は東南アジアから太平洋にひろがる。緒戦こそ優勢だったものの、次第に形勢は逆転して、制海権、制空権をアメリカに握られると、ひろがった前線への将兵、武器の輸送も食料の補給もままならなくなる。そうしたもとで、何万何十万と戦死者が急増していった。その大半が栄養失調による戦病死、あるいは餓死という、世界の軍事史に例を見ない異常な事態を招くことになる。本書は、その生々しい実態を、たまたま生き残った将兵の証言や記録を紹介しながらたどっていく。

   南方の戦線で、ニューギニアや太平洋の島々で多くの兵士たちを待っていたのは栄養失調とマラリヤなどの伝染病であり、不衛生からくる歯の病であり、悪質な水虫である。そして、絶望的な状況のもとで続出する自殺者、精神異常者の多発である。また、悪化する戦局のなかで撤退をよぎなくされ、病傷兵の処置に困り、置き去りにしたり、自殺の強制、あるいは殺害といった非人道的処置がとられていく。“生きて虜囚の恥をさらすべからず”が日本軍の掟であった。敗戦へと近づくにつれて、おびただしい海没者を生んだことも見逃すわけにいかない。アメリカの潜水艦による魚雷攻撃の結果である。軍艦だけでなく、民間から徴用したおびただしい数の輸送船が犠牲となっている。海没者の総数は35万人にのぼるという。日露戦争での戦死者総数が8万8千人だから、驚くべき数字である。

   恐怖と疲労、略奪や中国人捕虜試し切りなど野蛮な行為に対する自責などによる自殺者、精神異常者の多発については、軍はこれをひた隠しにしてきた。しかし、ヒステリー性の痙攣、驚愕反応、不眠、記憶喪失、失語、歩行障害などの戦争神経症多発の一端が、本書を通じてうかがい知ることができる。

  著者は、兵士たちに無残な死を強いた背景にあった日本軍の特異な軍事思想として次の三つをあげる、①欧米の国力を見誤った「短期決戦主義」、②補給、情報、衛生などを軽視し戦闘をすべてに優先させる「作戦至上主義」、③日露戦争後に確立した「極端な精神主義」。そして、軍が天皇にのみ責任を負う統帥権の独立が、その根本欠陥となっているという。あの戦争を美化し、戦死者たちをお国のために犠牲になった英霊と讃える人たちに、是非とも本書の一読をすすめたい。(2018・4)